さてさて、法廷を見たあとは党大会の会場へ。中央駅から市電(Doku-Zentrum 行き)で行きました。
馬蹄の形をした Kongresshalle (コングレス・ホール)の端っこが資料館になっていて、こんな風に飛び出ています。市電(Doku-Zentrum 行き)はこの前に停まりました。資料館も見たかったけれど、時間がなかったのでパス。残念!ナチ党が大会をニュルンベルクで初めて開いたのは1933年だそう。翌年の1934年にアルベルト・シュペーアが、党大会のための総合施設に変貌させるべく建設に着手したものの、39年には第二次大戦の開戦によって工事がストップ。党大会が開かれることもなくなり、ほとんどの施設が未完成のまま終戦を迎えたそうです。

入り口に掲げられていた地図。ここからスタートします。赤い線の通りに歩くと、だいたい2時間くらい。
赤の1番からスタートし、コングレス・ホールの中へちょこっと入ります。
ニュルンベルクの建築家ルートヴィヒ・ルフ&フランツ・ルフ父子が設計したコングレス・ホールは未完成。5万人が収容できる施設となるハズだったらしい。


レンガ造りなので赤っぽい。これが完成したら、さぞかしド派手で多くの人の度肝を抜いたことでしょう…。


さらにてくてく…。湖と緑に囲まれているので、市民の憩いの場となっている模様。それにしても、「ウォーキングする」がドイツ語化して walken というのにはビックリ。それにしても、gehen と walken の違いは何だろう?「歩く」と「ウォーキングする」の違い?分かるような、分からないような…
「Große Straße (大通り)」を歩いていたら、カナダガンまで行進してた… この「大通り」はパレード用で、北西に伸びているそうです。これは、党大会会場と古都ニュルンベルクの中心部(ニュルンベルク城、神聖ローマ帝国の皇帝が1050年から1571年まで居住しており、神聖ローマ帝国の象徴とされたらしい)を結ぶことをイメージしたらしい。ナチを本当の意味での「帝国」にしたかったのかなぁ。完成していたら、幅60メートル、長さ2キロになったハズだそうな。

赤レンガのコングレス・ホールの外側は白い。この日は天気が良かったこともあり、すごくキレイだった…。だけどナチの建物を「きれい」と形容するのは憚られ、微妙な気分に…。

そしてツェッペリン広場。1909年にツェッペリン型飛行船がここに着陸したことから、こう名付けられたんだとか。この広場は1933年から党大会の会場として使用されるようになりました。

この図でいくと、14番が「Zeppelintribüne(ツェッペリン・トリビューネ(=観覧席)」
これがトリビューネ。中央に演説台(Führerkanzel、総統用演壇)があり、俗に「ヒトラーお立ち台」と呼ばれているらしい…
ヒトラーのお立ち台。
スケスケのパネルがあり、そこから広場を見ると、当時の様子が重ねて見られるようになっていました。ヒトラーがお立ち台にいる…。

Bundesarchiv, Bild 183-C12701 / CC-BY-SA 3.0
お立ち台の下には、階段状の観客席(?)が…

ツェッペリン広場の広さは、サッカーグラウンド12個分ですって。やたら広い。