旅行の画像ばかりUPしちゃってすみませんっ💦今回、帰りの便はデュッセルドルフ→成田というものだったので、最終日にデュッセルドルフへ移動しました。夜の便なので丸1日時間があります。そこで向かった先は…
…アルトシュタットにあるナチ資料館。

場所はココ(↓)。旧市街にあり、ライン川にも近い場所。
恥ずかしいことに知らなかったのだけど、1938年10月26日、ヒムラーの指示によりポーランド系ユダヤ人を逮捕して国外追放にする Polenaktion(ポーランド作戦)という作戦が行われていたんですね。翌月11月9日~10日に、いわゆる「水晶の夜」が起こるので、その半月前ということになります。

デュッセルドルフでも「水晶の夜」があった模様。
SA(突撃隊)が中心となってやりたい放題だったみたい。


私がショックを受けたのは、デュッセルドルフのグラーフェンベルクという地区にあった病院で
断種が行われていたという事実。
私が住んでいたのもグラーフェンベルク。
遺伝性疾患や精神疾患の患者に対し、ここで強制的に断種が行われたそうです。
さらに何名かはハダマーという所へ送られたとのこと。
実は今回、ハダマー(リンブルクの郊外)へも行こうと思ったのですが、時間がなくて断念。
T4(=Tiergartenstrasse 4)作戦による安楽死が行われた地です。
次回はハダマーへも足を運んでみようと思っていました。悲しい歴史。

そしてデュッセルドルフやその近郊に住んでいたユダヤ人も東方へ。
デュッセルドルフにお住まいの方なら分かると思うのですが、Derendorf (デーレンドルフ)という駅があります。
その近くの食肉処分場が Sammellager (集合所)となり、そこに集められたユダヤ人は
デーレンドルフ貨物駅から東方へと移送されていったそうです。




ベルリンのグルーネヴァルト駅17番線のように、デュッセルドルフでもこうして残されているみたい。今回は時間がそこまでなかったので断念。次に機会があれば、デーレンドルフまで足を伸ばしてみたいと思いました。
ナチ時代の木製容器。Ernährungshilfswerk と書かれています。
Eintopf (アイントップ、ごった煮のスープのようなシチューのような料理)などを困窮者に振る舞う際に使用したらしい。。
ネットで検索したところ、野菜などを入れておいた容器とあるのだけど、鍋を入れておく保温容器という説明もどこかで読んだ記憶が…
館内の解説を読み忘れてしまった💦💦


国民受信機、またの名を国民ラジオ。
これを通してヒトラーやゲッベルスの演説がお茶の間(ドイツの家にお茶の間はないけど)に届けられたとのこと…


受付の女性がとってもとっても親切でした。質問をすると詳しく解説してくださるし、ニコニコしていて「ようこそ」と受け入れてくれる感じ。重い歴史を展示している資料館だからこそ、こういう風に優しく迎えてくれるとなぜかホッとします。使命感を持ってこのお仕事をやっていらっしゃるんだろうなぁと思いました。