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Erzherzog Johann Jodler (ヨハン大公のヨーデル)

 とある映画の中で、このヨーデルが出てきました。あれ?このメロディ知ってる~! …と、無知なワタシは思いました。どこかで耳にしたことのあるメロディ…。実は有名な曲だったんですね。知らなかったのは例によって私だけだったのでしょうか? Erzherzog Johann Jodler (ヨハン大公のヨーデル)。

YouTube画像 → コチラ (埋め込み無効になっていましたので、直接は貼り付けられませんでした)

日本語の訳詞&メロディ(ご注意!音が鳴ります) → コチラ

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 このヨハン大公という人物の一生がドラマチック&ロマンチックなのです。もしかして、みーんなご存じで知らなかったのは私だけかもしれないのですが、横着してウィキから引用させていただきますね。以下、ウィキペディア「ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ(1782-1859)」の項からの引用です。

『女帝マリア・テレジアの三男であるトスカーナ大公レオポルド(後の皇帝レオポルト2世)とスペイン王女マリア・ルドヴィカの13番目の子としてフィレンツェで生まれた。兄たちのうち皇帝となるフランツ2世よりも、有能な軍人であるカール大公に親近感や憧れを抱いていたという。』
『貴族社会よりも山岳を愛し、スイス出身の芸術家の影響でスイスに傾倒するが、やがて自国のチロル地方にも同様に美しい風景があることに気づく。非常に活動的でまた庶民的な人柄であり、シュタイアーマルク州の農業、鉱工業、林業を繁栄へと導き、その他にも学校や病院の開設を進めた。1809年のチロル動乱のおりには民衆の味方でもあった。』
『宮廷に精神的な居場所がなかったことや、貴族の生活に疑問を抱いていたこともあり、長らく結婚することはなかったが、1819年に当時15歳の平民の娘アンナ・プロッフルとトプリッツ湖畔で偶然出会い、清楚な彼女に魅了された。次にあったときから交際をはじめ、彼女を真剣に愛するようになる。1822年に病に陥ったときアンナの存在の大きさを痛感し結婚を決意。疎遠であった皇帝フランツ2世に面会し、一度は結婚許可を得るが、貴賤結婚であるため皇族・貴族等が猛反発し、最終的に当面話題にしないことを約束した。その後ブラントホーフの館で「家政婦」という名目のアンナと生活を共にする。1829年2月、皇帝からの正式な許可が下り、身分差と22歳の年齢差を越えて結婚した。』
『大公の死後、地元の人たちが大公を偲んでいつともなく歌いだしたといわれている歌に「ヨハン大公のヨーデル」(Erzherzog Johann Lied)がある。この歌は日本においても大変有名で、この歌が入っているかどうかでレコードの売れ行きが全く違ったほどである。』(以上、引用終わりです)

長くなってすみません。ヨハン大公がこんな人物だったとは知りませんでした…。身分差を超えて結婚というのは美談ですが、22歳のギャップ婚だったとは…!ある意味ショーゲキ。でも、ふるさとと民衆を愛した人だったんですね…。

ところでウィキに書いてあって驚いたことがもう1つ。指揮者として有名な、ニコラウス・アーノンクールが子孫にあたるとか・・・。ホント?!?
by Alichen6 | 2009-09-14 07:52

日本にいながらドイツする♪  ドイツ・ドイツ語・ドイツ映画を愛してやまない下っ端字幕ほにゃく犬「ありちゅん」が字幕ほにゃく見習い眉毛犬「Milka」と一緒に書く日記


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