一角にコルベ神父の碑がありました。脱走者に対する報復と見せしめのために死刑を宣告された囚人の身代わりになり、
このアウシュヴィッツ強制収容所で殺害された神父様です。

コルベ神父の囚人番号(入れ墨で囚人番号を入れるのはアウシュヴィッツだけだったとのこと)は16670番でした。

「その1」でも載せた画像を再び。

第10棟と第11棟に挟まれた中庭には1944年に設置された「死の壁」(Todeswand)があり、そこで約5000名の囚人が即決裁判ののちに銃殺刑に処せられたとのことです。また、絞首刑やツィクロンBによる殺害もここでも行われていたとのこと。
この中庭の突き当りが「死の壁」。
団体の見学者の方々がいたため、横から写真を撮らせてもらいました。ちょうど「死のブロック」と恐れられた第11棟の説明をしているところでした。

第11棟の見取り図。左が地下で、独房からなっていました。中央が1階、右が2階。
18番がコルベ神父が入れられた独房。
8番と20番は Dunkelzelle と呼ばれる懲罰房で、光を遮断した真っ暗闇に押し込めたとのこと。
22番は Stehzelle と呼ばれる懲罰房で、横になることはおろか、座ることすらできない狭い独房だそうです(涙)。
なお、この中で大勢の囚人が殺害されたということからか、撮影は禁止でした。


第11棟以外の棟でも、テーマ別の展示がなされていました。これは「囚人たちの日常」というテーマ。これは寝起きしたベッドですね。
こんな風に汚いマットで雑魚寝させられることも、よくあった模様。

これはトイレ。

洗面所。壁に絵が描かれているのは、恐らくここがポーランド軍の元兵舎だったからでしょう。

