Friedrichstraße (フリードリヒシュトラーセ)駅
2012年 09月 05日
このフリードリヒシュトラーセ駅が新しくなったことはニュースで聞いておりましたが、きれいになってから見たのは初めて。そして駅のすぐ横に小さな博物館があったのです。かつて、東ベルリンから西へ戻る際に出国審査が行われた建物を改装したっぽい。ぱっと見は小さいけれど、中へ入って愕然!当時の検問所がそのまま残されていたのです!! 公式サイトは → コチラ
↓ フリードリヒシュトラーセ駅の高架。これは当時のままかな。記憶がおぼろげ…
↓ 入口です。「国境経験 ドイツ分断の日常」と書かれています。当時の面影を残すファサード。「AUSREISE」は「出国」の意味です。
↓ 懐かしい!入口はそれぞれの国籍によって分かれていました。「BRD (=西ドイツ)の国民)」「西ベルリン市民」「他の国の人たち」。西ベルリン市民は特に厳重にチェックされたみたいですね。この化粧合板張りのブース、ものすごーく記憶に残っています。そしてニコリともしない係官がパスポートやビザを厳重にチェックしていました。あの異様な緊張感が昨日のことのようによみがえる…
↓ ちょっと分かりにくいかもしれませんが、青のラインは監視カメラですって。やはりカメラで監視してたんですね。
↓ Mindestumtausch と呼ばれた、強制的な両替。東ドイツ滞在1日につき25ドイツマルクを1対1のレートで両替することが義務付けられていました。旅行者から外貨を取るための策。8日間滞在すると200ドイツマルクになりました。でも、当時の東ドイツは物価を統制されていたため、日常品はチョ~安くてとても使いきれないのです。かといって東のお金は西に持って帰ることを許されなかったので、仕方なくレコードや楽譜などを買って使い切りました。
↓ DDR の矛盾を示す一例、インターショップ。慢性的な外貨不足に苦しんだ DDR ならではのお店で、西側の華やかなブランド品や人気商品がウィンドウを飾っておりました。ドルや西ドイツマルクなど、外貨でしか買えないお店。外貨をほとんど持っていない東ドイツ国民にとって、とても残酷なお店でした。ヤコブスの定番コーヒー、Krönung も写ってます。これ以外にシャネルやディオールの化粧品なども売っていました(実は買ってしまった。若いころだったので、つい)。
ほかにも、「密輸」とみなされて没収されたブツや、西への持ち出しを禁止されていた文書などが展示されていて、非常に興味深かったです。東ドイツが消滅して20年以上経っているのですが、昨日のことのように思い出されて複雑な気分になりました…。