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by Alichen6
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3月9日


 1848年3月9日は、ドイツ連邦 (Deutscher Bund)の議会が、黒・赤・金の3色をドイツ連邦の色と定めた日なんだそ~です。どっちかというと自分用の覚書みたいになってしまいました。読んでて退屈だと思います。。。すみません。

ドイツ連邦ってナンジャラホイ? → 『1814~1815年のウィーン会議により、旧神聖ローマ帝国を構成していたドイツの35の君主国と4つの帝国自由都市で構成されることになった連合体。各国公使による合議機関としてフランクフルトに連邦議会が置かれた。1815年のウィーン議定書に基づき、オーストリアを盟主として発足、1866年の普墺戦争のプロイセン勝利をもって解消された。』(ウィキペディア&ミネルヴァ書房「近代ドイツの歴史」より一部引用) オーストリアの外相メッテルニヒが議長を務めたウィーン会議によって発足した連合体です。でもね、ナポレオン支配の反動でドイツではナショナリズムが高まる一方。フランスの2月革命(1848年)から伝播した3月革命なども経験し、何かと不安定で危なっかしかったんだそ~です。

主な加盟国は:オーストリア帝国、プロイセン王国、ザクセン王国、バイエルン王国、ハノーファー王国、ヴュルテンベルク王国、その他モロモロ小さな国たち(●●公国とか、▲▲侯国など)

4つの帝国都市とは:ハンブルク、リューベック、ブレーメン、フランクフルト


黒・赤・金の3色旗の由来は、拙宅の記事の引用で恐縮ですが、コチラにあります。イェナ大学で結成された全学的学生団体「ブルシェンシャフト(Burschenschaft)」が起源というもの。設立に携わった学生たちの多くがリュッツォー義兵団として従軍しており、その制服(黒地に赤のモール、金ボタン)の色をブルシェンシャフトのシンボルカラーとし、赤と黒のストライプに金のフリンジがついた旗を団体旗とした、とする説です。でもね、現在のドイツの連邦会議(Bundestag)のサイトによりますと、この説は好んで引用されるものの、根拠としてはまだまだ「?」な部分が多いんだそうです。

 いずれにしても、この3色が「統一と自由のための戦いの象徴」として広く理解されるようになり、その後ナショナリズムが高まっていく中で大きな役割を果たすことになったのは確かなようです。というのも、「ドイツ連邦そのものは本質的に国民的統一と相容れない組織体であったため、ドイツ・ナショナリズムの熱狂に駆られた人々は連邦に失望感を抱き、中でも血気盛んな学生たちはブルシェンシャフトを結成(「近代ドイツの歴史」より引用)」し、反革命、反ナショナリズムで弾圧しようとする支配者たちに向かっていったとのこと。

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 ちなみにこの1948年3月9日というのは、ドイツ3月革命の直前でした。いろいろ大変な時期を乗り越えてきたんですね~ドイツも。
# by Alichen6 | 2008-03-09 14:52 | 今日は何の日? | Comments(2)

 今朝、ニュースを見ていたら「カタリーナ・ヴィット、プロスケート界から引退」というニュースが飛び込んできました。ひゃ~~~懐かしい。トシがバレますが、カタリーナ・ヴィットが大活躍していた時代をリアルタイムで見ていただけに、何とも懐かしい思いに浸りました。すごかったですよね~。今じゃ難易度の高いジャンプを次々に飛ぶのも当たり前ですが、当時はむしろ芸術性が重んじられた時代でした。美貌はもちろんのこと、スタイル抜群、手足も長~くて優雅かつ妖艶。ため息が出ました。DDR(東ドイツ)の宝とされた選手で、ホーネッカー書記長と一緒に写した写真なども記憶に残っています。西ドイツでも「Kati(カーティ)」と呼ばれて雑誌の表紙をよく飾っていたっけ(だからうちのネコもカーティと名付けたのでありました。単純なワタシ。)

彼女の公式 HP は → コチラ

このHPにありました:
2-fache Olympiasiegerin (オリンピック金メダル 2回)
4-fache Weltmeisterin   (世界選手権制覇 4回)
6-fache Europameisterin  (ヨーロッパ選手権制覇 6回!)
8-fache nationale Meisterin (国内選手権制覇 8回!!)

すごいな~。1988年カルガリオリンピックの「カルメン」YouTube画像は → コチラ

 共産圏の選手たちは、西側の選手以上の重圧にさらされていたようです。国威発揚のためにスポーツが利用されていたわけですから・・・。国家保安省「シュタージ」にも監視されていたというエピソードはよく知られています。私ったら先ほど、アマ●ンで「メダルと恋と秘密警察―ビットが明かす銀盤人生」(文芸春秋、畔上司訳)を注文してしまいました。読んだらまた感想を書かせていただきますね。

最近の映像(短いですけど、肉声を聞くことができます。ich を「イッシ」、nichtを「ニッシ」と発音しています・・・。DDRの友人を思い出しちゃう♪ 胸元がスゴイので男性必見) → コチラ
# by Alichen6 | 2008-03-07 08:11 | ドイツのこと | Comments(2)

 以前、古いほうのココログブログでもご紹介した映画「Baader-Meinhof Komplex」の画像をYouTubeで見つけてしまいました。70年代に世界を震撼させた極左テロ集団たちを描いた映画で、今年の秋にもドイツで公開されるそうです。リーダー格のアンドレアス・バーダーとウルリーケ・マインホフの名前をとってそう呼ばれていたようですね。見たい、見たいわ、見たすぎる~。出演者が豪華絢爛。残念ながらエキサイトブログではYouTubeを直接貼り付けることはできないそうなので、お手数ですがクリックしてご覧になってくださいまし↓

キャストのYouTube画像 → コチラ

そのほかのキャスト → コチラ

ね、ね、すごいっしょ。主役のアンドレアス・バーダーを演じるのがモーリッツ・ブライプトロイ、ウルリーケ・マインホフがマルティナ・ゲデック。そのほかにも「4分間のピアニスト」で鮮烈スクリーンデビュ~を果たしたハンナ・ヘルツシュプルングのお顔も見えます。素顔は童顔でかわいらしいのに、こうした荒んだ役柄がなぜか似合いますな。「ベルリン 僕らの革命」で主役3人組の1人として出演したスタイプ・エルツェッグのお顔も。ナディヤ・ウールも出るんだ~。フォルカー・シュレンドルフ監督の「Die Stille nach dem Schuss」で西側に憧れる東独の少女の役を演じていましたが、この映画を見て以来、この女優さんはいいな~と密かに思っておりました。この人も、荒んだ役や薄幸の女性役をやらせたほうが持ち味が生きるような気が・・・(私が勝手に抱いた印象ですが) 名優ブルーノ・ガンツの顔も見えますね。わ~い♪ 公開が楽しみです。

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Baader-Meinhof Komplex ってナンジャラホイ? 例によってウィキから引用させてください。彼らの活動は70年代のドイツ社会に暗い影を落としたそうで、しばしば映画でも「RAF」という言葉で出てきます。
『ドイツ赤軍、バーダー・マインホフ・グルッペ(Rote Armee Fraktion, RAF, Baader-Meinhof Gruppe)は、第二次世界大戦後のドイツにおける最も活動的な極左民兵組織、テロ組織であった。同組織は1970年代から1998年まで活動を行い、20年以上の活動で多数の著名ドイツ人を殺害した。』(以上、ウィキペディア「ドイツ赤軍」の項目より引用)

『アンドレアス・バーダー(Andreas Baader、1943年5月6日 - 1977年10月18日)は、西ドイツのテロリスト。ドイツ赤軍の創設者、指導者の一人。

ミュンヘン出身。高校を中退後、犯罪に手を染めるようになり、1968年にウルリケ・マインホフ、グドルン・エンスリンらと極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」(後にドイツ赤軍と改称)を結成し銀行強盗、爆破、誘拐、窃盗などあらゆる犯罪に手を染めた。1970年にレバノンのPFLP訓練施設で数人の仲間とともに戦闘訓練を受け、1972年5月には西ドイツ各地で連続15件の爆破事件を起こした。

1972年6月1日、フランクフルトで銃乱射をして逮捕され、シュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所に収監された。ドイツ赤軍は彼を釈放させるために1977年10月にはルフトハンザ機をハイジャックしたが失敗。これに絶望してか他の二人の仲間と共に獄中でピストル自殺をした。獄中でなぜピストルが手に入れられたかなど現在でも真相は不明である。』(以上、ウィキペディア「アンドレアス・バーダー」の項目より引用)
# by Alichen6 | 2008-03-05 00:31 | ドイツ映画 | Comments(2)

3月4日


 「3月4日」で検索したら、次の項目が出てきました。

1152: Nach dem Tod Konrads III. wird Friedrich I. Barbarossa als zweiter Staufer in Frankfurt am Main zum römisch-deutschen König gewählt. (Wikipedia)

いつも何かと話題のウィキペディアからの引用ですみません。裏取りは一応しております・・・。1152年の3月4日に、シュタウフェン家のフリードリヒ1世“赤ひげ王(バルバロッサ)”が、おじコンラート3世の死を受けて神聖ローマ帝国の“ローマ王(römisch-deutscher König)”に選出された日なのでありました。ただし、教皇から神聖ローマ帝国の冠を授けてもらう前なので、厳密には“神聖ローマ皇帝(römisch-deutscher Kaiser)”ではないんだとか。皇帝に即位するのは1155年なんだそうです。ややこしい・・・。

e0141754_152157.jpg それにしても「バルバロッサ」って懐かしい響き。世界史で出てきましたね。授業では「ホーエンシュタウフェン朝」と習いましたが、これはシュタウフェン家の城がホーエンシュタウフェンという山地にあったことからそう呼ばれたんだそうです。その中にシュタウフ山(Burg Stauf)があるんだそうですよ~。話はそれるのですが、Merowinger → 「メロヴィング王朝(の人々)」、Karolinger → 「カロリング王朝(の人々)」と訳すなら、Staufer → 「シュタウフ王朝(の人々)」という風に、「シュタウフェン王朝」ではなく「シュタウフ王朝」という日本語になりそうなのに、そうでなかったのはなぜでしょう?深い事情でもあるのかなぁ?ご存じの方、ご教示くださいまし。

 この赤ひげ王バルバロッサ、なかなか優秀な人物だったそうな。おじのコンラート3世には息子がいたのですが、甥っ子の才能を見抜いていたのでしょう。後継者には息子ではなく、甥を任命していたのだとか。

 英雄に伝説はつきものなのですが、この赤ひげ王にも伝説があるんだそ~です。その1つが、テューリンゲンにあるキーフホイザー山で今もなお、眠り続けているというもの。世界がこのバルバロッサを必要としたときに目覚めると信じられているんだそうです。(余談ですが:ドイツ語で検索すると、この伝説についてたくさんヒットするのですが、笑ってしまったのがer sitzt und schläft auf einer Bank という文。「えっ ベンチで寝ている?!?」と読んで一人で大ウケ。Bankってこの場合は何かの台を指すんでしょうが、私は公園のベンチを想像してしまいました・・・よくいるでしょ、公園のベンチで寝そべっているおじさんが。)
# by Alichen6 | 2008-03-04 07:14 | 今日は何の日? | Comments(4)

 今頃になって書くのもお恥ずかしいのですが、昨年公開されたドイツ映画 『素粒子』をようやく見ました…。今頃何言ってるの?もう見ちゃったよーという方も多いと思います。自分用のメモも兼ねて書かせてくださいませ。実は今回、同じオスカー・レーラー監督の作品『アグネスと彼の兄弟』も一緒に借りて連続で見たのです。出演者もかなりカブっていますし、根底に流れるものがよく似ていて、ちょいと「ギョギョっ」となりました。

 じっくりあらすじを書く時間がないので、昨年公開された時の劇場「ユーロスペース」さんのHPから引用させていただきます。

以下引用
『「人生は期待に満ちていて、それを裏切る」
幼い頃、両親に養育放棄された異父兄弟―国語教師の兄・ブルーノと、生物学者の弟・ミヒャエル。ブルーノは結婚生活を送る満たされない愛の欲求を強烈な性的欲望にすりかえ、ヒッピー集団のキャンプや風俗クラブへ出向くようになる。一方、天才的な研究者として隠者のような生活を送るミヒャエルは、クローン技術を応用した人間の進化の方法を模索する。そんな二人に転機がおとずれる…。現代社会の恐ろしいほどの愛の欠如と絶望感を、ユーモアと悲哀を交えて痛烈に描いた問題の恋愛劇。』
(以上、ユーロスペースのHPより引用)

 母の愛を知らずに育った兄弟は、まったく違う道を歩みます。特に兄のブルーノは精神を病み、満たされない思いに苦しみながら紆余曲折の人生を歩んでいます。最後は救いを求めて精神科に自ら戻っていくわけですが、その過程の描き方・演じ方は見ていて心にしみます。ネタバレしてしまうので詳しくは書けませんが、病院の廊下のシーンではワタシったら涙がボロボロ・・・。期末試験のため、早く帰宅した子供が「ギョッ」と驚くほどボロボロ・・・ 「愛」「死」「苦しみ」「孤独」といった重苦しいテーマなのですが、エンディングで救われるような気持ちになります。

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 話題になった映画なので、ご覧になった方も多いと思いますが、もしまだ見ていらっしゃらなかったらご覧になってみてくださいまし。モーリッツ・ブライプトロイが「性的欲望を抑えられない男性」を演じるのは「アグネスと彼の兄弟」以来2度目ですが、これが彼の地とちゃうか?と思うくらい上手。平たく言えば、「ヘンタイの役」ってことです、はい。弟のミヒャエルを演じたクリスティアン・ウルメンも晩熟(おくて)の天才学者っぽい雰囲気を出していましたが、むしろ若いころのミヒャエルを演じた若手俳優さんが光っていたように思います。「クレイジー」「アグネス~」でも出演していたトム・シリングという俳優さんです。うっしゃー 目をつけておこうっと。

 そのほかにも出演者がゴーカでした。私が好きなヘルベルト・クナウプというおじ様(「善き人のためのソナタ」でシュピーゲル誌の記者役でした)、コリンナ・ハルフォーフ(「ヒトラー、最期の12日間」でゲッベルス夫人役を熱演)など、大物がゴロゴロ。「善き人のためのソナタ」「マーサの幸せレシピ」のマルティナ・ゲデックは、場末チック・孤独・物悲しく荒んだ役を演じさせると天下一品だと思ってしまいました。自由奔放な母を演じたのは、ニーナ・ホス。「イェラ」「マサイの恋人」といった作品に出演していました。華があって美しい女優さんです。

 今頃こんなこと書いてホントお恥ずかしいのですが、自分用のメモも兼ねて書いちゃいました。大人の話なので、「大人のシーン」もてんこもりなのですが、不思議といやらしい感じは受けませんでした。原作はかなり難解だといううわさですが、ぜひ読んでみたいと思った次第です。
# by Alichen6 | 2008-03-03 14:24 | ドイツ映画 | Comments(14)

 「オーデコロン」の語源が「ケルンの水(Kölnisch Wasser) だということは、すご~く有名ですよね。中でも最も有名なのが、「4711」。青いラベルのこのコロン、日本でも通販などで見かけます。この「4711」、歴史を調べるとこれがまた面白いのです。

4711の歴史(公式HP) → コチラ

e0141754_11224818.jpg 歴史は18世紀末、1792年にさかのぼります。裕福な商人の御曹司、Wilhelm Mülhens (ヴィルヘルム・ミューレンス)の結婚式が盛大に執り行われました。結婚式の贈り物の中に、修道士から贈られた古い羊皮紙がありました。"aqua mirabilis (Wunderwasser、奇跡の水)" の処方を記したものです。早速ヴィルヘルムは自分の家に工房を建て、この処方に従って奇跡の水を作って販売し始めたのだそうです。

 当時のケルンはフランスの統治下にありました。1796年には、市内の家1軒1軒に続き番号を振るように命令が下され、フランスの軍人が馬に乗りながら戸口に番号を書いていったそうです。ミューレンス家に割り振られた番号が4711だったのでありました。当時、ケルンには50以上ものケルン水が販売されており、それらと区別するために 4711 を商品名につけたそうです。

 このケルン水、「元気を取り戻す効能」「安定剤としての効能」があるとかで、かのゲーテやワーグナーも愛用していたとかいなかったとか。(HPに書いてありました。ホントか?) 香水というより、薬という感覚だったようです。

e0141754_11231373.jpg 1810年にナポレオンが「すべての治療薬の処方を開示するように」とのおふれを出したんだそうですが、ミューレンス家は「これは治療薬ではなく、あくまでも Duftwasser(香水)です」と言い張り、処方の開示を頑なに拒んだとか。これ以降、ケルン水は「薬品」ではなく「香水」として販売されるようになり、今も4711の製造法は企業秘密として代々伝えられているんだそうです。

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 いつも思うのですが、伝統ある「モノ」って必ず歴史と深い結びつきがありますよね(←当たり前ですが)。個人的にはこの香り、あんまり好きじゃないのですが(ミューレンスさん、ごめんね。でも香りは絶対にフランスのもののほうが素敵だと思っちゃう) こういった歴史を調べると、すごいなぁ~と感心してしまいます。
# by Alichen6 | 2008-03-02 09:56 | ドイツのモノ | Comments(2)

*某所で書いた日記の一部を転載・加筆しちゃいました~。

 いきなりですが、前からギモンに思っていたことがあるのです。「マーマレード」というと、英語圏および日本では、オレンジなどの柑橘類を砂糖で煮詰めたものを指しますが、ドイツ語の Marmelade はいわゆる「ジャム」。柑橘類じゃなくてもオッケ~。「ブルーベリーのマーマレード」もアリ。私が大好きなのは「ラズベリーのマーマレード」。不思議だな~と思っているのは私だけ?

 検索したところ、「マーマレード」「marmalade」の語源には諸説あるようです。どれが正しいのかいな?
1)ポルトガル語のマルメロ(カリンの一種)から
2)ギリシア語 melimelon (はちみつのように甘いメロン)から
3)mar-(はちみつ)+ mal (リンゴ)+ ade (…で作られたもの)から
4)船酔いしたスコットランドのメアリー女王がオレンジのマーマレードを食べて回復したんだそうです。船員たちが「Mary malade!(メアリーが病気だ!)」と言ったそうですが、そこから来てるとか…ホントか?

 オレンジ・マーマレードの起源は18世紀にさかのぼるそうです。オレンジを山積みにしたスペイン船が嵐のため、仕方なくスコットランドのダンディーという港に停泊していたそうです。嵐はなかなか収まらず、積み荷のオレンジはどんどん古くなっていく・・・。オレンジなんて南国の果物はほとんど見たことがないスコットランドの人々。ある女性が見かねてそのオレンジを砂糖で煮たんだそうです。それがあまりにも美味でみんな大喜びした、という言い伝えが残っているんだとか。(詳しくはコチラを)

 ドイツでは一般的に、いわゆる「ジャム」の総称としてMarmelade を使っていますよね。ところが1982年にEC(当時はECでしたよね~)の条例に従い、ドイツでも「Marmelade という名称は、柑橘類で作られたものにしか使わないこと。それ以外は、粒入りならフランス語由来の Konfitüre (コンフィテューレ)という名称を、粒のないゼリー状なら Gelee (ジェレー)という名称を使用する」と定められたんだそうです。 マーマレード発祥の地である英国にならったんでしょうね。

 確かに Konfitüre という単語もよく耳にします。が、一般の人たちは、粒があろうがなかろうが、柑橘類だろうがイチゴだろうが、やっぱり Marmelade と言っているような気がするんだけどなぁ。イチゴジャムなら Erdbeerkonfitüre じゃなくて、Erdbeermarmelade と呼んでいるような気もするのですが… そのあたり、どうなんでしょう?

 …ということで Wiki を見てみましたら、載ってました。2003年に規制が緩められ、中小のジャム製造業者には、国内で販売するものに限ってオレンジ以外の果物で作ったジャムにも Marmelade という名前をつけてよいとの例外が認められたそうです。これはEU議会も承認したそうで、輸出向け以外は堂々と「Himbeermarmelade」などという名称のラベルを貼ってもいいようですね。だから巷では今でも「Konfitüre」と呼ばずに「Marmelade」と呼んでいるんだ~ ナットク。

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Villeroy & Boch (ヴィレロイ・ボッホ)の小さなマルメラーデ入れ。カワイイっしょ。
# by Alichen6 | 2008-02-29 10:18 | ドイツの食べ物 | Comments(8)

 年初から公開中の「ヒトラーの贋札」を見てきました。アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したということで、さぞかし混んでいるのでは・・・と思ったのですが、朝一番の回だったこともあり、結構すいておりました。

<簡単なあらすじ>
 ユダヤ人のサリーは天才的な腕を持つ印刷工。その技術を生かして偽札や偽造パスを作り、その名を世界に知らしめていました。しかしそんなサリーもお縄となり、強制収容所送りとなります。そしてほかのユダヤ人収容者と同様、過酷な労働を強いられ、仲間が次々と死んでいく中で屈辱と恐怖の日々を送っていました。ところがある日突然、ザクセンハウゼン収容所に移送されます。偽札を流通させることで敵国の経済に打撃を与えようとする「ベルンハルト作戦」のためでした。

 同じ印刷工の収容者ブルガーはサボタージュや団結をサリーたちに呼びかけ、ナチスに抵抗しようと試みますが、サリーはおとなしく偽札を作ることで少しでも生き延びる道を選びます。彼らが収容所内の作業所で作ったポンド紙幣は見事イギリスの銀行の検査をすり抜け、その精巧さを証明することになります。次に作るのはドル紙幣。ところがブルガーのサボタージュにより、なかなか完成に至らないまま時が過ぎていきました。

 完成を急ぐナチス側はサリーたち印刷工に圧力をかけるようになります。サボタージュを続けるブルガーに賛同できないサリーでしたが、正義を全うしようとする彼の主張に多少なりとも共感を覚えるのでした。結核を患う若いユダヤ人収容者コーリャを気遣い、ほかの収容者とも仲間意識が芽生え、サリーは自分だけ生き残ればよいとは思えなくなります。しかし運命は過酷でした…

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 監督は「アナトミー」「アナトミー2」などで知られるシュテファン・ルツォヴィツキー。この監督はドイツ人ではなく、オーストリア人だったんですね。私ったら今回初めて知りました。てっきりドイツ人かと。主人公サリーを演じたのはオーストリアの人気俳優カール・マルコヴィッチ。実はこの俳優さんの出世作をごく最近見ることがありました。だもんでこの映画を観るのを楽しみにしていたのです。出世作となったドラマでの役柄は「お人好しで少々ヌケたところのある刑事」。このイメージが強かっただけに偽札造りの悪党には見えませんでした・・・。ブルガーを演じたのはドイツの人気若手俳優アウグスト・ディール。ちょっと神経質かつ繊細で、気難しい若者を演じさせればピカ一ではないかと思います。親衛隊将校を演じたのは、「イェラ」「厨房で逢いましょう」でも出演したデーヴィト・シュトリーゾフ。この人も最近、ちょくちょく見かけるような気がします。

 「アナトミー」のときも感じたのですが、ルツォヴィツキー監督はセットの細部までこだわる監督さんのようです。小道具一つ一つに至るまでおそらく正確な時代考証のもとに作られたのではないかと思われます。ついつい細かいところに目が行ってしまいました。ベッドのスプリングってこんなだったのね、とか、偽札の原版ってこうやって作るのね、とか。実話をもとにしているだけに話はリアリティに満ちています。収容者たちの言動に目を光らせるカポ(kapo:強制収容所でほかの囚人を監督する囚人)の非情な振る舞いに私まで腹を立て、収容者が殺されるシーンでは思わず目をおおいました。欲を言えば、主人公サリーの心情にもっと迫ってほしかったな~。精神が極限状態にある、というのがもっと伝われば、よりリアルになるんじゃないかと。何となく感情移入しきれぬまま終わってしまった感もあります。もちろん、私の個人的な感想なのですが。

 なお、ブルガーは実在の人物をモデルにしています。お年は90を超えるそうですが、ご健在とのこと。妻がアウシュヴィッツで死んだのは自分のせいだとの自責の念にかられ、過去の呪縛から立ち直るのに40年を要したとのこと。高齢ながら昨年来日を果たし、語り部としての責務を果たすべく、日本でも自らの経験を語ったそうです。この方については過去ログ → コチラを。
# by Alichen6 | 2008-02-27 15:59 | ドイツ映画 | Comments(4)

ごあいさつ


 こんにちは。下っ端字幕翻訳犬「ありちゅん」です。昨年末までココログでブログを綴っておりました。ココログのブログに来てくださいました多くの方々に、改めて御礼申し上げます。最初は気分転換のつもりでブログを始めたのですが、そのうちに多くの方々が来てくださるようになり、「せっかく貴重な時間を割いて来てくださったのに、ショボい内容じゃ申し訳ない」との思いから、せっせと更新するようになりました。

 そ~なると、本業との兼ね合いもあり、しんどくなってくるんですよね。本業の息抜きが目的だったのに、本業を圧迫するようではいけない・・・と。本業で自信が持てないこともあり、「このままじゃいけない!」との焦りから更新をやめました。駄文ではありましたが、ちょこちょこ綴るのは楽しかったです。ドイツつながりで知りあいになれた方々との楽しい交流は何物にも代えがたく、つながりが切れてしまうのは悲しかったのですが、本業最優先のために仕方ないと思いました。

 …が!1月2月は楽チンでよかったのですが、やっぱり「あ、これ書きたいな~」「あ、この話題、みんなで盛り上がりたい!」ということがちょこちょこ出てきてしまい、むむむ~っと迷い始めてしまいまして。

 で、本業を圧迫しない程度にちょこちょことまた書いたりしちゃおうかな~と思ってしまったのであります。ここんところ、その日の日付で検索し、その日にドイツでは何が起きたかを調べて一人で楽しんでおりました。とりあえず、たま~に「今日は何の日?」をテーマに書いちゃおうかな~と思うようになった次第です。きっちり調べようとすると負担になるので、それこそウィキペディアから引用したり、事実だけを書いたりする程度になると思うのですが、もしご興味がありましたら、またお立ち寄りくださいませ。と言っても、大した内容が書けるわけではなく、また素人の駄文をお見せするのは申し訳ないとの思いも相変わらずあるのですが。それから、私的には絶対に外せない「食べ物ネタ」「映画ネタ」も時折ちょこっとだけ…。

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# by Alichen6 | 2008-02-26 11:08 | つぶやき | Comments(18)

2月26日


 2月26日といえば、私たちが真っ先に思い出すのは二・二六事件。ドイツでの二・二六とは何じゃ?と思い、検索してみました。

1871年2月26日に、普仏戦争(Deutsch-Französischer Krieg)の仮講和条約 “Vorfrieden von Versaille(ベルサイユ仮講和条約)" が締結されておりました。その直前の1月18日にヴェルサイユ宮殿の鏡の間にてプロイセン王ヴィルヘルム1世のドイツ皇帝即位が宣言され、ドイツ帝国が成立していますよね。1月28日には休戦協定が、さらに5月10日にフランクフルトにて正式な講和条約が締結されています。

鏡の間で皇帝に即位するヴィルヘルム1世の絵は・・・ → コチラ すごく混雑してますな。

仮講和条約を国民に知らせる官報は → コチラ

左がフランス語、右がドイツ語です。冒頭だけ書き出しますと:Zwischen dem Kanzler des Deutschen Reichs, Herrn Grafen Otto v. Bismark=Schönhausen, der mit Vollmacht Seitens Seiner Majestät des Deutschen Kaisers und Königs von Preußen versehen ist, dem Staatsminister des Außeren Seiner Majestät des Königs von Bayern, Herrn Grafen Otto v. Bray=Steinburg, dem Minister der auswärtigen Angelegenheiten Seiner Majestät des Königs von Württemberg, Herrn Freiherrn August v. Wächter, dem Staatsminister, Präsidenten des Staats=Ministeriums Seiner Königslichen Hoheit des Großherzogs von Baden, Herrn Julius Jolly, ...

Reichs-Gesetzblatt とはナンジャラホイ? → 1871年から1945年まで発行されたドイツ帝国官報で、条約・法律・法規命令などが記載されたんだそうです(小学館独和大辞典参照)

5月に締結されたフランクフルト講和条約にて『フランスは東部のドイツ人居住地域であるアルザス・ロレーヌ地方3県を失い(1919年までドイツ領エルザス=ロートリンゲン州)、20億フランの賠償金の支払いを義務付けられた。またフランス領内に進駐していたプロイセン軍は1873年9月まで駐留することが決定された(ウィキペディア「普仏戦争」より引用)』 

「最後の授業」を思い出します…。拙宅の記事で恐縮ですが → 「最後の授業」が消えたわけ
# by Alichen6 | 2008-02-26 08:33 | 今日は何の日? | Comments(0)

2月18日


(某所に載せた日記の転載です。もう読んでくださっている方には2度目で申し訳ないです~)

 今年に入ってから、ちょくちょく「今日は何の日ふっふ~♪(←分かる人には分かっていただけるネタ)」ってワケじゃないのですが、ちょくちょく「今日は何の日」かチェックしております。

 今日2月18日を検索してみました。結構いろいろなことが過去に起こっていたんですね。

1943年2月18日:「白バラ抵抗運動」で知られるゾフィー・ショルが兄とともにミュンヘン大学で反体制のビラをまき、逮捕された日でありました。この2人は映画「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」で有名になりましたが、私は1982年に製作された「白バラは死なず」も好きです。ご参考までにウィキペディアから引用させていただきますと:

『ゾフィーは兄のハンスとともに、ミュンヘン大学において白バラ抵抗運動のメンバーが起草した抵抗ビラのうち、6番目のビラを屋上からばら撒いたところを大学の職員に発覚され、ゲシュタポによってハンスと共に逮捕された。尋問においてゾフィーもハンスもビラがあったことを知らずに落としてしまったと否定していたが、ハンスの住居からハンスが所有していたビラの草案とクリストフ・プロープストの数通の手紙、8ペニヒの切手数百枚が発覚し、また若い男が住居の近くの郵便局で大量の切手を買ったことが報告されため、ビラの作成は2人で行ったものであるとしてクリストフ・プロープストから嫌疑をそらそうとしたものの、プロープストは捕えられた。

逮捕の4日後の2月22日、民族裁判所長官ローラント・フライスラーは起訴されたゾフィー、ハンス、クリストフ・プロープストを感情的に怒号しながら非難する口調で尋問をし、戦時にビラをまくことで、軍需のサボタージュと国家社会主義体制の破壊とヒトラーへの誹謗中傷を行い、利敵行為を行い、ドイツの防衛力を破壊しようと試みたとして死刑判決を下した。その際に弁護人は被告の3人を弁護するどころか恥ずべき行為をしたとして非難までした。しかし、3人とも自分たちの行為は多くのドイツ人が内心では支持しているのだとして、堂々とした口調で反論をした。

判決が下されたその日の夕方5時ミュンヘン・シュターデルハイム執行刑務所においてゾフィーはハンス、クリストフ・プロープストと共にギロチンにかけられ、21歳の短い生涯を閉じた(引用終わり)』

同じく1943年2月18日、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスがシュポルトパラストにおいて演説を行い、総力戦を宣言していたんですね…。Wollt ihr den totalen Krieg? (諸君は総力戦を望むか?)という演説はドイツ人の間でも有名らしく、この口調を真似するシーンを映画で何度か見かけたことがあります。

YouTube によるゲッベルス演説の画像は → コチラ

私は戦争は断固反対ですが、こうした過去の画像を見て歴史を知ることって大切なんだな~と改めて思います。この演説、明瞭な発音で非常に聞き取りやすく、分かりやすい内容だったんですね。「洗脳」のパワーを感じます…。
# by Alichen6 | 2008-02-18 13:42 | 今日は何の日? | Comments(4)

プロフィ~ル


当ブログへようこそおいでくださいました。ドイツの映画やドラマの字幕翻訳をしておりますほにゃく犬「ありちゅん」と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

<職歴>
大学卒業後、ドイツにある某邦銀で働きました。帰国後、今度は東京にあるドイツ系金融機関へ。出産後は諸事情で外へ出られず、在宅で実務翻訳を始めました。そして1998年にとある字幕翻訳家の先生に弟子入りし、2000年からフリー。現在に至ります。

<好きなこと>
根っからのドイツかぶれですので、ドイツに関係あるものなら何でも大好きです。詳しくないけど音楽も好き。ドイツの庶民の文化や生活様式に興味があります。歴史も好き。

連絡先は・・・ minako-deutsch●w4.dion.ne.jp (●をアットマークに…) 


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# by Alichen6 | 2008-01-01 14:48 | Comments(6)

 画像を皆様にお見せしちゃったりして、ずびばぜん~。もしご興味がありましたら、ご覧になってみてくださいまし。旅行記を書いたブログへ戻るには → コチラ

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↑ 板東俘虜収容所ロケセット入口 公開最終日に滑り込みセ~フ 雨は止んでいましたが、寒かったです~
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↑ ドイツ式体操が披露されたというウワサの鉄棒
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↑ 俘虜たちが暮らしたバラック
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↑ バラックの中 こうして仕切りがあったそうです
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↑ 「禁煙」「整理整頓・清潔に」 さすがドイツ人!
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↑ 当時の筆記体。読めませんな、こりゃ。「浴槽の中で石鹸を使うべからず」 日本式のお風呂だからね♪
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↑ 印刷所 収容所内で発行された新聞「Die Baracke」もここで印刷されたんだそ~です
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↑ 印刷所の中 紙類が散乱してますな ちょっと埃っぽい
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↑ 音楽会のポスタ~ 当時、ドイツ帝国の国旗は赤・白・黒でした
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↑ 展覧会のポスター 当時の地元住民はおったまげたことでしょう 日に当たって退色しちゃってます
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↑ 製パン所 ブレーツェルの看板が嬉しいのだ
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↑ パン焼き釜 リアル~
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↑ 粉のはかり リアル~
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↑ トイレでごじゃるよ。ポスターにご注目。「セットにつき実際には使用できません」 どうりで便器などが置いてなかったワケだ よそのセットはリアルなのに、ここだけは空っぽ
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↑ 管理棟です
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↑管理棟の中 帳簿みたいなものが山積みになっておりました
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↑ ドイツから届いた小包 小道具の芸が細かいです 当時の日本の配達員の人たち、この筆記体が読めたんでしょか
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↑ みんなが大好き酒保 酒癖の悪い俘虜は、ここでクダを巻いていたんだろ~か
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↑ 酒保の中のカウンター ぐびぐび~~ っぷふぁ~
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↑ 酒保の隅っこに置いてあったオルガン
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↑ 所長室でござる
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↑ カンテラみたいな明かり
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↑ 板東俘虜収容所研究のメッカ、鳴門市ドイツ館。とてもきれいな設備でした。特別許可をいただいて貴重な資料も撮影させていただいたのですが、ブログ掲載の許可まではいただいていないので、資料のお写真は載せませんでした・・・
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↑ 俘虜が建てた「めがね橋」 カワイイ
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↑ 同じく「ドイツ橋」 ゾウが踏んでも壊れないア~●筆入れ並みの強度を誇ります
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↑ 看板に2つの橋が架けられた経緯が書かれております
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↑ 日本で命を落とし、祖国の地を踏むことができなかったドイツ兵俘虜たちの慰霊碑
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↑ 大鳴門橋の「渦の道」は、ところどころ通路がガラス張りになっております コワイのだ~ こちらもゾウが踏んでも壊れない強度があるとのウワサですが、怖くて上を歩けなかった・・・
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↑ 「渦の道」は、横風を受けると危険なため、風が通るように通路が金網状になっております だから風がびゅ~びゅ~ スリルがあるのだ~
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↑ 渦です 強風のため渦が崩れ気味で分かりにくいのですが、渦です ぐるぐる~
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↑ 大塚国際美術館の館内 システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロ作「最後の審判」 1枚1枚の絵は撮影禁止とのことなので、残念ながらご紹介できないのです・・・。「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、ムンクの「叫び」、ピカソの「ゲルニカ」など、圧巻ですじゃ 「最後の晩餐」は修復のビフォ~&アフタ~が2枚一緒に展示されております
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↑ 天井も美しい・・・
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↑ 1階から正面を写したところ
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↑ もう一度天井 ここで寝泊まりしたいっっ
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↑ スクロヴェーニ礼拝堂の壁画 天井が美しい ワタシの自宅もスクロヴェーニ礼拝堂風にリフォームしちゃおうかな~(←ムリ)
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↑ トイレにまでミニ陶板が貼ってあります しかも1つ1つ違うのです 私はゴッホが好きなので「ゴッホの個室」へ
# by Alichen6 | 2008-01-01 14:33 | ドイツのこと | Comments(0)