ドイツレストラン『ローマイヤ』へ
2015年 08月 06日
場所は日本橋。看板を見てくださると分かるとおり、なぜかドイツ料理だけでなくパスタやピザなども置いているみたい。深緑が効果的に使われていて、なかなかおしゃれなお店でした。
このアウグスト・ローマイヤー、話だけは聞いたことがあったのですが、詳しいことは知りませんでした。第一次大戦、青島で日本軍と対戦し、捕虜となって日本へ。最終的には久留米の収容所に収容されることになったみたい。毎度ウィキの引用で大変恐縮ですが、時間がないのでお許しを~。以下、ウィキ「アウグスト・ローマイヤ―」から引用いたします(コチラ)。
『食生活の違いから、収容所でのドイツ人捕虜による料理参加は早い段階で認可され、食肉加工経験を持つローマイヤーは調理場を担当した。ローマイヤーは捕虜の料理を作りつつ日本語を習得し、1920年の解放までを過ごした。解放後、ドイツ人捕虜には帰国や在留の選択肢が与えられたが、久留米ではローマイヤーを含む約21名が日本在留を希望し、ローマイヤーは東京帝国ホテルへの就職を決め、東京へと渡った。』
『1920年1月末、東京帝国ホテルに到着し、ホテルが所有していた数頭の豚の飼育と加工を担当した。(中略)複数の客や料理人から絶賛され、独立を決意する。翌年すぐに帝国ホテルを退職し、29歳で大崎に合資会社ローマイヤー・ソーセージ製作所を立ち上げた。』
『1925年、銀座並木通りにロースハムの直売店とレストランを開業し、評判を得るようになると皇族や名士、文化人などが多数ローマイヤーのハムを買い求めにくるようになった』
『ローマイヤが開店したレストランは谷崎潤一郎の『細雪』などにも出てくるように、広く庶民に認知された店となる。また、ドイツ料理を供する店として、戦前から戦後にかけても日独合作映画『新しき土』の制作スタッフや出演者、ゾルゲ事件の首謀者であるリヒャルト・ゾルゲ、ドイツ大使館関係者など、ドイツに関連したさまざまな思想や立場の人間が足しげくこのレストランへ通った』(以上、引用終わりです)
…だそ~です。その後、銀座から日本橋へ移転。経営も一族の手を離れて別の会社の子会社となったようです。
それがですねー、バクバク食べてしまい、写真を撮るのを忘れておりました…。慌てて後半に撮ったので、ソーセージの盛り合わせとかポテトとかは写っておりません。コレ(↓)は、フラムクーヘン。薄い生地にハムなどを載せたもので、アルザスやバーデン地方の名物。
コレ(↓)は、シュヴァーベン地方名物シュペーツレ。ちょっと「なんちゃってシュペーツレ」っぽかったかも。
翻訳者の方々とは翻訳の話、ドイツの話、潜水艦の話、お見合い番組の話(笑)などで盛り上がり、楽しいひとときを過ごしました。ありがとうございましたー。また誘ってくださいませ。喜んで出ていきますー♪