グリーニッケ橋を渡ったの巻
2015年 09月 11日
この日記から引用いたしますね:
グリーニッケ橋 スパイの交換については → コチラ (ドイツ語ですが)
グーグルマップで見ると… → コチラ
『橋の上でスパイの交換だなんてそれこそ映画の世界の話かと思いきや、実際に行われたんですね。1962年2月10日、ソ連に捕らえられたCIAのスパイ1名と、アメリカに捕らえられたKGBのスパイ1名が、この橋の上で交換されたんだとか。1962年といったら、ベルリンの壁が建てられた翌年、キューバ危機の直前。ホントに冷戦の真っただ中だった時ですね。そしてこのスパイ交換は1回ではありませんでした。2回目は1985年6月11日。CIAのスパイ23名と、東側のスパイ4名が交換されたんだとか。(このドイツ語記事によると、この人数の差から、CIAのスパイが“雑魚(kleine Fische)”だったことが分かる、とあって思わず苦笑…。ドイツ語も日本語も同じ発想なんですね) さらに翌年の1986年2月にも、スパイ交換が行われております。まさに歴史的な場所だったのでした。』
…ということで、いざ現地へ。
昨年の夏、ポツダムのバーベルスベルク公園から撮りました。旧東ドイツです。思いっきり拡大したのですが、限界ですね… ちょっと不鮮明。
かつては、こんなだったのですね。これはアメリカ占領区、すなわち旧西ベルリンから見た景色。
そして、今はこんな感じ。危険を知らせる看板がなくなり、街灯が立ちました。手前は旧西ドイツのベルリン、向こうは旧東ドイツのポツダム。
橋の左側から見ると…
1904~1907年の間に造られたそうです。しかし第二次大戦で破壊され、戦後に再建。ですが壁の建設後は、連合軍の軍関係者と外国館しか通れなくなってしまったとか。
橋の塗料をビミョ~に変えたそうで、国境部分の継ぎ目から色が変わっています。ベルリン側(旧西ドイツ側)のほうが色が濃いとのこと。改めて1枚目の写真を見てみると、向かって右側が濃い。濃いほうがベルリン、左側の薄いほうがポツダムです。
現在の路面はこんな感じ。
今でこそ穏やかな湖にかけられた美しい橋ですけれど、ここも大戦~冷戦時代は大変だったんですね…。かつての国境を渡りながらそんなことを考えたのでした。