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by Alichen6
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<   2015年 12月 ( 12 )   > この月の画像一覧


今年も終わり


 2015年も残すところ、あと数時間となりましたね。例によって、お正月の支度はなーーーんにもやっておりません。お雑煮の材料と生ものを少々用意したくらい(恥)。お正月もお仕事です。フリーランスなので、こういうお仕事は「お年玉」。ありがたや~ありがたや~でございます。

 今年は割と忙しい1年でした。ヒマで「どこかで大失敗をやらかしたのかも?」「あのほにゃく犬は使うな!というおふれが出たのかも?」と不安にかられた年もあったので、仕事があるのは本当にありがたいです。東ドイツ映画の上映が静岡で実現できたのも、とってもいい思い出&経験になりました。来年は、ほかの場所でもこの2本を上映できたらいいなぁ…(ご興味のある方、ご一報くださいませ❤)

 ブログは、なんとな~くダラダラしてしまいました。遊びに来てくださった方、気の抜けた日記ばかりですみませんでした。2006年の4月にココログでブログを始めたので(2年後に、このエキサイトブログに引っ越しました)もうすぐ10年。始めたばかりのころから来てくださっている方も多く、本当に感謝!でございます。実はもうそろそろ潮時かなぁと思うのです。昔ほど書くことに情熱がわかなくなっちゃって、ダラけた内容をお見せするのも申し訳なく… …と過去にも何度か言っていますよね。ブログではなく、何か違う形にしようかな。もう少し考えることにいたします。

 いつも似たような画像で恐縮ですが、ドイツの「縁起物」を載せちゃいますね。煙突掃除人、ブタ、蹄鉄、赤のキノコ、四つ葉のクローバー。白いぶーちゃんは、旧東独製でございます。2016年が皆様にとって、よい年となりますように。そして紛争や殺し合いがこの世からなくなりますように。

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by Alichen6 | 2015-12-31 18:28 | つぶやき | Comments(0)

 皆様、2015年も残すところあと1日ちょいになってしまいました。いかがお過ごしでしょうか?ドイツのお友達からもらっちゃいました、パンに載せるチョコレート。うっしっし。いえね、この夏に遊びに行ったとき、一緒にスーパーへ買い物に行ったのですが、そこで彼女が言っていたのです。「あ、エスツェットだ。これ、小さいときから大好き❤」

 その時、私はかなり羨ましそうな顔をしたらしい… それを覚えていて、クリスマスプレゼントにくれたのです。白いパンにすごーく合うんですって。
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 中身はこんな感じ。
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 こうやって白いパンに載せるそうです(パンは、ホームベーカリーで焼いた食パンです)。
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   こ、これはウマいっっ…!005.gif

 お子ちゃま向けと侮ることなかれ。こりゃウマいです。ハマってしまいそう。ドイツのチョコって日本のチョコと味が違いますよね。そして、ごく普通のパンにもやたら合う…。チビチビ大事に食べておりますが(←1人1回1枚と決めました・笑)、なくなっちゃったら寂しいなぁ…。そうだ、リンツ(Lindt)の薄いチョコレートで代用できるかも。あれは、わりと普通に見かけますもんね。皆様、お試しください~~
by Alichen6 | 2015-12-30 17:36 | ドイツのお菓子 | Comments(2)

あはは(笑)


 友達から送られてきたカードです。

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 ビロウな話でスミマセンっっ  どんな時でも、クサることなく顔を上げてしゃんとしましょう、ということでしょか。
by Alichen6 | 2015-12-28 08:53 | ドイツ語 | Comments(0)

東ドイツ映画上映@静岡


 皆様、クリスマスも終わり、一気に年の瀬って雰囲気になってきましたね。いかがお過ごしでしょうか。ノロだかロタだかにヤラれてしまいましたが、ようやく元気になりました…と書きたいところなのですが、さらに鼻風邪に移行してしまい、鼻ズルズル状態でございます。ああ、情けなや。

 しか~し。お腹はすっかり回復し、数日間食べられなかった分を取り戻すかのように、モーレツな食欲に襲われております。あーあ。

 さてさて、先週の金曜日から日曜日までの3日間、静岡で東ドイツ映画の上映が行われました。
新幹線の車窓から見た富士山。先日も載せてしまいましたが、改めて見てみるとやっぱりキレイですね~
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 会場は、静岡駅から歩いて5分。静岡シネ・ギャラリーの「サールナート・ホール」。200席の立派な映画館です。
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 ホール内です。石と木がふんだんに使われており、とてもとてもオシャレな会場です。このスクリーンで東ドイツ作品が上映される日が来るなんて、もう思い出しただけで涙が…(悔やまれるのはワタシのカメラの腕。ピンボケです…)
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 上映をはさんでトークショーも行われました。
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 劇場に来てくださったお客様、催しにご協力いただきました方々、そして1年半以上も頑張ってきた関係者の皆様、本当にありがとうございました。

 そしてオマケも、よろしければクリックを…
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オ・マ・ケ♪
by Alichen6 | 2015-12-27 12:59 | ドイツ映画 | Comments(4)

 静岡の映画フェスティバルは無事、終了いたしました。会場まで足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました。それがですねー、そのあと体調をちょびっと崩してしまいまして、2日ほど寝込みました(ToT)。ノロかロタか分かりませんが、その類です…。数年前にも罹ったことがあるのですが、今回のは強烈でした。皆様、どうぞお気をつけくださいね。んでもって、上映のご報告を書く前に、まず百町森さんの話題から…

 前からこのブログに来てくださっている方は、きっとご覧になったことがあると思うのですが、ワタシが大切にしている錫の飾りがあります。8年ほど前に買ったものです。
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 そーです。クリスマス伝統の飾り、Schwippbogen (シュヴィップボーゲン)をかたどったもの。とても気に入っており、大切にしています。1740年に初めてこの燭台が作られたときのオリジナル柄。(詳しくはコチラを)
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 この錫細工をどこで買ったかといいますと、「百町森」というお店のオンラインショッピングなのでした。そのお店が静岡にあると聞き(買ったときは静岡のお店だったとは知らなかった!)、今回嬉々として出かけたのです。(お店のサイトは → コチラ

 お店の看板。
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 ごく普通のお店ですが、中に入ると…
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 おお! 木のおもちゃと絵本がたくさん…!
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もじゃぺーの棚に、私が買ったのと同じシュヴィップボーゲン形の飾りがありますね。もじゃぺー(もじゃもじゃペーターのことです)も強烈ですが、マックス&モーリッツもスゴイですねー。それ以上に異彩を放っているのは手前の老婆。ワタシが写りこんだわけじゃありません、念のため。
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 圧巻!のひとことです。しかも、子供たちが遊べるように、あちこちに見本のおもちゃが置いてあるのです。また、おもちゃや絵本だけでなく、工作用のキットやお絵かき用の道具、クリスマスのオーナメント、大人が集めるクリスマスグッズなども豊富。もう、いくらでも店内にいられそう。夢の国です。

 お店のご主人も素敵な方でした。(4枚目の画像にある、操り人形に似ていらっしゃるかも…?)おもちゃの町、ニュルンベルクへ買い付けに行っていらっしゃるとのこと。「ブログに載せるので写真を撮ってもいいですか?」とお願いしたところ、快くOKしてくださいました。さらにオマケまで。

 おお!オマケは私の大好きなゾンネントア社のアドヴェント・ハーブティ。
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 ついつい調子に乗って、錫の飾りを3つも買っちゃいました。

 表… 左はヘンゼルとグレーテルの「お菓子のおうち」
 右は、司教の姿をした聖ニコラスと幼児キリスト、そしてレープクーヘンざっくざく❤
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 裏… 裏はこんな感じです。
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 もう一コ。こちらは裏に安全ピンがついている、ブローチタイプ。バイエルン名物、ビールとブレーツェル、そしてBayrische Rübe (カブ)。もし、私がこれを得意げに胸につけているのを見ても、決してプププッと笑わず、黙って見守ってやってくださいませ。
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 …そんなワケで、もしこういったドイツグッズにご興味のある方は、ぜひ百町森さんのサイトへGO!
by Alichen6 | 2015-12-23 16:33 | ドイツのモノ | Comments(2)

静岡なう


by Alichen6 | 2015-12-19 11:50 | Comments(2)

 しつこく宣伝ですみません。もう1本のご紹介もさせてくださいっ 何度か話題にしていますので、「なーんだ、その話は知ってるよー」と思われる方も多いかと思います。しかし。しか~し! もしかしたら、今日初めてブログに来てくださった方もいるかもしれないので、また載せちゃいます!

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◆◇◆Jakob der Lügner  嘘つきヤコブ◆◇◆

<簡単なあらすじ>
舞台は東欧のとある都市、第二次大戦中のユダヤ人ゲットー。ヤコブは偶然、ドイツ軍の苦戦を伝えるラジオ放送を耳にする。ソ連軍がすぐ近くまで来ているとの内容だった。ナチによるユダヤ人移送が迫り、絶望的な空気が蔓延しているゲットーの仲間たちを勇気づけようと、ヤコブはその内容を皆に伝える。その際、禁止されているラジオをこっそり家に隠しており、それで聞いたのだと、とっさにウソをついてしまう。生きる希望を抱き始めた仲間たちは、ヤコブにニュースの続報を聞きたがる。そのたびにヤーコプは苦しいウソを重ねるのだった。またヤコブは、両親をホロコーストで殺された8歳の少女リナをひそかにかくまっていた。ヤコブは、リナにも同様に苦しいウソをつく。ラジオを聴きたがるリナのために、声色を変えてラジオ放送の真似までするのだった。絶望の中に見えてきた一筋の光。希望を見出し、喜ぶ仲間たちを見て、ヤコブの苦悩はさらに深まる…。


ヤコブ・ハイム役  ブラスティミール・ブロドスキー(1920~2002)

ブラスティミール・ブロドスキーは、舞台女優の息子として1920年にチェコで生まれた。早くから演技に目覚め、19歳で初舞台を踏んでいる。その後、長く演劇の世界で活躍した。戦後は活動の場をスクリーンに移し、多くの作品に出演している。その演技力を買われ、1974年に「嘘つきヤコブ」のヤコブ役で出演。1975年の第25回ベルリン国際映画祭では最優秀男優賞を受賞。東ドイツ政府からは国家賞も授与されている。その後も数々の作品に出演したが、2002年に自らの命を絶った。


理髪店主コヴァルスキー役  エルヴィン・ゲショネック(1906~2008)


エルヴィン・ゲショネックは、1929年にドイツ共産党の党員になる一方で映画にも魅せられ、1932年に「Kuhle Wampe oder: Wem gehört die Welt?」(クウレ・ワムペ)でスクリーンデビューを果たした。そしてユダヤ人の俳優たちとも行動を共にするようになる。その後、ポーランドやソ連、チェコへ移住するものの1939年にナチによって逮捕され、ザクセンハウゼン強制収容所へ。さらにその後、ダッハウ強制収容所へ移送されるが、そこでゲショネックは抵抗運動を行う。1944年にはノイエンガンメ強制収容所へ移され、翌1945年に蒸気船「カップ・アルコナ号」で移送される途中に英軍の空爆を受けて沈没。移送されていた数千名の収容者のうち生存者はわずか350名という過酷な状況の中、ゲショネックは辛くも生き延びた。戦後は舞台と映画で活躍し、数々の作品に出演。ベルトルト・ブレヒトに声をかけられ、ベルリーナー・アンサンブルでも活躍した。一方、バイヤー監督の映画「裸で狼の群れのなかに」では主演を務め、「嘘つきヤコブ」では人間味あふれる役を好演した。統一後もゲショネックの栄光は色あせることなく、1993年にはドイツ映画賞の名誉賞を受賞。2008年に101歳で激動の人生の幕を閉じた。

監督 フランク・バイヤー(1932~2006)

フランク・バイヤーはプラハの映画大学で学んだ後、数本の短編製作を経て1957年に長編映画で本格的にデビューする。「Nackt under Wölfen(1962)」は、強制収容所の中に紛れ込んだユダヤ人の子供を被収容者たちが必死でかくまうストーリーで、反ファシズム映画として高く評価された。日本でも「裸で狼の群れのなかに」として公開され、本邦初の東ドイツ映画となった。ところが「Spur der Steine(1966)」(石の疵跡)が反体制的であると当局に問題視され、公開直後に上映禁止となる。DEFAとの契約も打ち切られ、バイヤー監督は映画界からは干されることになった。その後、約10年ぶりに映画界に復帰して撮った作品が今回上映される「嘘つきヤコブ(1974)」である。この作品は高い評価を得、1975年には西ドイツのベルリン国際映画祭にて銀熊賞(最優秀男優賞)を受賞した。さらに1977年には東ドイツ作品としては初めて米アカデミー外国語映画賞にノミネートされるという快挙を成し遂げた。バイヤー監督は次のように当時を述懐している。「この作品では、希望がやがて幻想に、そして最後には自己欺瞞に変わっていく。しかし私は、この作品を東ドイツの状況に例えたわけではない」。
 こうして映画界に復帰したバイヤー監督であったが、ビーアマン事件(反体制的な歌を歌うことで当局から睨まれていたシンガーソングライター、ヴォルフ・ビーアマンが1976年、西ドイツでの演奏旅行中に市民権を剥奪されるという事件)の抗議活動に参加したことから、再び当局との関係が悪化した。壁の崩壊後は主にテレビでの活動が中心となる。1993年には故ウルリッヒ・ミューエ主演で「Das letzte U-Boot」を製作。日本の俳優も多く出演し、「ザ・ラストUボート」として日本のテレビでも放映された。

原作 ユーレク・ベッカー(1937~1997)

ユーレク・ベッカーはポーランドのウッチで生まれる。両親は共にユダヤ人で、誕生後に地元ウッチのゲットーへと追いやられた。その後、強制収容所へと移送されたものの、辛くも生き延びる。しかし、父とおば以外の親戚は全員ホロコーストで亡くなった。戦後は東ベルリンに移り住み、ドイツ社会主義統一党に入党した。60年代に入り、ベッカーは舞台や映画のシナリオを書き始める。1968年に「嘘つきヤコブ」のシナリオを執筆したものの映画化には至らなかったため、手を加えて小説として出版した。同作はその後の1974年にフランク・バイヤーによって映画化された。その後、ベッカーは小説の執筆も精力的に行った。しかし1976年にビーアマン事件の抗議活動に参加したため、党から除名処分を受け、東ドイツ作家連盟からも追放されている。ドイツ再統一後も執筆活動を続け、小説界や映画界で活躍した。なお、「嘘つきヤコブ」はピーター・カソヴィッツ監督により、ロビン・ウィリアムズ主演で「聖なる嘘つき/その名はジェイコブ」として1999年にも映画化されている。
by Alichen6 | 2015-12-17 18:00 | ドイツ映画 | Comments(2)

 またまた宣伝ですみません。東ドイツ映画の上映フェスティバル@静岡 がいよいよ週末に開かれます。もし、もぉぉぉぉ~し静岡へ行こうかなぁと思ってくださる方がいましたら、ぜひぜひご連絡くださいね❤ 会場でお待ちしております。改めて、サイトは → コチラ
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まずは『パウルとパウラの伝説』のあらすじ、キャストおよび監督のプロフィールをご紹介しちゃいますね。

<簡単なあらすじ>
<あらすじ>
エリート官僚のパウルには美しい妻がいるものの、結婚生活はうまくいっていない。一方、向かいの古いアパートに住むパウラは2人の子供を女手一つで育てるシングルマザー。そんな2人が出会い、恋に落ちる。しかし一途なパウラとは違い、パウルには家庭や自分のキャリアを捨ててまでパウラと一緒になる気などない。煮え切らない態度のパウルに腹を立てたパウラは、つい子供につらく当たってしまう。そんなある日、パウラの下の息子が自動車にはねられて死んでしまった。自責の念に駆られ、パウルと距離を置こうとするパウラ。そんなパウラに強く惹かれていることに気づいたパウルは(今更ながら)彼女に猛烈なアタックを開始し、家の前に籠城する。果たして2人の恋の行方は…  ホーネッカーが第一書記の地位についた直後、一時的に文化政策に対する締めつけが緩んだ。これはそんな時期に生まれた奇跡の作品。公開されると国内外で大ヒットを記録。最初の1年で、東ドイツでは300万人がこの作品を見たとも言われている。

パウラ役 アンゲリカ・ドムレーゼ(1941~)
アンゲリカ・ドムレーゼは16歳の時に映画のオーディションに合格し、スクリーンデビューを果たす。その後、映画大学に進んだ。卒業後はベルリーナー・アンサンブルで舞台経験を積み、「三文オペラ」のポリー役などで活躍。その後もブレヒトの作品に出演した。同時に映画やテレビでも活躍し、愛らしいルックスで大人気となる。しかし1976年のビーアマン事件でドムレーゼも抗議活動に参加したことから当局との関係が悪化。次第に活動が制限されるようになる。そのため、1980年に西ドイツへ亡命した。亡命後は主に舞台とテレビで活躍するようになった。ドイツの再統一後は、女優としての活動の傍ら、舞台の演出も手掛けるようになる。また、ベルリンの名門校「エルンスト・ブッシュ演劇大学」にて教鞭も執るようになった。


パウル役 ヴィンフリート・グラツェダー(1945~)

ヴィンフリート・グラツェダーは映画大学で学んだ後、ポツダムの劇場で初舞台を踏んだ。1971年には活動の場をベルリンのフォルクスビューネに移す。同時期、映画にも進出した。「パウルとパウラの伝説(1973)」で人気は不動のものとなり、その演技力や風貌から「東ドイツのジャン=ポール・ベルモンド」と呼ばれるようになる。しかし早くから当局の監視下にあり、思うように活動ができないことから、1982年に西ドイツへ亡命する。結局、主演のスター2人が相次いで西へ亡命する結果となり、「パウルとパウラの伝説」はテレビでの放映が禁止され、当局は人々の記憶からこの作品や2人のスターを消し去ろうとした。亡命後もグラツェダーはテレビや映画、そして舞台で活躍。1999年に製作されたレアンダー・ハウスマン監督の作品「Sonnenallee」では、パウルと同じ衣装を身につけ、意味深な役で登場している。


監督 ハイナー・カーロウ(1929~1997)

ハイナー・カーロウは21歳の時にDEFAに入り、監督として数多くのドキュメンタリー映画や子供向け映画を手掛けるようになった。その後、一般向けの劇映画も撮るようになるが、1968年の「Die Russen kommen」では党の決定で上映が禁止されてしまい、修正を余儀なくされた。1971年にホーネッカーが第一書記の地位についてから、映画界への締め付けが一時的に緩くなった。その時期に著名な脚本家ウルリッヒ・プレンツドルフと組んでこの世に送り出したのが、「パウルとパウラの伝説」(1973)である。この作品は当初、イングリート・レシュケ監督がメガホンをとる予定であったが、クランクイン直前にレシュケが交通事故で急死したため、急遽カーロウ監督が後任になった。その大胆な内容に試写を見た党関係者は「反社会的」「モラルに反する」と眉をひそめたが、ホーネッカーが最終的に許可を出したことで国内外での上映が可能となった。ただし、あるシーンの削除が条件としてつけられた。労働者階級戦闘団の軍服で現れたパウルの帽子をパウルがはたいて落とすというシーンである。この作品は公開後、国内外で大ヒットを記録した。1989年にはタブーに挑戦し、同性愛であることを告白する映画「Coming Out(カミング・アウト)」を製作。ベルリンの壁が崩れた1989年11月9日がプレミアであった。その後、1990年度ベルリン国際映画祭で同作は銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞している。統一後、カーロウ監督は主にテレビで活躍した。

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by Alichen6 | 2015-12-16 22:34 | ドイツ映画 | Comments(0)

 いまさら感タップリですが、「DDRの思い出」シリーズ、その4でございます。9年前にUPした記事の再掲+αで失礼いたします。それこそ、9年ぶりに読み返しましたが、細かいところは結構忘れてる…。よかった、こうして記録しておいて。個人の記憶なので、部分的には間違っている点があるかもしれません。その場合はご指摘くださいね。こんな思い出話をダラダラ書いちゃってすみません。

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●東ドイツ国内の移動●

<入国後>
いったん東ドイツの中に入ると、とにかく物価が安くてビックリします。特に「日常生活において必要なもの」の価格は非常に低く抑えられていました。ただし、この「日常生活に必要」という定義が我々の定義とは全く異なり、コーヒーやカカオたっぷりのチョコレートはもう「必要品」ではないのですよね。一方、鉄道や市電などは本当に安かったです。

マイセン→ライプチヒが107キロメートルで10マルク10ペニヒ。西ドイツのDM と交換レートが1対1だとしても、当時の為替レートで800円くらい。
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ベルリン→ドレスデンが186キロで17マルク40ペニヒ。同じく、当時の為替レートで1390円くらい。安っ
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ベルリン→グライフスヴァルトが210キロで19マルク80ペニヒ。1580円くらい。激安っ
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アルバムに私が書いた文字が残っています。ベルリン⇔ポツダムがS-Bahnで30ペニヒだったそうです。当時の為替で円換算すると、24円! 今はいくらなんでしょう?
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下のピンクのチケットは、確かドレスデン⇔マイセンでした。1マルク。円換算すると、当時のレートで80円。
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こちらも、アルバムに書きこんだ文字が残っています。東ベルリンのフリードリヒシュトラーセ駅から西ベルリンのツォー駅までは2.70DMだった模様。そーです、東ベルリンで切符を買ったにもかかわらず、西ドイツマルクで払わされたんですね。しか~も!東ベルリン市内の最低料金は10ペニヒ(東ドイツマルク)なのに、西へ戻るには高額のお金を払わされる…。これも外貨獲得の手段だったんですね。
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DDRの地方都市は悲惨な状況でしたが、ベルリンは首都というメンツもあり、それなりに充実しておりました。駅に Imbiss (立ち食いの食堂みたいなもの) もありました。Mitropa という名前のお店。ドイツ版の日本食堂です。アルバムに私が書きこんだ当時の記録によると、上のメニューは : Berlin Schöneweide(シェーネヴァイデ) 駅のMitropa で食べた「Boulette mit Brot」 85ペニヒ。Boulette は地方によってはFrikadelle とか deutsches Beefsteek とも呼ばれますが、いわゆるハンバーグですな。それにポテトサラダ・ニンジンサラダがついていますね。85ペニヒは、当時のレートで68円くらい。味は忘れてしまいましたが、パンがやたら固かったのは今も記憶に残っています。
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by Alichen6 | 2015-12-14 18:35 | DDR(東ドイツ) | Comments(2)

そしてサポサポへ


 ここ数日の記録を一気にUPしちゃっています。過去にも何度かお知らせしている「サポサポプロジェクト」が、11日(金)~13日(日)の日程で開催中です。なんと、今回で13回目!!スゴイですねー。藝大OBが中心となり、アート作品の販売で復興支援を行うプロジェクトです。復興をサポートする人々をサポートする、という意味で「サポサポ」。スタートした第1回目からお邪魔しているだけに、ワタシとしても感慨深いものがあります…。とは言え、無芸なワタシは、アート作品を買うことでしかお役に立てません…。しかし続けることに意義があると信じ、毎回初日になだれ込んでおります。回を重ねるごとに人気となり、初日から大盛況でした。

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サポサポ Vol.13 は → コチラ

 そして今回ゲットしたものは…
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 カワイイ! シルバー製の「お花のピアス」と、テラコッタを彫刻したワンコ。どちらも超お気に入りです~❤材料費を除き、売り上げが支援金として寄付されています。日曜日までの開催ですので、ご興味のある方は是非!場所は表参道なので、首都圏限定のお話ですみません。スパイラルの裏手です。


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 そして…。 毎回のお楽しみが、その前の「ぴちぴちランチ」。何度か書いておりますが、同業の大切な、とって~~~も大切なお友達とランチをし、バクバク食べてしゃべり倒し、エネルギーをチャージしてからスクラムを組んで会場に乗りこむのを恒例にしております。なんてったって、場所は表参道。お目当てのお店が満席だったので、その下にあった、これまたオシャレなお店にしました。

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  続きは、下をクリックしてくださいね。例によって見せびらかしです~~ スミマセンっっ


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コチラをクリック♪
by Alichen6 | 2015-12-12 10:49 | つぶやき | Comments(2)