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by Alichen6
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カテゴリ:今日は何の日?( 27 )


1945年5月8日


 皆様、おはようございます。GWも終わりましたね。いかがお過ごしだったでしょうか?ワタクシ的には、連休って連日三食を作らなきゃいけないのでユーウツなのです。仕事がはかどらないしなー。終わってホッとしているのは家族に内緒でございます。連日、通勤で大変な思いをしていらっしゃる方々にとっては、それから解放されるだけでも体がラクですよね。お疲れ様です…。

 ところで、今日はドイツが降伏した日ですね。今年はちょうど70年。ここのところずっと、70周年に関する記事がネットにUPされておりました。もうご覧になった方もいらっしゃると思いますが、まずは70年前と現在のベルリンをマウスで比較できるサイトを… → コチラ とか コチラ

 そして、ドイツ終戦に関し、いろいろな動画が見られるサイトは → コチラ(←実はうちの無線LANの調子がこのところイマイチで、動画がうまく見られないのです。。すぐ固まっちゃう。ちゃんと見ていないのにご紹介しちゃってすみません)

 我が国でもイロイロな考え方がありますよね…。イヤな方向に少しずつ進んでいるようで、非常に不安。いえ、イロイロな考え方があってしかるべきだと思います。政治家のオッサン連中と違う意見があって当然。言論統制やマスコミ操作は絶対に、絶対に、絶対にやってもらいたくない。特に政治家たちは、耳に痛い意見に対してもきちんと耳を傾けてもらいたい。悲惨な歴史を二度と繰り返さないよう、子供たちにも過去のことをきっちり教えてもらいたい。
by Alichen6 | 2015-05-08 10:05 | 今日は何の日? | Comments(2)

 もう数日経ってしまいましたが、25年前の10月17日は、エーリヒ・ホーネッカー元・国家評議会議長/元・社会主義統一党書記長が失脚した日だったんですね。例によって、ドイツ大使館のサイトを引用させていただきます。
記事は → コチラ

以下、引用です:
『東ドイツの最高権力者であったエーリヒ・ホーネッカーが権力の座を追われました。建国40周年式典からわずか数日後、SED政治局は、ホーネッカー解任を会議の議題としたのです。』
『党内で孤立したホーネッカーもこれに同意せざるを得ず、翌日、18年にわたった権力の座を、公には「健康上の理由」で明け渡し、すべての役職を失いました。後任には、後継者とみなされていたエゴン・クレンツが選出されました。こうしてホーネッカー時代は終わりました。』(引用終わりです)

 このあたりも、記憶に残っています。ちょうど東ドイツへ旅行中でした。西や東のドイツ人に「いったい、何が起こってるの?」と聞くと、「私たちにも分からない」という答えが返ってきました。何が起こっているのか、この先どうなるのか、一般の人たちはおろか政治家や学者にもわからない状態だったのだと思います…。

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 ↑ 何度も何度も載せて大変恐縮なのですが、当時を思い出す資料として再び載っけちゃいました。1989年10月17日付けの新聞です(たぶん朝日新聞)。この前日、これまでで最大規模のデモが起こった模様。こうしたデモも、ホーネッカー解任への圧力となったようですね。新聞の一部を引用いたします。

以下、引用です:
『治安当局は規制を全くせず、国営テレビ、ラジオ、ADN通信などは初めて国内外にその様子をコメント抜きで報道した。ホーネッカー国家評議会議長ら一部の強硬派を除く、党指導部が民衆の声に乗る形で体制内改革を目指そうという東独の新潮流を反映したものと見られる』

 この記事にもありますように、ベルリンのゲッセマネ教会でも集会が開かれたとのこと。その翌日、教会を見に行くと前日の余韻がまだ残っていました。これまた、何度も載せた画像でホントにすみません。横断幕に「不当に逮捕された者たちのために、見守り、そして祈ろう」とあります。ちなみに、連れていってくれたのは友人のご主人。彼も民主化運動を支持しており、こうした集会があると頻繁に参加していました。(今年になって彼の奥さんから聞いたのですが、当時勤めていた化学系の国営企業で民主化運動を組織し、解雇されたんだとか… 当時も血気盛んでしたが、60歳を超えた今もかなりヤンチャ。気骨のある人です。)
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 やはり、リアルタイムでの報道って緊迫感が伝わってきます…。動き始めた歯車は、もう絶対に戻せないという感じですね。
by Alichen6 | 2014-10-20 15:22 | 今日は何の日? | Comments(4)

ドイツ再統一 24周年!


 今日は10月3日、東西ドイツが再統一された日ですね。あれから24年。早いなぁ…。当時のことは、今でもよ~く覚えています。

 Twitter で知ったのですが、Google.de のロゴがカワイイ!統一を祝ってくれています。クリックして見てみてね → コチラ

 今までに何度も載せたので恐縮ですが、1990年10月3日の新聞広告です。会社に置いてあった Handelsblatt を失敬してきたような記憶が…。統一の喜びとともに、これからの期待も込められていますね。Wir freuen uns auf die Zukunft. とあります。この24年は、決して平たんな道のりではなかったけれど、1歩1歩着実に進みながら問題をクリアしていった姿勢には、本当に感心します。おめでとう、統一ドイツ。
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by Alichen6 | 2014-10-03 09:44 | 今日は何の日? | Comments(0)

1989年9月11日


 また1日過ぎてしまいましたが、25年前の昨日9月11日は、ハンガリー政府が、自国に押し寄せていた東ドイツ国民のために西側の国境を開いた日なんだそうです。開いた時刻は日付が変わったばかりの0時00分。これは大きな出来事ですよね。一気に歴史の歯車がガチャン!と音を立てて回り始めた日でした。新聞報道も覚えています。これはハンガリーと東ドイツ間で結ばれていた協定を破る決断なのですから… そしてこの日以降、大勢の東ドイツ国民がハンガリーからオーストリア経由で西ドイツへと流れていくことになります。

 大使館のサイトは → コチラ


ハンガリーから西ドイツへやってきた東ドイツ国民について報道するARD(国営第一放送)のニュースです。YouTube にありました。ご存じ、「ゴォォォーーーン… Hier ist das erste deutsche Fernsehen mit der Tagesschau. ちゃーーん、ちゃーーん、ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃーーーーん♪」です。「グッバイ、レーニン」で病床のお母さんが聞いちゃったヤツ。「同志ガンスケが西のテレビを?」とお母さんがビックリしましたよね。それに対するアレックス君の答えも笑っちゃいました…。ガン助が恋をしたという、とっさのウソ。ああ、久しぶりにあの映画が見たくなってきた・・!



 この1日前のニュースも見てみました。前日の段階で、「ハンガリーが今夜遅くに国境を開く見込み」と報道されていましたので、これを見た人たちがさらにハンガリーへ向かったんでしょうね。こうなっちゃうと、もう止まらない…。あとから振り返ってみると、11月の壁の崩壊は歴史の必然だったようにも思えますが、当時は誰もそこまで予測していなかったハズ。
 
 なお、この中で「Notaufnahmelager(緊急受け入れ施設)」という言葉が出てきますよね。これが今の私にとってはキーワードでして、イロイロ調べておりました。このニュースに出てくるのは、文字通り「緊急に作られた仮受け入れ施設」的なものらしいのですが、これ以外にきちんとした施設があるのです。1950年9月30日に西ドイツで施行された「Bundesnotaufnahmegesetz(定訳がないようなのですが、あえて訳すと連邦緊急受け入れ法?)に基づいて1950年代に建設された施設です。東独から逃げてきた人、亡命してきた人を受け入れるための場所で、西ドイツ内に3か所あったそうです。ベルリン、ギーセン、そしてイェルツェンというハンブルク近郊の町。東西ドイツがそれぞれ1949年に建国されますが、その後も東から西へと逃げる人が後を絶たなかったようです。ベルリンの施設は今ミュージアムになっているとのこと。実は今回の旅行でもそこまで行ってきたのですが、ぬゎんと休館日!トホホでした。これも次回、リベンジするぞ!

↓ マリーンフェルデ緊急受け入れ施設の外観。中に入れなかった…!残念。
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by Alichen6 | 2014-09-12 10:27 | 今日は何の日? | Comments(0)

1989年9月4日


 1日過ぎてしまいましたが、今から25年前の出来事を。例によって、ドイツ大使館のサイトのご紹介です(コチラ)。1989年9月4日、ライプチヒのニコライ教会にて、初めてデモが行われたんだそうです。以降、ライプチヒは毎週月曜日にデモが行われるようになります。動き始めた歯車は、もう誰にも止められない、ましてや逆に戻すなんて不可能という感じでしたね。


 地下鉄ブランデンブルク門駅にあったプレート。ベルリンの壁に関する、有名人の言葉が載っています。80年代を知る世代にはとても懐かしい。ちなみにこのU55番系統って、ブランデンブルク門駅→連邦議会駅→ベルリン中央駅という、たった3駅のミニ路線(私も教えていただいて初めて知りました…)。

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「誰も壁を造ろうなどとは思っていない」 ヴァルター・ウルブリヒト 旧東独国家評議会議長/社会主義統一党書記長(1961年6月15日)
「ゴルバチョフさん、壁を崩してください」 ロナルド・レーガン元米大統領(1987年6月12日)
「東独政府のすべての幹部、すべての将校・兵士よ、同胞を撃つな」ヴィリー・ブラント西ベルリン市長(当時)(1961年8月16日)

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「壁は50年後も100年ごも存在するだろう」 エーリヒ・ホーネッカー 旧東独国家評議会議長/社会主義統一党書記長(1989年1月12日)
(すみません、ロシア語だから分からず…日付からして、東独建国40周年の式典に招待された時の言葉ではないかと…。) ミハイル・ゴルバチョフ ソ連共産党書記長(1989年10月6日)
「ブランデンブルク門が閉ざされている限り、ドイツの問題は解決しない(オープンだ)」 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元西ドイツ大統領(1985年6月8日)

 私の訳がマズくて申し訳ないのですが、こうして改めて見てみると、言葉の力を感じます…。どれも名言であると同時に、時代の緊迫感が伝わってきます。
by Alichen6 | 2014-09-05 22:00 | 今日は何の日? | Comments(4)

8月13日


 皆様、お盆の季節ですがお元気でお過ごしでしょうか?今日はまた雨が降るとのこと、ひどい降りじゃないといいなぁ。

 さてさて、例の大使館のサイトですが、昨日また更新されたみたい。1989年8月13日の出来事です。サイトは → コチラ。ハンガリーはブダペストの西ドイツ大使館に、出国を求める東ドイツ国民が殺到したとのこと。このあたりのことは、よく覚えています。連日、大勢の東ドイツ国民が押し寄せるようになり、それが大きな「うねり」へと変わり始めた時期だと思います。「この先、どうなっちゃうんだろう…」と思いましたが、まさか2か月半後に壁が崩れるとは思いもしませんでした。政治家ですら、予想していなかったんですもんね。

 実はこの「8月13日」、もう1つ別の大きな出来事があった日なのです。1961年8月13日、ベルリンの壁の建設が始まりました。。。YouTube に1分でまとめた映像がありましたので、貼り付けますね。鉄条網を乗り越える兵士の写真など、有名な画像も写っています。



 こうして改めて見てみると、冷戦の間に一触即発の危機が何度もあったのだな、ということが伝わってきます。一歩間違えたら核戦争でしたもんね。今も地球のあちこちで紛争が勃発していますが、なんとか収まってほしいなぁと心から思います…。
by Alichen6 | 2014-08-14 10:23 | 今日は何の日? | Comments(0)

11月9日


 今日は11月9日。今から75年前の今日、「帝国水晶の夜」と呼ばれる事件が起きました。ドイツの各地でシナゴーグやユダヤ人の商店が襲撃され、放火された事件です。以前もこの日について日記に書いてしまいました。もしご興味がおありでしたら… → コチラ



 この夏に撮った画像です。現在のシナゴーグに掲げられたプレート ↓
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 そして今から24年前の今日、ベルリンの壁が崩壊したんですよね…。いろいろ考えさせられる日です。

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by Alichen6 | 2013-11-10 00:12 | 今日は何の日? | Comments(2)

 今日、5月8日はドイツにとって忘れられない日です。3年前に書いた日記を思い出し、久しぶりに読み返しました。ワタシの日記自体は大した内容でもないのですが、ヴァイツゼッカー元大統領の演説は、今読んでも感動的。今、この時期だからこそ私たちも読んだほうがいいのでは~??と思い、再掲いたしました。もしご興味がありましたら。

Es geht nicht darum, Vergangenheit zu bewältigen. Das kann man gar nicht. Sie läßt sich ja nicht nachträglich ändern oder ungeschehen machen. Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart. Wer sich der Unmenschlichkeit nicht erinnern will, der wird wieder anfällig für neue Ansteckungsgefahren.

*************************************
(以下、2010年5月10日の日記です。当時は試聴できた当時の音源が今では再生できなくなってしまったので、それは削除いたしました。ガックシ。なので原稿のみです。)

 先日、5月8日はドイツにとっては忘れられない1日でした。第二次大戦において、ヨーロッパの戦争が正式に終わった日です(降伏文書に調印したのは、前日7日だそ~ですが)。終戦から40年経った1985年5月8日、当時の西ドイツの大統領だったリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏が歴史に残る演説を行ったことは、すご~く有名なので、ワタシが今さら書くのもおこがましいと思いつつ、ご紹介させてください。「過去に目を閉ざす者は現在においても盲目になる」として、過去を直視することを勧めたくだりはチョ~有名ですよね。

1985年5月8日、ヴァイツゼッカー大統領の演説 → コチラ

演説の日本語訳 → コチラ

この4月に90歳になった「Staatsmann」のニュースを見つけました。冒頭にシュミットさんやゲンシャーさんも映っています。懐かしいっ



ドイツの良心と呼ばれるのが理解できるような気がします。こんな偉大な政治家がいるドイツが羨ましい・・・ ふと我が国を見ると・・・015.gif

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by Alichen6 | 2013-05-08 09:14 | 今日は何の日? | Comments(17)

1989年11月9日


 今日は何の日、ふっふー♪ (←コレを知っている人、手ぇ挙げて~) そーです、ベルリンの壁が崩れた日ですよねぇ…。旧ブログでも何度か書いてしまいましたので、「またその話?」と思われる方もいらっしゃると思います。お許しください。毎年、11月9日が来ると日本人のワタシも「きゅん」としちゃうのです。

 22年前、10月いっぱいは休暇でドイツにおりました。その時もドイツは東西とも既に混乱状態。連日のように東から人が西へ逃げておりましたし、もう何が何だか…。ドイツ系の金融機関にいたのですが、11月9日の市場は大混乱でした。為替も株価も債券も乱高下…。ワタシはドイツの国債担当だったのですが、薄い商いの中で買い手がつかず、そのうちに債券はどんどん値を下げていきました。ど、ど、どうしちゃったの?と思っているうちに国境が開かれたニュースが入ってきて、またまた何が何だか…。東京市場が閉まったあとも、ドイツ人たちはずーーーっとロイターの画面を凝視していました。

 …と、同じ話ばかり書いちゃってすみません。これまた、以前も旧ブログで貼った画像ですが、もしかしたらまだご覧いただいていない方もいらっさるかもしれません。貼っちゃいますっ 2度目の方は、すみません。古い写真をスキャンしたものです。

↓ DDRのプロパガンダ@マイセン。「社会主義が強固なものになれば、平和も確かなものになる~」みたいなことが書かれています。
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↓ これまたマイセンのお店。ベルリンみたいな大都市は、それでも少しはお店がありましたが、それ以外の町ではホントに何もありませんでした…。
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↓ 毎週行われたデモ。ベルリンのゲッセマネ教会は民主化を求めるデモの一大拠点でした。これは確か、デモの翌日。「不当に逮捕された者たちのために祈りを」と書かれております。
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↓ 壁が崩壊する直前、東ドイツで行われていたデモを報じる新聞(朝日新聞です)。
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↑ こちらはベルリンのお店。地方と違い、首都としてのメンツもあったため、東ベルリンは比較的(あくまでも「比較的」)モノがありました)
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↓ 今はなき「共和国宮殿」に映った大聖堂。
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↓ 西ベルリンのコメルツ銀行。ベルリンだけは、「Berliner」が頭についておりました。法律が違ったのかしら。
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 ホント、2度目の方にはお目汚しいたしまして申し訳ないです。「きゅん」と来るんです、ホントに…。旧東ドイツの方々が抱かれる思いと一緒にしては、本当におこがましいのですが。当時、まだ若かったワタシは、東ドイツに行くたびに本当に衝撃を受けました。西ドイツへ初めて行ったときよりも、ずっとずっとショックでした。そんなことも思い出し、東ドイツや壁の崩壊のことを思い出すと「きゅん」となってしまうのです…。しんみり。

******************

<おまけ>
当時の東ドイツの国有鉄道Reichsbahn で電車の時刻を調べてもらった模様です(よく覚えてない)。それをスキャンしたものです。字が読めないけど、確かドレスデンからデュッセルドルフまで帰ったハズ。ライプチヒとワイマール経由ですね。朝早くに出て、夕方到着。すんごく時間がかかったんですね…。東西ドイツは、お互い近くて遠い国でした。
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by Alichen6 | 2011-11-09 22:40 | 今日は何の日? | Comments(9)

 50年前の今日、ベルリンの壁が建設されました。壁が崩壊して20年以上が経ちましたが、今でも壁のことはよく覚えています。国境を越える際、パスポートにスタンプを押してもらうわけですが、国境の係官はニコリともせず非常に事務的でした。壁を越えるとそこは別世界。自由のない灰色の世界が広がっていました…。

(↓ ドイツ語ですが、ベルリンの壁がどう作られたかがCGで表されていて分かりやすいです)


『1961年8月13日0時、東ドイツ政府は東西ベルリン間68の道すべてを閉鎖し、有刺鉄線による最初の「壁」の建設を開始した。6時までに東西間の通行はほとんど不可能になり、有刺鉄線による壁は13時までにほぼ建設が完了した。2日後には石造りの壁の建設が開始された。

東ドイツは当時、この壁は西側からの軍事的な攻撃を防ぐためのものであると主張し、対ファシスト防壁 (antifassistischer Schutzwall) とも呼んでいた。これは名目で、実際には東ドイツ国民が西ベルリンを経由して西ドイツへ流出するのを防ぐためのものであり、「封鎖」対象は西ベルリンではなく東ドイツ国民をはじめとした東側陣営に住む人々であった。壁は、後に数度作り変えられ、1975年に完成した最終期のものはコンクリートでできていた。壁の総延長は155kmに達した。

映像などを通じて広く知られている壁(右の写真)に加え、東ドイツ側にもう一枚同様のコンクリート壁があった。すなわち、西ベルリンは二重の壁で囲まれていたのである。その2枚の壁の間は数十メートルの無人地帯(Todesstreifen, death strip)となっており、東ドイツ当局の監視のもと壁を越えようとするものがいればすぐに分かるようになっていた。

また無人地帯に番犬を放したり、コンクリート壁の上部を蒲鉾型に膨らませて乗り越えにくくしたりという工夫もなされていた。さらに自動車による強行突破に備えて、要所要所にロードブロックや堀も設けられた。なお一部の無人地帯には電線があったが、これは警報装置への電源・信号線で高圧電流は流れていなかったとされている。また1970年には仕掛けケーブルに触れると散弾を発射する対人地雷Selbstschussanlageも設けられたが、被害者に大きな苦痛を与えると非難されたため1984年に撤去された。(ウィキペディア「ベルリンの壁」より引用)

(↓ 音声はないのですが、当時の貴重な映像が見られます)



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by Alichen6 | 2011-08-13 21:05 | 今日は何の日? | Comments(0)