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by Alichen6
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 皆様、おはようございます。また、映画ブログをいくつか更新しちゃいました。もし、もぉぉぉ~し、ご興味がありましたら、チラ見してやってくださいませ → コチラ

 「バーダー・マインホフ 理想の果てに」
 「ハイジャック181」
 「嘆きの天使」
 「ベルリン陥落1945」
 「哀愁のトロイメライ ~クララ・シューマン物語~」
 「都会のアリス」
 「ウーファ映画社」

 ブログを書くために、久しぶりに「嘆きの天使」のDVDをチラっと見てみたのですが、やっぱり辛くて後半は飛ばしてしまいました… 何度見ても辛いですよね、あの映画は。あの場末感。教授が落ちぶれていく、あの何とも言えない空しさ。くぅぅ~

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by Alichen6 | 2011-08-31 07:59 | ドイツ映画 | Comments(2)

 先日、「古い映画祭のパンフレット」の日記で、「古い雑誌ってどこで読めるかな~」なんて書いちゃいました。コメント欄で国会図書館の複写サービスについて伺い(tanさん、その節はありがとうございました)さっそくサイトで見てみましたら…


  おお!これは便利ではないですか~~!!024.gif070.gif071.gif


 すんげー楽ちん。論文を書く研究者の方々にとっては常識だと思うのですが、アカデミックな作業とは縁のないほにゃく犬でして、初めて知ったでござるよ(恥)。「え?こんな常識、知らなかったの?」と言われちゃうのを覚悟で書いちゃいますっ 国会図書館で利用者登録をする必要がありますが(申込用紙をDLして記入し、身分を証明する保険証や免許証のコピーを添えて郵送します)、その後は簡単。「NDL-OPAC(=国立国会図書館-蔵書検索システム)」にログインして欲しい資料を検索し、チェックを入れて申し込むだけ。数日後、その部分をコピーして送ってくれます。振込用紙が同封されているので、あとは郵便局で振り込むだけでございます~。

 学会誌に掲載された学術論文だけでなく、キネマ旬報などの一般的な雑誌に載った記事もコピーしてくれます。著作権保護の観点から、1冊まるまるコピーとか、一度に大量の依頼などはできないのですが(一度に30部まで)。

 で、ワタシは古ーいキネマ旬報とか、岩波書店が出している雑誌の記事とか、イロイロと10種類ほどお願いした次第です。それが昨日届き、さっそく隅々まで読んじゃいました。面白かった-!当時の様子が分かりますし、その時代の評価(作品に対する評価って時代によって変わりますよね)も読めてとっても面白かったです。

 ちなみに資料検索する場合、国会図書館のHPから「NDL-OPAC」にログインして検索するワケですが、あいまい検索がNGらしく、ちょっとでも違うとヒットしないのです。また、対象が絞り込めていることが前提で、「どれがいいかな~♪」とあれこれ迷うのも無理。そんな場合は論文情報ナビゲータ(コチラ)でキーワード検索して興味のあるタイトルを選び、「NDL-OPAC」をクリックして直接飛ぶ手もあります。そっちのほうが楽ちんでした。フツ~の雑誌に寄稿された記事もヒットします。皆様にとって常識でしたら、ずびばぜんっ

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by Alichen6 | 2011-08-30 08:45 | つぶやき | Comments(2)

 以前も旧ブログで書いちゃいました。ドイツ映画界の自主規制組織「FSK」。日本の映倫みたいなヤツです。このことは存じていたのですが、この成立には戦前のドイツ映画界で大活躍した敏腕プロデューサー、エーリッヒ・ポマーが貢献したことは知らなんだ…。今はどちらかというと、猥褻かどうかとか、暴力的か否かをチェックする機関ですが、当時は「反ユダヤではないこと」「戦争やナチを肯定する内容でないこと」などを検閲したんですね。で以下、まだまとまってはいないのですが、自分用のメモを兼ねて書いちゃます。

FSKとはナンジャラホイ?(旧ブログから一部コピペします)

『Freiwillige Selbstkontrolle der Filmwirtschaft:ドイツにおける映画産業の自主規制組織。ズバリ、ドイツの映倫。青少年に有害と思われる内容を審査し、レイティングするのがその仕事で、審査規定は JuschG (Jugendschutzgesetz、青少年保護法)に準拠したものだそうです。

組織:映画やテレビ、ビデオなどの映像産業の16団体で構成される上部団体 SPIO (die Spitzenorganisation der Filmwirtschaft e.V.) の100%子会社で、GmbH(有限会社)の形態を取っているとのこと。主な収入源は審査料。

初めてこの組織の審査を受けた映画:戦時中に制作されたものの、ナチ政権からNGを出された作品だとか。しかし戦後、連合軍側(ソ連を除く)からOKが出、設立間もないFSK が初めて審査することになったそうです。1949年のことでした。

審査を行うメンバー:190名を超える担当者が審査に当たるとのこと。映像産業の従事者以外にもジャーナリストや教師、心理学者、学生、主婦など様々な分野の人々で構成され、その任期は3年とのこと。

レイティング:主に次のように分けられます。

●freigegeben ohne Altersbeschränkung:年齢制限なし
●freigegeben ab 6 Jahren:6歳からOK
●freigegeben ab 12 Jahren:12歳からOK
●PG (Parental Guidance):「freigegeben ab 12 jahren(12歳から)」と書かれている場合でも、PG の条件つきなら、保護者同伴で 6歳~の子供も見ることができる。
●freigegeben ab 16 Jahren:16歳からOK
●keine Jugendfreigabe :以前は「nicht freigegeben unter 18 Jahren(18禁)」と表示されたそうですが、2003年4月以降は、「未成年入場禁止」という表示に変わったとのこと。』

エーリッヒ・ポマーってだあれ? →
Erich Pommer (1889~1966)第一次大戦を経験した後(鉄十字章を受章しています)、映画産業にかかわるようになります。そこで頭角を現し、プロデューサーとして数々の名作を手がけるようになります。また、マレーネ・ディートリッヒを始め、多くのスターを発掘・育成したことでも有名。彼がかかわった作品のリストを見るとおったまげます。「カリガリ博士の小屋」「メトロポリス」「ニーベルンゲン」「ファウスト」「嘆きの天使」「狂乱のモンテカルロ」「会議は踊る」etc.etc.. しかしユダヤ系ということで、他のユダヤ系映画人とともにドイツを脱出してアメリカへ。移住後もハリウッドで活躍します。戦後、ドイツ映画界は占領軍の支配下にあり、厳しい検閲が行われていました。アメリカ軍占領地域で検閲を行ったのがエーリヒ・ポマー。彼は戦争中もハリウッドで活躍していましたが、アメリカ軍にその手腕を買われてドイツに呼び戻されたそうです。その後、連合軍の要求により新しく検閲制度を整えることになりました。そこでドイツ映画界をよく知るポマーに白羽の矢が立ち、1949年6月に検閲機関FSKが誕生するに至ったとのこと。その後、1970年までは、このFSKが検閲を行った作品しか上映を許されなかったそうです。


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by Alichen6 | 2011-08-29 10:33 | ドイツ映画 | Comments(2)

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 昨日、さっそく代官山まで行ってきました!会場は駅から歩いて3分。おされ~な所にあります。第1回目より広いギャラリーを借りられたとのことで、今回はカードのほかにもアート作品やTシャツなどのグッズも販売されておりました。

 サイトは → コチラ

じゃじゃーん! ゲットしたブツです(前回購入したカードの残りも一緒に写しちゃいました)。カードは、日本の被災地のために募金をしてくれたり、お祈りをしてくれたりしたドイツ人の友人にお礼の言葉を添えて送っています。あと、一回り大きい深緑のカードに貼ってクリスマスカードに使う予定。
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 ワタシも何か被災地のためにボランティアをしたいな~と思うのですが、モロモロの事情でなかなかできなくて心苦しく思うことしばしば。せめて、こうしたグッズを買うことで小さなお手伝いができると嬉しいな~と思います。大きなことができなくてホントに申し訳ないです。

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 ギャラリーのすぐ向かいにある、これまたチョ~おされなカフェでランチ。お値段がとってもリーズナブルなのに、とっても美味しかったです。その名も「ル・ビストロ・パッション代官山」 名前からしてオシャレでスゲ~! ランチは780円~からあります。
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      キッシュ・ロレーヌ。これにパンと飲み物がついて1000円ポッキリ。熱々で激ウマ。


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       別料金でケーキを注文。洋なしのタルトです。
by Alichen6 | 2011-08-27 15:17 | つぶやき | Comments(4)

サポサポproject vol.2


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 明日26日から3日間、代官山にて東京芸術大学美術学部卒のアーティストたちによる「サポサポproject vol.2」が開催されます。先日の vol.1 に続き、第2弾!(ロゴは主催者さんのサイトからお借りしました)

 サイトは → コチラ

 「息の長い支援を」ということで、被災地のボランティア活動を支えることを目的とした活動です。活動の記録などは、上記のサイトをご覧ください。同業のすーさんの同級生でグラフィックデザイナーの ずんこさん(juccoさんから改名^^)のご主人様が中心になって活動しておられます。前回も書いたのですが、ご夫妻および看板犬「小鉄君」の誠実なお人柄&お犬柄はワタシが保証いたします016.gif

 ワタシは明日のお昼過ぎに行こうと思っています♪ 前回同様、ア~トなデザインのカードを購入し、先の震災でいろいろ心配してくれたり、現地で募金をしてくれたりしたドイツのお友達に送る予定です。もしご興味がありましたら、是非。


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by Alichen6 | 2011-08-25 16:08 | つぶやき | Comments(0)

★誤解を招く表現がありましたので、訂正いたしました。言葉が足りず、大変失礼いたしました。(20時40分)

 ここのところ、ずっとこの雑誌の話でずびばぜんっ マニアックですよね…。自分用のメモも兼ねて書かせてくださいませ。

e0141754_923494.jpg 先日ポチった古い雑誌「映画評論」1941年5月号。太平洋戦争の開戦直前であり、ヨーロッパでは既に第二次世界大戦が始まっていた頃。ユダヤ人の映画関係者はドイツを離れ、ドイツ映画界はナチのシンパばかり。とーぜん、日本も同盟国ドイツを擁護する立場でしたから、映画雑誌でも「純粋なドイツ映画」を賛美しておりました。引用するのもちょっとためらわれますが、ご参考までに少しだけ。

『一九三三年のナチスの登場は、ドイツの映画界の歴史にとっての最初の大いなる衝撃であった。映画ばかりではない。演劇もラヂオも新聞も、すべての文化現象は、ゲベルスの下に宣傳教化省に統制されるやうになつた。その中でドイツ映画にとつての最大の變化は、ユダア人の徹底的な淸掃であり(以下略)』『彼(カール・リッター)の映画制作者としての最大の努力は、彼のどの映画にも色濃くあらはれてゐるが、ドイツの新倫理観をとり上げてゐることである。圓熟した映画技術をもつて、新しいドイツ的な精神の生活倫理をただしく描いてゐることである』(以上、映画評論1941年5月号「ドイツ映画トーキー以降」より引用しました)



 この雑誌の巻頭グラビアで取り上げられている映画監督とその最新作は(表記は雑誌どおり):

ウィリ・フォルスト「オペレツタ」
カール・リッター「新婚旅行」「勲功章」「正装舞踏會」
フアイト・ハーラン「不滅の心臓」
(『最近問題作「猶太人ジュス」を發表し圓熟した云々』という解説がついておりました…。「ユダヤ人ジュース」については → コチラを)
グスタフ・ウチツキー「壊れた瓶」「命ある限り」
カール・フレエリッヒ「さんざめく夜の舞踏會」「女王の心」「噴火山上の踊り」「秋のわかれ」
ハンス・シタインホフ「死の挑戦者ロベルト・コッホ」
ウオルフガング・リーベンアイナー「ビスマーク」

 うーん この顔ぶれは…。ドイツ映画史で「ナチお抱え映画監督」として紹介される監督がたくさんいる…。どの監督もこの雑誌内で「巨匠」「一流監督」「才人」などと絶賛されています。


 ただ、瀬川裕司さんが「ナチ娯楽映画の世界」で書いておられたように、ナチの時代に作られた映画は露骨で悪質なプロパガンダ映画だけでなく、プロパガンダ色を排除した娯楽映画も多かったとのこと。それが何となく分かるような気がします。この雑誌内で取り上げられている作品には、後者の部類もありそう。確かにこの4月号では「ユダヤ人ジュース」や、戦場の記録映画「勝利の歴史」といった露骨な作品も取り上げられてはいました。でもラインナップの中には、そうではなさそうな作品も。最初に「ナチ時代の作品=すべて悪質なプロパガンダ」という結論ありきで進められた研究もかつては多かったそうですが、それは戦後の特殊な時代背景もあるそうです。西ドイツの歴史家は、とにかくナチを否定しなくてはならない時代でしたから、ナチの否定が一種の踏み絵だったんですね。だけど、プロパガンダ映画らしくない作品も実は多かったとの解説には納得してしまうほにゃく犬でございます。もちろん、この雑誌1冊で決めつけてはいけないのですが。すみません、ワタシが抱いた勝手な印象です。

 余談ですが、上述の「ナチ娯楽映画の世界」によりますと、ナチお抱え監督といえど、その作品は常に厳しい査定にさらされ、その言動も常に監視されていたとのこと。従順でナチにとって“無害”な映画(=ナチの教義に反することのない映画。そして国民たちの目を厳しい現実からそらし、ひとときの充足感や気晴らしを提供することによって不満をそらす映画)を作ることが彼らの使命だったけれど、多くの制約の中で製作に当たるのは現代とは比較にならないほどのプレッシャーだっただろうとのこと。不用意な発言をしたり、ゲッベルスやヒトラーの意図に反する演出をしようものなら、クビが飛ぶどころか、命まで危なかったわけですから。うーん、いろいろ考えさせられます。


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by Alichen6 | 2011-08-24 09:00 | ドイツ映画 | Comments(8)

 ここ数日、涼しい日が続いて助かりますね~。今、ネットの古書店でポチった雑誌や本を読みふけり、イロイロ調べ物の真似事をしております。自分用のメモとして、ここに書かせてください。ちゃんと調べたワケじゃないので、あくまでも自分用のメモでございます。

 仕事柄、映画関係者の経歴を調べることが多いのですが、ベルリンの「エルンスト・ブッシュ演劇大学」(Hochschule für Schauspielkunst „Ernst Busch“ Berlin)を出た俳優って実に多いんですよねー。ここの名前は前から知っていたのですが、ぬゎんと、この学校の前身は、マックス・ラインハルトが1905年に設立した「Schauspielschule des Deutschen Theaters zu Berlin (ベルリン・ドイツ演劇学校)」だったんですね…!ええ、ワタシったらビックリでございますわ。今頃こんなことを書いちゃってすみません。お詳しい方にとっては常識だと思うのですが。

 マックス・ラインハルトってナンジャラホイ? → 先日もチラっと書いたのですが、20世紀初頭のドイツ演劇界に君臨した人物だそうです。彼の劇団に所属していた俳優の多くがその後、活躍の場をスクリーンに移しています。確かに、初期のドイツ映画作品(もちろんサイレント)に出演していた俳優の経歴を調べると、ラインハルト劇団の出身者が実に多い。初期のドイツ映画に多大な影響を与えたのはマックル・ラインハルトだと言っても過言じゃないほど。ちなみに彼はユダヤ系であったため、1933年にはアメリカへ移住を余儀なくされています。学校はその後も細々ながら存続し、東独時代の1951年に国有化。1981年には「学校(Schule)」から「単科大学(Hochschule)」に格上げされたそうです。

 以上、自分用のメモでございます~。 嗚呼、見てみたい作品が多すぎる~~ 日本ではDVD化されていないものも多く、ドイツのアマゾンでポチるしかないですね~。お金が貯まらないワケだ。おっと、ポチる前に本棚を整理しないと… Kein Platz mehr!


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 またまた見せびらかしちゃってずびばぜんっ オーストリアのお土産にいただいた、「Manner」のウェハース別味。以前、Manner をいただいてから、ワールドカップのジャンプを見るたび、ヘルメットにマナーのロゴがついていないかチェックするクセがついちゃいました♪ ウマかったです。N子さん、いつもありがとうございます~~~010.gif
 
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by Alichen6 | 2011-08-23 10:23 | ドイツ映画 | Comments(0)

 先日、古書検索サイト(日本の古本屋)でポチったブツが続々到着。それがですね~ どれも面白くて読みふけってしまいました。このところ、情報は何でもネットから得ていたのですが、ネットでは得られない貴重な情報が満載であることを実感。やはり横着してはいけないんですね。もっと国会図書館など大きな図書館に足を運んだり、古書を読んだりしないと…。ゲットしたブツについては、また改めてご紹介(「ご紹介」と言うとカッコいいけど、実は「見せびらかし」なんですが…^^;)させてくださいませ。

e0141754_13354541.jpg で、昨日書いた「映画評論」昭和6年4月号の話に戻ります。しつこく同じ話をしてすまんのう。昭和6年とは1931年。欧米ではサイレントからトーキーへと移行する時期だったんですね。アメリカは早く、この時点でもう何本も制作されていたみたいです。かの有名なミッキーの前身「蒸気船ウィリー」なんて、1928年公開ですもんね。もちろんトーキーです。アメリカ、早っ  ドイツでも1930年にはトーキーが作られていたそうですが、一方でまだまだサイレントの人気も根強かった模様です。とにかく世界の潮流は「ものを云ふ映畫」。日本の映画評論雑誌でも盛んに「トオキイとは」みたいな特集が組まれたみたいでございます。この4月号は特にドイツ特集ということで、「獨逸に於ける發聲映畫」という記事を載せておりました。これがまた、面白いのです。引用させていただきますね。

『トオキイは映畫俳優にまで襲ひかかった。カメラの前でミミークをやつてゐる彼等は今度は言葉を發せねばならなかつた。で中には周章した俳優もあつたに違ひなかつた。然し獨逸の俳優は、その點都合のいいことには、其の多くが何れも舞臺に經験のあることだ。これが此の際非常に役だつて來たのだ。發聲術に就いて研究があり、直ぐにも發聲出來たのだが舞臺と映畫とは本質が異る。舞臺に於いて發聲術がそのまま直ちに映畫に移され得るといふことはあり得ない。そこで必然的に映畫發聲術の研究となる。このために現に研究所が設立されてゐる。そしてそこでお互ひに研究する譯だ。獨逸の俳優名鑑をみると、その俳優の話せる國語も記してある。例へば、ある俳優は、獨、英、佛、伊といふ工合に。そしてまたこれが必要でもあるのだ』(以上、「映画評論」昭和6年4月号より引用終わり)

 おお!と思いましたのは、「獨逸の俳優の多くが舞台出身であり、発声もできた」との指摘。この頃からそうだったんですね。また後日書いちゃおうと思っているのですが、20世紀初頭のドイツ映画って「ラインハルト劇団」所属の俳優ばかり。主催者マックス・ラインハルトは、当時の演劇界に君臨していた人物だそうで、「カマーシュピール(室内劇)」を提唱・実践したんだそうです。その影響のせいか、初期のサイレントって、まるでカメラを小劇場の客席に設置して撮ったかのような作りばかり。のちに「カマーシュピールフィルム(室内劇映画)」と呼ばれるジャンルとなっていくそうです。独逸では今も演劇と映画が強く結びついているのって、ここから来るんでしょうか。スクリーンで活躍する俳優も、その原点は舞台だ、という人は今も多いですよね。アメリカやフランスの例を知らないので何とも言えないのですが…。お詳しい方、ご教示びて。

『吾國にはドイツ發聲映畫も英語版といふものを上映してゐる。これ果して賢明であるかどうか疑問だ。アメリカや英國などへ發展策として、英語版を製作することそれは正しい。だが日本も英語版を上映せねばならないだらうか?(中略)獨逸發聲映畫の英語版といふこと、これは色々の方面から檢討されていい好き問題であることを失はない』(以上、同号から引用)

 げっ 当時から日本では英語版が上映されていたんですね…。今でこそ、獨逸語で上映されるのが当たり前ですが、少し前(いや、今も)まで、DVDなどは英語吹き替え版に日本語字幕がついている例も結構多かったです。あと、翻訳用のスクリプト(台本)も英語版しか入手できないとかも。世界戦略を考える以上、英語版を作るのは当然と思いますが、やっぱり獨逸映画は獨逸語で聞きたい。この原稿を書いた方も同じご意見だったんですねー。


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by Alichen6 | 2011-08-21 13:34 | ドイツ映画 | Comments(0)

 おはようございます。連日、ハンパない暑さに見舞われていますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。ワタシったらここに来て、すんごくヒマになってしまいました…。いえ、時間がたっぷりあるというのは悪いことではないのですが、フリーランスのほにゃく犬にとって、「ヒマ=仕事ゼロ」ということでして…。このままずっとヒマだったらどうしようという不安に襲われるほにゃく犬でございます。

 が、やることは山ほどあるのだ。長い間「見なかったこと」にしていた開かずの間、整理せずにずっと放置していた書類の山、たわんだ本棚、ごちゃごちゃの家の中、収穫する前に「バッタの食べほ」と化してしまったベリーの苗(葉っぱは既に編み編みタイツ状。よ~するに葉脈のみ)。こういったモロモロに手をつける前に、とりあえずブログを更新するほにゃく犬でございます。

 人間、ヒマになるといけませんな。ついついネットを徘徊してしまう。先日も調べ物をしているうちに、全く関係ないブツに目が釘付け。迷わずポチってしまいました。それが下の2冊です。もう廃刊となってしまった映画雑誌「映画評論」。上が昭和6年(1931年)4月号、下が昭和16年(1941年)5月号で、どちらもドイツ映画特集。

<昭和6年4月号>
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<昭和16年5月号>
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 それがですねー、すっごく、すっごく面白かったです!まだ全部は読んでいないのですが(分量が多くて読み応えアリ)往年の名作や名監督に対する、当時の評価が載っているのです。目次を見ていただくと分かるのですが、すごいラインナップでしょ。巻頭に映画の写真が載っているのですが、「おお!」と思ってしまう名作ばかり。コーフンいたしました。フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」なんて、今じゃ「SF映画の原点にして頂点」とか言われているそうですが、当時の映画評を見ると「スケールのかくの如くに大きいことそれ自身が必ずしもその作品のすぐれたものとは云ひ得ない」「科學の世界を描きつつその出鱈目な非科學的取扱ひの馬鹿々々しさに驚くものがある」「ラングはその後未來を描いてまんまと失敗した」とありました。まだ評価が定まっていない頃なので仕方ないですよね。このオッサンの見る目がなかっただけ。ドイツで活躍した後、アメリカへ渡ったルビッチュに対しては「今も昔も変らないものはエロです。ドイツの頃には油汗のにじみ出る様なネトネトした悪どい猥趣味、アメリカの初めにはかなりきれいに洗練されて來た猥趣味、今は正しく規定通り股下二寸のズローズと云ふことになつちまひました」とあります。この批評家は、いったい褒めているんだか嘆いているんだか。

 とにかく面白いのです。ドイツ映画がこれだけ大々的な特集を組まれることも羨ましいし、かなり踏み込んで分析しているのも驚きです。黄金の20年代直後とあって、日本でも優れた作品が多く公開されたんでしょうね。いいなー。当時の翻訳者さん、大忙しだっただろうなぁ…。昭和6年の頃は、ちょうどトーキーが一般的になってきた頃。この4月号が出たあと、かの「嘆きの天使」が日本でも公開されています。また、この雑誌の中でも「獨逸のトオキイ」とか「獨逸の發聲映畫」といった呼称で特集が組まれています。

 昭和16年のほうは、太平洋戦争が始まる直前とあり、戦争色が見え隠れ。ドイツは既に第二次大戦に突入していましたもんね。ナチ映画も当然、ゲッベルスのお墨付き映画ばかり。複雑な気持ちになります。が、これも史実ということで、ご紹介させてくださいね。でも、ワタシは決してナチ信奉者ではありません(旧ブログで、そちら方面の方がお見えになってしまった苦い経験がありますので、あらかじめ断り書きをば)。ただ、必ずしも露骨なプロパガンダ映画ばかりではなかった模様。瀬川裕司さんの「ナチ娯楽映画の世界」でもありましたが、国民を「いい気分にさせておく」というのもナチ映画の重要な役目だったそうで、一見戦争とは無関係なアート系映画もかなりあったようですね。

(↓ 昭和16年5月号より)
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 それにしても。 ドイツの古い本を読むときは、「げっ ヒゲ文字かぁ」と構えてしまうのですが、日本の古い本なら大丈夫。

…と思っていたワタシが甘かった!旧字体のオンパレード。印刷も今のように高品質でないこともあり、読みづらいったら…。修行が足りないほにゃく犬です。


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by Alichen6 | 2011-08-19 09:39 | ドイツ映画 | Comments(4)

 すみません、またまた「プラーグの大学生」ネタでございます。新旧2本の比較、すっごく面白かったです!「新」と言っても1926年作なので、どっちも古いことは古いのですが。旧作が作られた1913年から1926年までの13年間に映画制作を取り巻く環境や制作技術が大きく変わったんだろうなぁというのは容易に想像できますです。1913年のほうは、カメラを固定したままずっと写し続けており、どちらかというと劇場でお芝居を観ている感覚。1926年のほうは、アングルを変えたり、クローズアップを多用したり、カットで変化をつけたりと、現在の映画に近い手法が取られておりました。役者さんの表情もずっと豊か。ただ情景を撮るのではなく、ストーリーに合わせて撮影にも工夫がなされていたって感じです。どちらもサイレントではありますが、「娯楽作品」という観点からすると、1926年のほうがやはり完成度が高い。一方、1913年のほうは、先駆的な作品としての価値が高いという印象でございました。先日もご紹介しましたが、コチラのブログで両者が比較されております。

 自分用のメモも兼ねて、両作品のデータを書いちゃいますねっ


e0141754_8393933.jpg『プラーグの大学生』(Der Student von Prag)1913年
(85分バージョンと41分バージョンがあるそうです。ワタシが入手した英語版は後者。唐突な感が否めなかったのは、短いバージョンだったからなんですね)

Stellan Rye(シュテラン・ライ)、Paul Wegener(パウル・ヴェーゲナー)監督
Hanns Heinz Ewers (ハンス・ハインツ・エーヴァース)脚本
Edgar Allan Poe (エドガー・アラン・ポー) 原作
(ドッペルゲンガーが出てくる『William Wilson』に触発され、エーヴァースが本作の脚本を書いたと言われているそうです)
Deutsche Bioscop GmbH(ドイツ・ビオスコープ有限会社)制作

Paul Wegener (パウル・ヴェーゲナー)バルドゥイン役
John Gottowt (ヨーン・ゴットウト)山師スカピネッリ役
Grete Berger (グレーテ・ベルガー)伯爵令嬢マルギット役

パウル・ヴェーゲナーは表現主義映画として知られる「巨人ゴーレム」の監督も務めていますね。さらに、ナチのプロパガンダ映画として知られる「コルベルク」(ファイト・ハーラン監督)にも出演してたんだ…。知らなかった!ドイツ語のウィキによると、プロパガンダ映画に出演していた一方で、反ナチの姿勢を隠そうともせず、反体制派に資金を提供し、活動家たちを自宅にかくまっていたんだとか。
ヨーン・ゴットウトは、知る人ぞ知る「ノスフェラトゥ」でブルヴァー教授を演じた人だったんですね…。「山師」という言葉がピッタリの風貌でございました。ウッヒッヒ~という笑い声が聞こえてきそうな感じ。


e0141754_8593726.jpg『Der Student von Prag』(1926年)
Henrik Galeen(ヘンリック・ガレーン)監督
Henrik Galleen(ヘンリック・ガレーン), Hanns Heinz Ewers(ハンス・ハインツ・エーヴァース)脚本
Sokal Film GmbH制作

Conrad Veidt(コンラート・ファイト)バルドゥイン役
Werner Krauss(ヴェルナー・クラウス)山師スカピネッリ役
Agnes Esterhazy(アグネス・エスターハージー)伯爵令嬢マルギット役

コンラート・ファイトは「カリガリ博士」で夢遊病者ツェザーレを演じた俳優さんだそうです。ツェザーレはメイクが濃かった上、ほとんど寝てばっかりだったので(笑)、同じ人だとは気づきませんでした。こっちの山師は「山師」というより、山高帽をかぶった「謎の男」といった雰囲気。「ウッヒッヒ~」とは決して笑わず、「フフフ…」といった不敵な表情が似合う。旧作に比べると、カメラ向けの演技も撮影方法も格段に進歩し、この間に映画が一大娯楽産業となっていったのが伝わってきます。観客も目が肥えてきていたでしょうね。よくよく考えてみると、旧作は第一次大戦前夜、帝政ドイツの時代だったんですねぇ…。一方、1926年版はワイマール共和制に移行した時期。たったの13年ですが、激動の時代だったわけですから、社会の変化は大きかったのでしょう。ナットク。



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by Alichen6 | 2011-08-18 09:01 | ドイツ映画 | Comments(0)