そしてザクセンハウゼンKZ(強制収容所)へ…
2015年 09月 02日
ブーヘンヴァルト強制収容所へ行った記録は → コチラ
S-Bahn のS1でフリードリヒシュトラーセ駅から終点のオラニエンブルクまで行き、そこからバスに乗り換えればよいのです。ところが工事だか何だかで電車は途中でストップ。途中の区間だけ Ersatzverkehr (よ~するに代わりのバス)を利用しましょうってことですな(汗)。距離は大したことがないんだけど、乗り換えやら何やらで時間がかかりました。帰りはDB(ドイツ連邦鉄道)の Regionalbahn (レギオナルバーン)を利用。オラニエンブルクから中央駅まで行ってくれます。同じ切符で乗れますし、こっちのほうが速くて快適でした。klimatisiert (クーラーつき)だしね。←昔と違い、気温が高くなったドイツでは、クーラーがついているかどうかも利用のポイントとなってしまいました…。
何度か乗り換えながら、ようやくたどり着いたオラニエンブルク駅。ここからバスで数分。「Gedenkstätte」で降ります。
「GEDENKESTÄTTE UND MUSEUM」の文字が書かれた壁。
敷地内を進むと、強制収容所の門が見えてきます。
アウシュヴィッツに掲げられていることで知られる、「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」のスローガンがここにも。なんという皮肉…! ちなみに、昨年行ったブーヘンヴァルトでは「JEDEM DAS SEINE (各人にはそれぞれが応分に持つべきものを与える)」というスローガンでした。
全体像。白くて分かりづらいですが収容所は三角形▲で、バラックは放射状に建てられておりました。
映画「ヒトラーの贋札」でも出てきた、収容所内のバラック。
ここから先、ご興味のある方は下をクリックしてくださいませ。
遺体の処置室。
処置台。中央に向かって少し傾斜がついており、中心に排水溝があります。汚れたら水で流せたんでしょうね。今でこそタイルが欠けたりペンキが剥げたりしていますが、当時はおそらくピカピカで衛生的だったのでしょう。誰のための「衛生」?と考えるとつらい。
手押し車で遺体を搬送するためのスロープ。足(?)の引っかかりのためか、中央はギザギザが刻まれております。作業の効率を上げるための工夫が悲しい。
この場所で、1940年11月9日(!)にSS(ナチ親衛隊)による最初の虐殺が行われた模様。33名のポーランド人が殺害されたそうです。
銃殺刑を行ったあと、弾は回収したそうです。
奥の屋根があるところで絞首刑を行った模様(涙)。絞首刑用の台は可動式だったようです。
身長を測ると見せかけて、隣接する部屋から壁越しに首を撃って処刑する仕掛け。これはブーヘンヴァルトにもありました。隣に展示されているのは、処刑された犠牲者たちの遺品。
火葬場の跡。
ザクセンハウゼンにはガス室がありました。これは終戦直後に撮られた入口の写真です。
ガス室の内部。シャワーに見せかけたノズルがあります。そして右側に監視窓が…。どのくらいの期間、そしてどれだけ頻繁にこのガス室が使用されたかは分からないそうですが、殺害に使用したことは証明されているそうです。また、これに関与した人物は有罪判決を受けたとのことです。
拷問に使った器具。
囚人服。
不謹慎なのですが、併設のカフェで食べたサンドイッチとケーキが意外と美味しかった…。お昼抜きだったので、お腹がすいていたのです。去年、生まれて初めて見たブーヘンヴァルトの強制収容所はショッキングで辛かったのです。ですが今回は二度目だということもあってか、去年より冷静に見ることができました。そして見学後に食事をしてしまったという… ちなみに中身はサラミ、モッツァレラ、トマト、フレッシュバジル+バジルソースでした。イタリアンですね。
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ザクセンハウゼン強制収容所では、「ベルンハルト作戦」のもと、ユダヤ人の職人たちが精巧な偽札を作らされたといいます。このことは、オスカー受賞作「ヒトラーの贋札」で知りました。今回、記念館にこの展示もあるかなーと思いながら来たのですが、見当たらなかった…。たくさん資料が展示されていたので、見落としたのかなぁ?
夏休みということもあり、現地は外国人観光客でいっぱいでした。聞こえてくるのはスペイン語や英語が多かったように思います。若いドイツ人がグループで来ていたのには感心しました。学校行事なのかしら。とにかくこういった負の歴史も包み隠さず子供に見せることは大切だと思います… 人間は(ドイツ人は、ではなく)一歩間違えるとこういうこともしてしまうのだと。