3月9日
2008年 03月 09日
ドイツ連邦ってナンジャラホイ? → 『1814~1815年のウィーン会議により、旧神聖ローマ帝国を構成していたドイツの35の君主国と4つの帝国自由都市で構成されることになった連合体。各国公使による合議機関としてフランクフルトに連邦議会が置かれた。1815年のウィーン議定書に基づき、オーストリアを盟主として発足、1866年の普墺戦争のプロイセン勝利をもって解消された。』(ウィキペディア&ミネルヴァ書房「近代ドイツの歴史」より一部引用) オーストリアの外相メッテルニヒが議長を務めたウィーン会議によって発足した連合体です。でもね、ナポレオン支配の反動でドイツではナショナリズムが高まる一方。フランスの2月革命(1848年)から伝播した3月革命なども経験し、何かと不安定で危なっかしかったんだそ~です。
主な加盟国は:オーストリア帝国、プロイセン王国、ザクセン王国、バイエルン王国、ハノーファー王国、ヴュルテンベルク王国、その他モロモロ小さな国たち(●●公国とか、▲▲侯国など)
4つの帝国都市とは:ハンブルク、リューベック、ブレーメン、フランクフルト
黒・赤・金の3色旗の由来は、拙宅の記事の引用で恐縮ですが、コチラにあります。イェナ大学で結成された全学的学生団体「ブルシェンシャフト(Burschenschaft)」が起源というもの。設立に携わった学生たちの多くがリュッツォー義兵団として従軍しており、その制服(黒地に赤のモール、金ボタン)の色をブルシェンシャフトのシンボルカラーとし、赤と黒のストライプに金のフリンジがついた旗を団体旗とした、とする説です。でもね、現在のドイツの連邦会議(Bundestag)のサイトによりますと、この説は好んで引用されるものの、根拠としてはまだまだ「?」な部分が多いんだそうです。
いずれにしても、この3色が「統一と自由のための戦いの象徴」として広く理解されるようになり、その後ナショナリズムが高まっていく中で大きな役割を果たすことになったのは確かなようです。というのも、「ドイツ連邦そのものは本質的に国民的統一と相容れない組織体であったため、ドイツ・ナショナリズムの熱狂に駆られた人々は連邦に失望感を抱き、中でも血気盛んな学生たちはブルシェンシャフトを結成(「近代ドイツの歴史」より引用)」し、反革命、反ナショナリズムで弾圧しようとする支配者たちに向かっていったとのこと。
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ちなみにこの1948年3月9日というのは、ドイツ3月革命の直前でした。いろいろ大変な時期を乗り越えてきたんですね~ドイツも。