ポツダム (その2) バーベルスベルクへ
2014年 09月 03日
グリープニッツ湖にある“小さなお城”で腹ごしらえをしたあと、よいしょっと自転車に飛び乗り今度はバーベルスベルクへ。1912年に初めてここに映画の撮影スタジオが建てられて以来、100年以上ドイツの映画界の中心地となってきたところです。その間、第一次大戦が勃発。戦後はハイパーインフレに見舞われ、ナチの台頭とともにプロパガンダ映画を造り続け、戦後はすかんぴんに。東ドイツの国営スタジオとして再スタートを切り、またまた国策映画を作り続けます。そして壁の崩壊と統一。資本主義の競争という荒波にもまれつつ、今は国内外の作品を撮るスタジオとして生き残っております…。
さてさて、大阪にあるUSJのようなテーマパークがここにもあります。が、そちらには目もくれず、ワタシは別の方向へ。昨日も書きましたが、この界隈に映画スタアの名前をつけた通りがあるハズなのです。そうこうするうちに目に留まったのがドイツの放送局 rbb (ベルリン・ブランデンブルク放送)。入ってみると、古い食堂が…おお、あれはスタアの食堂ではないですか…!
↓ rbb局の入口です。左手に見える赤い屋根がKantine(食堂)。ここでスタアや監督たちが食事をとったらしいです。
↓ 今は一般の人も食べられるみたい。来年、ここで何かを食べるぞ!
↓ 奥が食堂、手前が門のそばに建つ建物。守衛さんがいたのだろうか。
rbb局の売店で、ついつい Sandmännchen (ザントメンヒェン)や Pittiplatsch (ピッティプラッチュ)のキーホルダーを買いこみました。知る人ぞ知る、旧東ドイツのキャラクターです❤
これは1912年に作られたガラス張りのスタジオです。照明が十分でなかった当時、ガラス張りにして撮影していたんですね。これに隣接するレンガ造りの建物が今も残っているという話なのに、実物を見てくるのを忘れました! ああ、グリープニッツゼー駅の写真を撮らなかったことに続き、今回2度目のシャイ●な失敗。これも来年リベンジ。
rbb局の敷地は、そのままバーベルスベルクのスタジオとつながっておりました。ふと見上げたら、ありました!目指していた通りが。
「モロッコ」や「嘆きの天使」を撮った監督、ジョセフ・フォン・スタンバーグ。日本では知名度がイマイチだけど、巨匠に数えられる監督、G.W.パープスト。アメリカに渡った監督、ビリー・ワイルダー。名優エーミール・ヤニングス。そして忘れちゃいけないマレーネ・ディートリッヒ。マレーネ・ディートリヒ・ホールも当時からあったようです。 そしてここでも失敗しちゃった。あと2人、ドイツの映画人の名前があるハズなのです。それを見逃した…(ToT) これも来年、リベンジします。
そしてこの日一番の収穫!敷地内に、ぽつんとミョ~な像が…。そう、知る人ぞ知る「ほら吹き男爵」!ナチの時代、それも終戦間近で国民が疲弊しきった頃に、多額の予算をつぎ込んで作られたカラー作品です。そのほら吹き男爵がこんな所に野ざらしで…!よく見ると上着の下のほうに草が生えてます^^;
…というワケで、失敗も多かったけれど、楽しい1日となったのでした。マニアックな話ですみません。最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。