人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日独合作『新しき土』 ファンク版と伊丹版を見て (その1)

 『新しき土』という映画があります。日独合作です。これがですねー、映画自体は「むむ?」となっちゃう作品なのですが、制作されるに至った背景、およびその後がヒジョ~に興味深いのです。ちょっと長くなってしまいますが、もしご興味がありましたらお付き合いくださいませ。
日独合作『新しき土』 ファンク版と伊丹版を見て (その1)_e0141754_22335587.jpg


 日独合作『新しき土』 (1937年)
 ドイツ語タイトル『Die Tochter des Samurai』
 監督:アーノルト・ファンク、伊丹万作
 カメラ:リヒャルト・アングスト
 音楽:山田耕筰 (作詞:北原白秋)
 撮影協力:円谷英二
 出演:原節子、小杉勇、早川雪洲、ルート・エヴェラー

 <簡単なあらすじ>
 農家の息子である輝雄は大和家の養子となり、ドイツへ8年間の留学に出してもらいます。日本に戻ったら、大和家の一人娘である光子と結婚することになっていました。ドイツで西欧風の思想にすっかり染まった輝雄は、留学費用を出してもらった義父に感謝しつつも、自分の思うように生きたいと考えるようになります。そしてドイツ人の恋人ゲルダを伴って帰国するのでした。輝雄の帰国を首を長くして待っていた光子は、ゲルダの存在にショックを受けます。自分の夢がかなわないと悟った光子は、婚礼衣装を手に、火口へ身を投げるべく山を登っていくのでした…。

 …という、日本人からすると「え?なんで火口に身投げ?ジュッとなっちゃうよ!?」と言いたくなっちゃうストーリー。裕福な大和家の庭が厳島神社だったり(爆)、帰国する輝雄を迎えに東京へ行くと、そこになぜか「阪神電鉄」のネオンが出てきたり、BGMが東京音頭だったり…日本人からすると、見ていて「ぎょぎょ!」となるトホホなシーンが満載です。なぜに、こんな「なんちゃってニッポン」が?  …それはドイツ人監督が撮ったからなのです。

 この映画製作の背景は複雑です。第二次大戦の前、日独防共協定を締結する直前にプロジェクトが持ち上がりました。いつもウィキで恐縮ですが、分かりやすく書かれているので下に引用しちゃいます。(以下、引用です)
『この映画の製作背景には日本とナチス・ドイツの政治的・軍事的接近の目論見があった。ナチスの人種主義では有色人種を良く思っていなかったため、ドイツ側は日本のイメージを持ち上げることで同盟の正当性を主張しようとしたのである。折りしも日独合作映画を企画していた川喜多長政とアーノルド・ファンクにドイツ政府が働きかけた結果、この映画の製作となった。1936年2月8日の撮影隊の訪日には日独軍事協定締結交渉の秘密使命を戴したフリードリヒ・ハックが同行、同年11月25日に日独防共協定が締結に至った。1937年3月23日に公開されたドイツでは、宣伝省の通達によりヨーゼフ・ゲッベルスとアドルフ・ヒトラーが自ら検閲して最終許可を与えたことが大々的に報じられた(ただし、ゲッベルスは日記で「日本の生活や考え方を知るのに良い」と評価する一方で、「我慢できないほど長い」と不満を述べている)。』(以上、引用終わりです)

 このフリードリヒ・ハックは、ドイツの撮影隊一行が来日した際に一緒に来ているんですよね。キネマ旬報昭和11年(1936年)2月21日号は、「ファンク博士一行 晴れの入京」との見出しで、彼らが東京に到着した様子を伝えています。その同行者の中に「指揮者ハック博士」の名前も。スタッフということで来日したんですね。その後、一行の動向を伝える報道は加熱するばかりですが、ハックの名前は見当たらない・・・。本来の任務を遂行するために、一行から離れたのかも。

 ところで「新しき土」の宣伝がものすごいのです。まだ撮り始める前からマスコミは大騒ぎ。ドイツ側の監督は山岳映画の巨匠。あのリーフェンシュタールを主役にして何本も山岳映画を撮り、ヒットさせています。そんなビッグな監督が最新式の望遠レンズがついたカメラを手にやってきたのだから大騒ぎするのも当然かも。 日本側の監督は伊丹万作。あの伊丹十三監督のお父さんです。そして主役は伝説の大女優、原節子。当時はまだ16歳だったそうです。確かにきれい。目鼻立ちがはっきりしていて、日本人離れした顔立ちでしたね。しかもスレンダーで品があり、和服も洋装も似合う。この映画の主役にぴったりです。一方、ドイツ帰りの輝雄を演じた俳優さんは、えっと… そのう… ずんぐりむっくりで… いや、これ以上はやめておきます。ローライズを見慣れているせいか、それともこの方が特にそうなのか、とにかく股上の長さが…。もう少しカッコいい人がよかったなぁ。 一方、お父さん役はハリウッドで大活躍していた早川雪洲。さすがの存在感です。

 スタッフも豪華です。音楽は山田耕筰と北原白秋のコンビ。特撮を円谷英二が担当。「ウルトラマン」の原点はここだったか!と感心してしまうシーンがたくさんあります。とにかく、日本側もドイツ側も豪華なスタッフを取り揃えて制作に臨んだようです。

 ところが制作が進むにつれ、ファンク監督と伊丹監督の意見が合わなくなり、結局2人が別々に編集することになりました。そうしてできたのがファンク版(日・独版)と伊丹版(日・英版)。脚本とカメラマンは同じですから、内容はほぼ同じ。違うのは編集方法のみ。ところが、この2つのバージョンが明暗を分けることに…

 とにかく新聞や映画雑誌では、制作に入る前からさかんに宣伝しておりました。そりゃあもう、すごい盛り上がり方。そうして満を持して公開されたんですね。まず伊丹版、そしてその翌週からファンク版。そのファンク版は大絶賛されましたが、伊丹版がボロクソに非難されることになります。当時の雑誌から引用いたしますね。

 キネマ旬報 昭和12年(1937年)2月21日号より引用たします。旧かなづかいは、できるだけ現代のものに変えました。
『「新しき土」伊丹万作版が散々の悪評を受けた後に、ファンク版が封切られて、これは何となかなかの好評である。これでファンク博士もやっと顔が立って、機嫌を直して横浜を立っていったが、ペシャンコに潰れたのは、伊丹万作の顔である。伊丹は日本人の癖にファンクよりも日本を知らん!映画作者としての手腕に於いてもダンチにファンクに劣る!などの声が今や巷に満ちている。伊丹版というのはファンク版のエヌ・ジーでモンタージュしたのだろう、なんて痛い皮肉まで飛び出してくる。となると、それこそイタミ入るなどという下手な洒落では追いつかん。名監督トタンに迷監督のレッテルを貼られて、カナヘの軽重を問われる仕儀となった(中略) 伊丹万作よ!愚痴と言われ、自己弁護とそしられようとも、君は語るべきだ。君が如何にして拙作「新しき土」を生み出したかを』(以上、引用終わりです)

 ヒドイ…!なにもここまで言わなくても…!と、伊丹版を見る前から気の毒になってしまいました。ところがDVDで見られるのは、ファンク版のみ。伊丹版は、なかなか見られないのです。「いつか見たいなー」と思っていましたら、京橋にある国立近代美術館フィルムセンターが上映してくれることになったのです!情報を教えていただき(はせさん、ありがとうございます!)、張り切って見に行ってまいりました。

 感想は明日、書かせてくださいねー。もったいぶって引き伸ばすわけじゃないのですが、長くなってしまいましたので… すみませんっ



***************

こんなの載せちゃってスミマセンっっ KaDeWeの上のほうにある(何階かは失念…)カフェにて。KaDeWeに行くと、必ずここに寄るようになっちゃいました。見よ、このザーネの量!!ミックスベリーのタルトなのですが、甘味を抑えてありました。昔より、砂糖の量が減ったような気がします。昔はやたら甘いケーキが多かったですよね。どうかな。
日独合作『新しき土』 ファンク版と伊丹版を見て (その1)_e0141754_22554565.jpg
 
by Alichen6 | 2014-09-08 22:43 | ドイツ映画

日本にいながらドイツする♪  ドイツ・ドイツ語・ドイツ映画を愛してやまない下っ端字幕ほにゃく犬「ありちゅん」が字幕ほにゃく見習い眉毛犬「Milka」と一緒に書く日記


by Alichen6
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31