東西ドイツ統一から20年
2010年 10月 03日
ところでワタシは旧ブログでイロイイロと東ドイツのことを書いておりました。読み返してみますと、大したことは書いておりましぇん。当時、東ドイツを旅行した人の多くが体験したことでしょうし、長期滞在なさっていた方からすると、「数日しかいたことがないのに知ったふうなことを・・・」と思われるかもしれません。それでも「当時はこうだったんだ・・・」と、複雑な思いにかられます。
外貨で支払うインターホテルではなく、知人宅に泊めてもらうには事前にビザを申請しなきゃいけなかったですよね~。でもって、1日25西ドイツマルクの両替が義務付けられていたし、到着したときは地元のお役所に届け出を出さなきゃいけなかった。きらびやかなネオンや広告、そしてあふれんばかりの商品の山に慣れた日本人の私にとって、企業の広告や派手なネオンのない大都市は奇異に映ったし、モノがなくてガランとした店内を見ると寂しくなりました。党のプロパガンダは白々しく思えましたし、西の悪口を平然と言う(しかもウソが多い)東のテレビには、ただただ唖然。初めてヨーロッパの地を踏んだときよりも、数倍のカルチャーショックを受けましたです。学生食堂に行くと「スパイがいるから気をつけてね」と言われたし、共産圏名物の長い行列も体験しました。東ドイツの友人宅では、チェコで買ったというコカコーラの缶が床の間みたいなところに鎮座しておりましたし、西ドイツの親戚に送ってもらったというジーンズが彼らの一張羅でした。マイケル・ジャクソンのLP(レコード)やパンスト、ヘアスプレーやマニキュアなどのコスメを西から誕生日に送ったりもしました。便利な西と比べると明らかに不便だし、きれいとは言い難いDDRでしたが、一般の人たちはみーんな、とってもとっても親切でした。行けば心から歓待してくれましたし、拙いドイツ語で日本の話をすると、みんなすごーく喜んで聞いてくれました。嗚呼、すべてが懐かしい・・・
今日、たまたまこのブログにお立ちよりいただいた方、ご興味がありましたらご覧になってくださいね。昔から拙宅へ来てくださっている方は、もう読んでくださった日記でして何度もすみません。
東ドイツ関連 → コチラ
DDRを描いた映画というと、やっぱりコレですな。東西統一をめぐる混乱ぶりをユーモアたっぷりに描いた「グッバイ、レーニン」。でも、東ドイツを揶揄しているように見えて、古きよき東を懐かしむオスタルギーも根底にはある。だからこそ、多くの人たちから支持を得たのでしょう。