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by Alichen6
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 皆様、雨の一日ですが、どうお過ごしでしょうか。ワタシはですね~ 昨夜から洗濯機を物色しておりました。今使っている洗濯機の脱水機能が壊れてしまい、ウンともスンとも言わなくなってしまいまして。もうかなり古くなってきたので、この際買い換えようということになったのでございます。そんなワケで、先ほどポチりました。明後日届く予定です。楽しみ♪ 手絞り生活も、あともう少しだー。

 …と、ワタシの洗濯機の話をしている場合ではないですね。先日、ネットの古書店で思わずポチってしまった古雑誌。ドイツに関する記事があるとのことで、読みたくなってしまったのでした。先日も少しだけ引用いたしましたが、コレ ↓ です。

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 1952年という時代、ドイツ映画界ってどんなだったのかな~なんて想像しながら読んでおりました。終戦から7年、そして東西ドイツの建国から3年が経ち、映画界も少しずつ落ち着きを取り戻してきた頃なんでしょうか。この記事の筆者によるとドイツ語の文献が手に入らないらしく、他国の映画雑誌の記事から分析している模様。(「あくまでもノウトと思ってくれ」と筆者は書いていますが、どうしてどうして。か~な~り詳しく書かれています。Note 以上だと思うな~)ドイツ映画界の様子がどう日本に伝わっていたのかが垣間見られて楽しい。以下、一部だけ引用させていただきますね:

『ドイツが戰後製作を開始したのは、1946年であるが、1951年末までに287本の劇映画を製作した(「チネマ」1951年12月15日号所載クルト・J・フィッシャの記事による)。これを内譯すれば、東ドイツのDEFAが49本、西ドイツが238本となり、西ドイツが圧倒的におおい。東ドイツは、ソヴェト流にデファが獨占で製作をおこなっているが、西ドイツでは、群小製作會社が山ほどある。』

『東ドイツの映画は、比較的粒がそろっているが、政治的傾向が濃厚すぎ、西ドイツの作品には、いわゆる「娯楽映画」がおおすぎるとの定評がある。』

『ドイツには約4千の映画館があるから、最小限750本の映画を必要とするが、自国の製作能率がひくい以上、外国映画(主として英米作品)を多數輸入しなければならない。しかも、西ドイツでは、製作會社、配給會社ともに群小會社が多く、不安定きわまりない状態にある。また、東ドイツでは、1年に60回くらい映画を見に行くはずの観客が、生活難のために1か月に1回くらいしか行かれなくなったので、映画館の興行は上つたりとなった。西ドイツの銀行が映画事業をたすけることができないのも、西ドイツ映画製作を困難にした有力な原因の一つである。さらにまた、監督者も、必要にせまられて濫作をするし、むかしの夢をおう俳優たちは高い報酬を要求するし、金づまりの企画部はシナリオをストックする餘裕もなく、このようにしてドイツ映画は、極度の貧窮状態にあった。』(以上、引用終わりです)

 ただ、こういった傾向も少しずつ改善されつつあり、優れた作品もぼちぼち見られるようになった、と筆者は書いておりました。『連合國が、ドイツ映画のカルテル化を禁じる法律に手心をくわえれば、むかしのウファの害毒をくりかえさないかぎり、事業的に復活のめあてはある(引用いたしました)』んだそうです。スゲーと感心しますのは、ドイツ語の文献がなかなか手に入らない様子ですのに、対談では皆さん(と言っても2人ですが)とても詳しい。戦後作品に関する感想や批評が熱~く語られておりました。

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 ナチ時代に活躍していた監督や俳優たちは、戦後しばらく撮影や出演ができない状態でしたが、この時点で少しずつ戻ってきているとのこと。また、ヒルデガルト・クネフという女優さん(『殺人者は我々の中にいる』でヒロインを演じた女優さんです)があちこちの記事で登場しているのが目につきました。このころから目立って露出が増えてきたんでしょうね。

 しかし驚くのは、「一年に60回見に行くはずの」という箇所。テレビが普及する前ですから、ニュース映画を見に行く感覚で戦後も「60回は見に行ってもらわないと採算が合わない」んでしょ~か。驚きです。

 それにしても。 こういった古い雑誌って、当時の雰囲気がダイレクトに伝わってくるのでホントに面白い。埃っぽいので手が汚れますすが、そんなことはどうでもいいのでした。乱暴にめくると敗れてしまいそうなので、そ~っと、そ~っとめくりながら当時に思いを馳せるほにゃくハリとほにゃく犬。

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by Alichen6 | 2012-11-26 14:44 | ドイツ映画 | Comments(0)

 先日チラッと書きました。DDR(旧東ドイツ)のコーラ、「Vita Cola (ヴィタ・コーラ)」。DDR博物館で買ったのでした。割ったらアカンと思い、Tシャツやタオルにくるんで大事に持ち帰ったのです。そして先日、味見してみました。

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ヴィタ・コーラってナンジャラホイ? → ドイツのWiki およびメーカーのHPを読みましたところ、旧東ドイツにおいて第二次五か年計画の一環で1956年から1958年にかけて開発されたコーラ飲料だそうです。アメリカのコカ・コーラに対抗したんだそ~ですよ。主な材料はカフェイン、コーラ・ナッツ、ビタミンC、シトロンオイル(でいいのかな?それともシトラスオイル?レモンの皮を絞ると採れるオイルだそうです)、そしてバニラ。ワタシ、コーラ・ナッツって知らなかったのですが、コカ・コーラも当初はこれを入れていたそうですね。アフリカ原産の木で、その実を利用したことから、飲料も「コーラ」と名付けられたそうな。初耳~。まず化学企業の研究者がコーラ飲料の製造法を開発、特許を申請します。その際に届けられた名称が「Coffeinhaltige Brauselimonade mit Frucht- und Kräutergeschmack unter Zusatz Vitamin C(ビタミンC入りフルーツ&ハーブ味のカフェイン炭酸飲料。長いっ)”。そして1958年10月、ライプチヒの醸造所(のちのVEB Sachsenbräu、国営企業“ザクセン醸造”)によって製造が開始されたんだとか。コーラ味の飲み物は、DDRっ子たちのハートをわしづかみ。

…ところがベルリンの壁が崩壊。東西統一により一旦は製造中止に追い込まれます。でもその後別会社がブランドを引き継ぎ、紆余曲折を経ながらも現在に至るまで「ヴィタ・コーラ」は健在だそ~です。特徴ある味が西では「薬臭い」と敬遠されたんだとか。それを受けて合成の香料から天然の香料へ変えたものの、基本的な製造方法は開発当時と変わらないんだそ~です。DDRのコーラというと、「Club Cola」が有名ですが、ヴィタ・コーラのほうが先に開発されたんだそうな。

…で、気になるお味はと言いますと、レモンの香りがかなりしました。甘さがかなり控えめ。喉が渇いているとき、グビグビ飲むのにいいかも。DDRの若者たちは、このコーラを飲んで育ったのかな~なんて想像しながらお味見しました。もっとも、私の知人は東欧でゲットした本物のコカ・コーラの缶を床の間っぽい場所に飾って大事にしておりましたが…^^;

 なお、ワタシの愛読書「ニセドイツ」の2に、DDRコーラの項があります。それによると、今の元DDRコーラと、当時のDDRコーラは味がまるきり違うとのこと。でも、製造方法は当時と変えていないとの話。だとすると、当時使われていた合成香料がよっぽどヒドかったのか、あるいは原材料の質が悪かったのかも。それらが今は格段によくなったので、その結果お味もよくなったのかな~なんて、ヴィタコーラの空き瓶を見ながら想像してしまいました。嗚呼、奥が深し。


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by Alichen6 | 2012-11-23 15:42 | ドイツの食べ物 | Comments(0)

ベトナムのコーヒー


 ドイツとまったく関係ないのですが、面白かったので日記に書いちゃいます。先日、お土産にいただきました。ベトナムのコーヒー。ボール紙でできていて、1辺が5センチくらい。リス印でカワイイな~なんてのんきに思っていたら、気になるウワサを聞きました。なんでも、リスのアレの中で消化されずに残ったコーヒー豆を焙煎したものだとか…?ホントか?最高級なんだそうです。。。ちょっとドキドキ。鳥のアレで作ったコーヒーは飲んだことがありますが、あれと同じようなコーヒーなのかしら。

↓ カワイイけど、リスの前に転がるブツが気になる…。これって、アレ?
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↓ 裏は、こんな感じ。フィルターにコーヒーが入っています。
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蓋をかぱっと開けると… 中に入ってたのはコーヒーでした。ヨカッタ。リスのアレが入ってたらどうしようと思いましたぜ。
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↓ お湯を注いでできあがり~~正式には練乳を入れるんだそうですが、甘いコーヒーは苦手なので(甘党なのですが)ブラックで飲みました。
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 このメーカーのHPを覗いてみました。ベトナムでもコーヒーが栽培されているんですね。知らなかった!香りはちょっと変わっていて、なんとなく甘くてキャラメルっぽい。だけど味はちゃんとした深煎りのコーヒーでした。ネット情報によると、リスコーヒーは普通のコーヒーの何倍もするんだとか。スゲー。動物は良質の豆だけを選んで食べるため、人間が選別するよりずっと確かなんだそうな。これもネット情報ですが、ベトナムって植民地時代の影響で、カフェオレのようなコーヒーもよく飲むんだそうですね。そっかー、練乳が苦手だからブラックで飲んだのですが、ミルクを入れてもよかったかも!キャラメルっぽい香りとも合いそう。とにかく面白いな~と思いながらしみじみ飲んだのでした。(…で、やっぱりアレのコーヒーなんだろ~か)

 

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by Alichen6 | 2012-11-22 21:24 | つぶやき | Comments(6)

 皆様、こんばんは~~ なんか、すっごく寒いんですが…。今年は夏がいつまでも続いたせいか、秋を楽しんだ記憶がない。急に冬に突入!ってくらい、寒くなりましたね。皆様、お風邪にはお気をつけてください。

 ところで、またまた自分用のメモです。カタい内容なのであまり面白くないかも…すみません。こうしてブログに書いておかないと、すぐ忘れちゃう。やーね、私のザル頭。かつて「オーバーハウゼン・マニフェスト」なる宣言が発表されるという事件がありました。時は1962年2月28日。オーバーハウゼンの国際短編映画祭で26名の若い映像作家たちが連名で宣言を発表したのです。彼らは古臭く馴れ合いのような映画ばかりが作られることに危機感を抱き、立ち上がったのでした。これが、いわゆる「ニュージャーマンシネマ」と呼ばれる新たな潮流を生むことになります。。。宣言の内容はなかなか刺激的、そして挑発的。『Der alte Film ist tot, wir glauben an den neuen.』(古い映画は死んだ。我々は新しい映画を信じる)と宣言されております。

 では、若手の映画関係者たちが危機感を抱いた時代ってどんなだったんでしょう?いまいちピンとこないなーなんて思っていたら、先日からちょくちょく引用しております「ドイツ映画」という本に分かりやすく書かれておりました。一部、引用させていただきますね。

e0141754_1642916.jpg『ドイツ映画』
ザビーネ・ハーケ著
山本佳樹訳

以下、引用いたします:
『そもそもの始まりから、連邦共和国の映画は、二組の問題と取り組まなければならなかった。それは、ひとつには、第三帝国と連合国の占領とが遺した、制度上・イデオロギー上の遺産であり、いまひとつには、映画製作者と観客のあいだに観られた、新しい美的・批評的視点への関心の継続的な欠如であった。西ドイツの作品は、国境両側の映画ファンには受けたが、オーストリアとスイスを例外として、多かれ少なかれ、輸出には適していないことがあきらかになった。ハリウッドのような財政的資源も技術的資源もなく、かといって、イタリアやフランスの同業者のような芸術的野心も見られず、ほとんどの監督たちは、もっぱら国内市場のために仕事をすることに甘んじていた。主要な観客層の高齢化と、テレビやほかの大衆の気晴らしとの競争の激化のために、映画市場は1950年代後期に急速に縮小する。この過程を減速させるために、早い時期から、連邦政府は、不況にあえぐ映画業界に対して、いくつもの助成金プログラムを導入した。こうした助成金の財源の一部は、「映画の小銭」と呼ばれる、入場券の販売ごとにかかる税金によって調達されていた。』

『1950年から1955年のあいだに、連邦政府保証金は、年間製作のほぼ半数に融資するようになり、製作会社がこうむった財政上の損失を吸収した。この補償金は、大規模予算の映画を好み、厄介な主題を阻止しようとするもので、革新的な芸術映画を奨励することはほとんどなかった。それどころか、絶大な力を持つ配給者は、しばしば、連邦政府保証金を用いて、凡庸な映画からなるラインアップの資金をまるごと調達した。のちの助成プログラムでは、税金逃れの手段として利益のあがらない製作計画に資金援助する個人の投資家にとって、とりわけ魅力的な、特別控除が設けられた。気前よく賞金が出る、連邦政府基金によるドイツ映画賞の導入さえも、映画の芸術的な質を向上させる役にはたたなかった。』

『テレビの出現は、観客をめぐる激しい争いを激化させ、1950年代における映画文化の衰退を加速させた。』

ちなみに公共放送が始まったのは…
ARD局:1954年に放映開始
ZDF局:1963年に放映開始

『古いウーファお古典映画の放映とともに、テレビという新しいメディアは、工場で作られるファンタジーの生産と流通の両面における、重大な競争相手になった。公共テレビは、映画館から、その最も忠実な観客、すなわち、慣習的なジャンル映画を観て育った年配の観客を奪いとったのである。一方、若者たちは、アメリカの大衆文化に熱狂し、新しい音楽スタイルやレクレーション活動の影響を受けて、ドイツ製の映画への関心を徐々に失っていった。』

『ドイツ映画が深刻な危機に陥っていることを認める、きわめて象徴的な身ぶりとして、1961年のベルリン映画祭は、この宿命的な都市の新作映画に連邦映画賞を与えることをいっさい拒否したのであった。』(以上、引用終わりです)


…となっております。ナルホド。オーバーハウゼン・マニフェストが発表された背景に、こういった事情があったんですね…。自分用のメモでした。

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by Alichen6 | 2012-11-19 21:29 | ドイツ映画 | Comments(0)

 皆様、日曜の午前中、いかがお過ごしでしょうか。我が家の洗濯機が再び不調になり、脱水機が回りません。これから手絞りしなきゃ。夏に一度、同じ状態になったのですが、その時は気合で乗り切りました(気合でどう乗り切る?って話ですが。無理して使っているうちに自然治癒。)

 またまたトイレの話で恐縮です。以前、ドイツの人気食器メーカー「ビレロイ&ボッホ」が便器(お上品にサニタリーと言うべきか…)を作っていることを発見し、愕然とした日記を書きました。コチラ。その際、フランスのシャルル・ドゴール空港でもV&Bの便器があるという話や、ドイツでは一般家庭でもV&Bのサニタリーを遣っているという話をコメント欄で伺い、「をを!」と思ったものでした。

 前回、便器の証拠写真を撮らなかったことを激しく後悔したワタシは、今回ばっちり撮ってまいりました。お食事中の方、すみません。サイズを小さくしますのでお許しを~

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 食器とまったく同じマークですよね。サニタリーだからって容赦しない姿勢が素敵。前回のブログでは、便器と食器が同じだなんて、「TOTO」や「ina」、最近ではパナソニックの「アラウーノ」で食事をするようなもの?と愕然としたのですが、よく考えてみると逆ですよね。もともと食器のメーカーがサニタリーに進出したワケですから、便器が「柿右衛門」だと考えれば何の問題もないワケで。すげーゴージャス。伝統の重み。

 …と昨夜、我が家のビレロイ&ボッホのお皿で食事をしつつ考えたのでしが…。すみませんっ

e0141754_10331064.jpg → 調子に乗ってすみません。超高級ホテル、アドロンのトイレです。いえ、泊まったのではなく、スル~しただけ(文字通り、ホテルの裏手に出るために通り抜けした際にトイレをお借りしたのでした)。さすがアドロン、大理石にウッディな雰囲気を合わせた豪華トイレでございました。

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by Alichen6 | 2012-11-18 10:34 | ドイツのモノ | Comments(2)

 先日、Indianerfilm (ネイティブアメリカンの映画)についてちょこっと書いたのですが、その続きです。自分用のメモでして、あまり面白くないかもしれません。すみませんっっ 

先日の記事「インディア~ナ~フィルム 東西比較、そしてパロディ」は → コチラ

 例によってザビーネ・ハーケ著「ドイツ映画」(山本佳樹訳)から引用させていただきます:
『「荒野の七人」(1960年)のようなレトロ調の西部劇や、「荒野の用心棒」(1964年)のようないわゆるマカロニ・ウェスタンの影響を受けたデーファの作品は、インディアンの視点を用い、植民地的な関心や帝国主義の攻撃に対する彼らの苦闘を語り直すことで、西ドイツの「ヴィネトゥ」シリーズへの代案を提出することになった。「雌熊の息子たち」(1966年)における、誇り高く反抗的なダコタ部族の物語によって、シリーズ全体の基本の型が確立した。』

注:デーファとはDEFA、東ドイツの映画会社のことです。

『インディアン映画(本文ママ)は、労働階級の文化を保存し、アメリカ流の資本主義の誘惑に抵抗するという、ドイツ民主共和国自身の試みについての、明示的・暗示的な言及を数多く含んでいた。だが、インディアンを闘争と抵抗の象徴として理想化していた初期の映画に対して、のちの作品では、彼らが受けた弾圧に より大きな注意が払われるようになるのであり、これは、おそらく、1970年初期に社会主義の危機が高まったことの徴候でもあった。』(以上、引用終わりです)

 ナルホド~って感じ。やはり映画って時代を映す鏡ですね。分析することで、いろいろな面が見てきます。だからやめられまへん。


 ところで上の引用は東ドイツの話ですが、コレ↓ は東西統一後に作られたパロディ「荒野のマニト」に出てくる歌のシーン。実は結構好きなのです。「Superperforator」、字幕では確か「蜂の巣マシン」とか、そんな訳が当てられていたと思います。アホらしいけど好き。

「スーパーパーフォレーター」の歌



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by Alichen6 | 2012-11-18 00:21 | ドイツ映画 | Comments(0)

Heimatfilm (郷土映画)


 突然ですが、Heimatfilm (郷土映画)というジャンルをご存じでしょうか。ワタシは名称しか知りません(恥) いえ、前から聞いてはおりましたし、このジャンルに含まれる映画を何本かほにゃくしたこともありました。が、なんとなく食指が動かず、自分から進んで見ようとも思わなかったのです。でもねー戦後のドイツ映画ってコレ抜きには語れないんですよねー。そもそも、なんで戦後の西ドイツで、こんなに牧歌的でユルい映画が大人気となったのか。ホント不思議です。が、なんとなく納得いく解説が「ドイツ映画」(ザビーネ・ハーケ著、山本佳樹訳)という本に載っていたので、引用させていただきますね。長くてすみません。自分用のメモを兼ねておりますので…


『ジャンル映画に新風を吹き込み、連邦共和国にとっての戦後のアイデンティティを構築するために必要な、異文化間や異世代間の遭遇といったものを供給する役目は、「郷土映画」とその物語空間に残されることになった。郷土についての非政治的な概念は、信用を失ったドイツ・ナショナリズムの歴史と、冷戦期の二つのドイツ国家の競争的な状態の両方に、一つの代案を約束した。』

『ハンス・デッペの「黒い森の娘」(1950年)と「緑の原野」(1951年)を皮切りに、「郷土映画」は商業的に最も成功した戦後映画のジャンルとして頭角を現し、安定して500万人以上の観客を動員することになる』

『多くの研究者は、このジャンルの桁外れの人気を、その本質的な保守性によって説明してきた。すなわち、バイエルン・アルプス、シュヴァルツヴァルト、リューネブルガー・ハイデといったドイツの代表的な風景のなかで描かれたのは、父権的家族の正当化であり、規範的道徳への回帰であり、そして前興行的な共同体への隠遁であった。だが、「郷土」をめぐる言説はまた、戦争、排除、強制移住といった歴史的経験や、伝統と近代性とのあいだの進行中の折衝とも、解きがたくつながっていた』

『「郷土映画」は、世代間の葛藤とステレオタイプ的なよそ者の形姿とを通じて、国家の敗北を甘受し、連邦共和国を新しい祖国にするための、想像上の空間を作り上げた。意味深いことに、このジャンルの牧歌的な村や美しい風景のなかに現れるよそ者の多くは、東プロイセンやポンメルンからの難民か、合衆国からの帰国者であった。』

『こうした再生の物語の背後にあって、その推進力となっていたのは、伝統的な社会構造と、同時代の経済的・政治的現実との、調和的な両立を求める欲求であったが、この過程は、しばしば、異質なものとの対決や、そのどうかや編入の成功を中心にして描かれた。こうした矛盾した諸傾向に照らしてみれば、「郷土映画」は、退行的であると同時に進歩的な、帰属のファンタジーであることがわかるのであり、それは、「郷土」という馴れ親しんだ図像を動員して、「都市」対「田舎」といった古い対立よりも、全西ドイツ市民の社会的安寧と経済的繁栄の前提条件としての近代性への共通の信仰に基礎をおく、新しい共同体のアイデンティティを構築しようとするものであった。』(以上、引用終わりです)

↓ ここで挙げられていた、「緑の原野」Grün ist die Heide です。なんちゅうのんびり感とユルさ!なごみ系で牧歌的!…と、この動画を見ただけじゃ、そういった感想しか出てこない。だけどハーケさんの解説を読むと、なんとなくイロイロ納得できちゃう。



e0141754_9182857.jpg ところで先日、古書店でキネマ旬報1952年6月下旬号を買ってしまいました。ドイツ映画特集があったので、ポチったわけです。そこに、この「緑の原野」の映画評も載っておりました。ご紹介いたしますね。以下、引用いたします。

『ドイツの色彩映画:最近ドイツ最初のゲファーカラー映画「荒野は綠なり」が好成績を収めている。東部からの難民が北ドイツに横たわるリューネブルクの荒野で密猟を生業とする物語。彼の可憐な一人娘(ソンヤ・ツィーマン)と密猟監督の山林官との戀がからみ、主題歌には有名な詩人ヘルマン・レースの詩がそのまま用いられる。これはドイツ人の郷愁豊かなリューネブルクの荒野を舞臺とした點もさることながら、はじめて使ったベルギーのゲフュールト社のゲファーカラーが非常い成功した點で、好評を博している。』

…長々と失礼いたしました。うーん、郷土映画って奥が深いゾ。

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by Alichen6 | 2012-11-16 08:58 | ドイツ映画 | Comments(0)

 皆様、おはようございます。朝晩冷え込むようになりましたが、お風邪などひいていないでしょうか。お気をつけくださいね~~

 ところで突然ですが、「Indianerfilme」というジャンルをご存じでしょうか。ネイティブアメリカンが主人公の映画。アメリカの西部劇は、どちらかというと白人が中心だけど、Indianerfilme はあくまでも主人公はネイティブアメリカン。60年代のドイツで流行ったジャンルです。その人気を支えたのが、19世紀末から20世紀初頭にかけて次々と出版された Karl May (カール・マイ)の冒険小説。このカール・マイという人、ドイツではチョ~人気なんだそうですが、日本ではそれほど知られていないですよね。でもドイツ人って、とにかくこのカール・マイが大好きなような気がします。

 で、このインディア~ナ~フィルムの人気に火をつけたのが、この作品↓ カール・マイ原作「Winnetou (ヴィネトゥ)」(1963年)。ネイティブアメリカンのヴィネトゥと、アメリカへ渡ったドイツ人のオールド・シャッターハンドとの友情物語です。そしてキーワードは、Blutsbruderschaft(辞書によると、「互いに血をまぜた杯を飲み合った血盟の友、盟友。義兄弟とも。)。2人が向き合い、正面で手を組み合わせて盃をかわすシーンは他の映画でもちょくちょく見かけます。実は私も友人宅へ遊びに行ったとき、「面白いから見ておけ」と言われ、このヴィネトゥのビデオを見たのでした…(大人のワタシには、ちょっとタイクツだったかも^^;途中でコックリコックリしちゃった)撮影地はクロアチアですって。




 面白いのは、このインディア~ナ~フィルムが東ドイツでも流行ったこと。当初、カール・マイは東ドイツでは禁止されていたということで、カール・マイもどきの作品が上映されたようです。それが、コレ ↓ 「偉大な雌熊の息子たち」(1966年)。撮影地は、ぬゎんとザクセン・アンハルト。背景に針葉樹林も見え、どう見てもアメリカの西部じゃない…。いえ、風光明媚ではあるのですがね。西ではネイティブアメリカンと白人の友情を描いたのに対し、東では植民地主義と闘うネイティブアメリカンの姿を描いたんだとか。うーん、いかにも共産主義な作風。この作品で東ドイツにおけるネイティブアメリカン役の座を不動のものにした俳優さん、実はユーゴスラヴィア人なんですって。声は吹き替えです。でもこの人、西ドイツのインディア~ナ~フィルムにも出まくっています(苦笑)。いえ、分かります。濃ゆ~い風貌と立派なガタイですから引く手あまただったんでしょう。




 そしてさらに面白いのが、西ドイツ「ヴィネトゥ」のパロディ。これ、「荒野のマニト」(2001年)というタイトルで日本でも公開されております。「面白い」というのは「興味深い」という意味でございます。ドイツでは大ウケでも、「ヴィネトゥ」を知らない日本人には、何のことだかサッパリ…。元ネタを知らないパロディほど、見ていてイタイものはありませんな。実はワタシ、これの試写を見たのですが、笑い声がクスリとも起こらない「爆笑映画」を見るのってホントに辛い。いたたまれなくなりましたぜ。主演のミヒャエル・ブリー・ヘルビヒって、ドイツではすっごく有名。芸達者でコミカルなのですが、いかんせん日本では無名。今年の初めに東京のゲーテ・インスティトゥートで上映された「ホテル・ルックス」で主役を演じていました。いい俳優さんだと思うのですが、いかんせん日本では…(以下省略)。酒場が実はベニヤ板で、バタンと倒れたり、ネズミ取りを踏んじゃって「イテ~」と飛び上がったり、何かの拍子にウ●チを踏んじゃったりと、まるでドリフターズのノリ。主人公のアバハチがコテコテのバイエルン訛りなので、ドイツ語が分かる方にとってはそれなりに面白いんだけど。オネエ言葉のオカマちゃんも出てきます。



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by Alichen6 | 2012-11-15 09:30 | ドイツ映画 | Comments(0)

 皆様、おはようございます。朝晩冷え込むようになりましたね。昨夜からモニターの調子が変です。昨夜から「ブツブツブツブツ…」とミョ~な音を立てるのです。モニターってブツブツ不平不満を漏らすものでしたっけ?パソコン本体から異音がすることって、たま~にありますが、モニターがブツブツ言うのは明らかに異様。ヤな予感がします。

 そんな不安を払拭してくれるステキなアドベンツカレンダーを見せびらかして…ぢゃなかった、ご紹介してよろしいでしょうか? このカレンダーがうちに来てくれたエピソードをジマン…ぢゃなかった、ご披露いたします。先日、前に勤めていた会社の忘年会がありまして、午前様ギリギリの帰宅となりました。すると玄関に何やらステキな予感のする郵便物がワタシをお出迎えしてくれたのです。開けてみましたら…

  ぶらぼーーー!!!!


…このカレンダーが入っていたというワケでございます。ワタシったら、もう狂喜乱舞。東欧っぽい画風といい、アドベンツカレンダーの作りといい、モロにワタシのツボにどんぴしゃり。このカレンダーを復刻させるために、ある一定数の注文が必要だとのこと。同業で仲良くしてくださっている仏英の映像翻訳者さんが、ドイツかぶれのワタシのためにわざわざ送ってくださったのでした。ううぅ、感涙です。ありがとうございます♪

 …前置きが長くなりましたが、これみよがしに見せびらかし…じゃなかった、ご紹介しちゃいます。

撮影する手が写ってしまってスミマセン。これが表紙。
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1日に1枚ずつめくって下におろしていくシステムです。全部読みたい衝動にかられましたが、1日目をめくっただけで我慢しております。我慢、我慢。
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24日めで全部めくり終わり、ツリーが完成するというシステム。
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 待降節に入るのが、チョ~楽しみ。このアドベンツカレンダー「世界で一番美しい星」、アマゾンなどでも注文できるようです。お友達からいただいてホクホクしているワタシが言うのもナンですが、気になる方はWEBで是非。

 すーさん、いつも優しいお心遣い、ホントにありがとうございます。感涙です。

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by Alichen6 | 2012-11-13 09:03 | ドイツのモノ | Comments(7)

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。またまたお知らせで恐縮ですが、今度の日曜日に再び「日曜セミナー」を開いていただくことになりました。欧日協会ドイツ語ゼミナールさんのご好意です。今度は第二弾、戦後~現代にいたるまで。例を具体的に挙げながらドイツ映画の歴史をほにゃく犬目線で振り返ってみたいと思います。ダックスなので目線は低いのですが…。

 マンネリでは申し訳ないので、いくつか新ネタを仕込みました。「座布団1枚!」と言っていただけるように頑張ります^^; もし、もぉぉぉ~しご興味がおありでしたら、欧日協会さんのサイトをご覧になっていただければと思います。

 日時:11月11日(日)10:00~12:00
 場所:欧日協会ドイツ語ゼミナール (サイトは → コチラ
 終わりましたら、コーヒーブレイクがあります。


↓ ブログと全く関係ないのですが、ベルリンのイギリス大使館に飾られていた蝋人形。「GREAT」の文字も笑えます。確かにグレート。日本大使館が皇太子ご夫妻の蝋人形を飾るって、ちょっと考えられない…^^;
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by Alichen6 | 2012-11-08 09:38 | ドイツ映画 | Comments(1)