波瀾万丈のカール・ツァイス社
2011年 06月 22日
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1846年5月10日、ヴァイマール生まれのカール・ツァイスという機械工が、政府当局に工房設立申請書を提出。せっかちなカールは、認可が下りる2日前にイエナで操業を開始していたんだそ~です。ちなみにビスマルクによるドイツ統一より前の時代。イエナがあったのはザクセン=ヴァイマール=アイゼナハ大公国でした。この大公国はビスマルクによる統一後はドイツ帝国の構成国の1つとなりなりつつ大公国としての地位を保持し、1918年のドイツ革命で大公が退位するまで続いたんだそ~です。知らなんだ。
近くにイエナ大学があったため、カールも聴講して知識を蓄えます。そして『眼鏡や拡大鏡やはかりを売り、大学の物理・化学実験装置の組み立てや修理をするうち、事業は順調に伸びて(HPより引用)』いったんだそうです。やがて本格的な顕微鏡製作に取りかかるようになります。最初はレンズが1枚だけの単純なもの。その成功を機にさらに開発を進め、対物レンズと接眼レンズの2枚からなる高度な顕微鏡を完成させたそうです。
偉大な人の歴史を調べると、必ず「出会い」があるんですよねー。1人じゃなかなか偉業なんて達成できないものですが、優れた人ってやはり優れた人に出会っちゃう。カールにも劇的な出会いがありました。イエナ大学で講師をしていたアッベという優秀な物理学者&数学者と二人三脚で開発を進めることになります。また、優れたガラスの研究者とも出会い、顕微鏡には欠かせないレンズの開発も進めていったんだそ~です。
ちなみに、炭疽菌・結核菌・コレラ菌などの発見で知られるノーベル生理学・医学賞受賞者ロベルト・コッホは、カール・ツァイス社製の顕微鏡を使って研究をしていたんだそ~です。医学の発展を支えたのが、カールの顕微鏡だったんですねー。すごすぎ。(余談ですが、ヨーロッパで大騒ぎになったO-104 のニュースになると、よくロベルト・コッホ研究所の研究員が出てきますよねー。権威のある研究所なんだそうです)
・・・と、医学の発展に大きな貢献を果たしたカール・ツァイス社だったのですが、そこに悲劇が・・・。終戦に伴う東西分断でした。優秀な人材や技術がソ連の手に渡るのを恐れたアメリカが、カール・ツァイス社の経営陣や技術者をアメリカ占領地域へ連れていってしまいました。一方、ソ連はソ連で、賠償金代わりにドイツの工場やら機械やら線路やらをごっそり本国に持ち帰ったのは知られていますが、カール・ツァイス社に対しても同じ。まるで追いはぎ状態。『1947年までにイエナの生産設備は94%が解体され、国外へ運び出され(HPより引用)』たんだそ~です。そして西ドイツに移った元社員たちはヴュルテンベルク地方(ドイツ南部)のオーバーコッヘンでツァイス・オプトン(オプトンはOptische Werke Oberkochen の略語)を設立しました。一方、イエナのカールツァイス社は国営企業カール・ツァイス・イエナ(VEB Carl Zeiss Jena) になりました。余談ですが、カール・ツァイス・イエナといえば、サッカーのチームで有名ですよね。
そして壁の崩壊と東西統一。カール・ツァイス社も東西が再び1つに。経営に行き詰まっていたイエナがオーバーコッヘンに吸収される形での統合だとか。
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な~んか、ざざ~っと乱暴に書いてしまいましたが、とにかく東西分断や再統一など、歴史に翻弄された会社だったんですねー。キザな言い方ですが、確かな技術と伝統があるからこそ、こうした激動の時代を乗り越えてこられたんだなーと改めて感心しちゃいました。
<おまけ タマゴの悲劇>
今日は生協が配達してくれる日でした。とにかく冷凍食品と肉類を冷蔵庫に入れなきゃ~ってことで、ごそごそ冷蔵庫にしまっていたら、玄関で「ゴツン、コロコロコロ・・・」というミョ~な音が。
・・・やられました。ワンコがひっくり返してくれてました。でもって、こぼれた白身をぺろぺろ・・・10個中、割れたのが4個。ちなみに昨夜はお気に入りのピアスをガジガジ噛んでくれました。外れて机の下に落ちていたのです。しゃ●せ~!! お気に入りだったのに。ピアスの被害はこれで2件目。
「しゃい●だなんて、お下品な・・・」