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by Alichen6
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カテゴリ:ドイツ珍道中( 105 )


古いお札


 シュプレー川に沿って蚤の市が立っていたので、冷やかしに覗いちゃいました。で、買ったモノ。

   表…
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   裏…
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 そー、第一次大戦後のハイパーインフレで発行されたお札です。上のお札は1923年7月25日発行の5000万マルク紙幣。なんと表だけの印刷。最初、「ニセモノちゃうかー?」と思ったりもしたのですが、家に帰って検索してみたところ、1923年7月25日に発行された紙幣は表印刷だけということが確認できました。いちおう、透かしは入っています。とにかくたくさん印刷したから両面印刷しているヒマがなかったのかも。そしてそのハイパーインフレを終息させるために発行されたレンテンマルクが下のお札で、発行は1937年1月30日。ちなみにこれは2レンテンマルク札ですね。このレンテンマルクって、インフレが収まったのちもしばらく発行されていたとのことです。安易ですがウィキから引用しちゃいますね。

『第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、ヴェルサイユ条約によって1,320億金マルクに上る莫大な賠償金を科せられた。1914年7月に1米ドル=4.2金マルクだった為替レートは、ルール問題の影響も受けたインフレの進行で1923年1月に1ドル=7,525マルクとなり、ライヒスバンクは次々にパピエルマルクと呼ばれる超高額紙幣を増発、地方政府や企業もノートゲルトといった臨時通貨を濫発した。その結果、対ドル為替レートは同年7月に1ドル=16万マルク、8月に462万455マルク、9月に9,886万マルク、10月に252億6,028万マルク、11月には4兆2,000億マルクにまで暴落してしまった。

当時のヒルファーディング大蔵大臣はレンテンマルクの導入を決定したが更迭され、銀行家ヒャルマル・シャハトがライヒ通貨委員となり、ドイツ・レンテン銀行(Deutsche Rentenbank, Rentenは地代、利子、年金の意)を設立した。ドイツ・レンテン銀行は国内の土地を担保として11月15日にレンテンマルクを発行する。レンテンマルクとパピエルマルクの交換レートは1:1兆と決定された。ドイツ・レンテン銀行の通貨発行量は32億レンテンマルクに制限され、国債引受高も12億レンテンマルクに制限された。レンテンマルクは法定通貨ではなく不換紙幣であり、金との交換はできなかった。しかしながらレンテンマルクは広く国民に受け入れられ、ドイツのインフレは沈静化した。このインフレの収束は「レンテンマルクの奇跡」(Wunder der Rentenmark) と呼ばれた。

翌1924年8月30日には、レンテンマルクに、新法定通貨であるライヒスマルクが追加された。レンテンマルクとライヒスマルクの交換比率は、1:1である。当初の予定では、レンテンマルクは1934年までに全てライヒスマルクに置き換えられることとなっていたが、実際にはその後もレンテンマルク紙幣が発行され、1948年まで通用している。』
(ウィキペディア「レンテンマルク」から引用いたしました)

…ナルホド。パンを買いに行くのにトランクに札束を詰めて買いに行ったり、子供たちが札束で遊んでいたりといった画像はよく見かけます。太古の昔、ドイツ系の金融機関に勤めていたのですが、とにかくドイツ人はインフレを嫌います。あの辛~い思い出がしみついているんですよね。ドイツの中央銀行であるブンデスバンクも、とにかくインフレだけは絶対に許さん!という姿勢を貫いている印象を受けました。上のウィキのデータから換算すると上の5000万マルク紙幣は、発行時は312ドル相当だったのに、9月には0.5ドル相当にまで下がり、さらに11月には0.002ドルまで暴落している計算になります。
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…コレは確かに辛い。

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by Alichen6 | 2013-08-31 11:09 | ドイツ珍道中 | Comments(4)

 今回、1日だけ貸自転車でベルリンを回っちゃいました。前から自転車で回りたいな~と思っていたのですが、なんとなくそのままにしておりました。ところが偶然、泊まったホテルで貸し出しをしていたのです。「おお!」とヒデキ感激。さっそく翌日用に借りました。それがコレだ~~
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右側からと左側から撮った写真です。ドイツの自転車が全部こうなのかは知らないのですが、とにかく借りた自転車はブレーキは前輪だけ。あとはギヤを逆に回すことで止める(ペダルをぐっと踏んで逆のほうに力を入れるのです)のです。最初は「だ、大丈夫だろうか?」と思いましたが、これは意外とすぐに慣れました。サドルは上下できるので、脚の長いドイツ人仕様から日本人仕様へとチェンジ可能(トホホ)。

 他の都市の自転車事情はよく分からないのですが、ベルリンは自転車専用のレーンがあって安心できました。ただ、一度だけキモを冷やしたことが。歩道側ではなく、道路の真ん中に自転車レーンが儲けられた道を走ったのです。自分のすぐ右をでっかいバスが通っていった時はさすがにビビりましたです、はい。三車線の真ん中を自転車で走っているようでキンチョーしましたわ。

 たった1日でしたが、街が自転車に優しい作りになっていてホントに楽しかったです。これに味を占めたワタシは、来年もやっちゃおうと密かに思っております。ホテルで借りられなくても、町の貸自転車屋さんで借りられそうだしね。ただし、夕方にはお尻が痛くなるしヒザは笑うし、降りたらへっぴり腰できちんと歩けないしで、かなりハードですが。ガハハ。

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by Alichen6 | 2013-08-30 00:02 | ドイツ珍道中 | Comments(4)

 スクラダノフスキー兄弟が初の商業上映をしたのが1895年11月1日。そして同年12月にはフランスのリュミエール兄弟が、さらに性能のいいシネマトグラフという映写機で映画を上映したんだそ~です。その後、あっという間に映画が広まったんだそうな。最初は「ヴァリエテ」という劇場で曲芸や寸劇と一緒に上映されることが多かったんだそうですが、やがて専門の映画館が作られました。ちなみにベルリンでは、1905年5月には16館、1907年には137館の映画館が存在したんだそ~です。(←Filmhaus のカタログより)その後も、雨後のタケノコ、大地のキノコ(←?)のごとく映画館が建てられていったんだとか。

 初期の映画界で2人の女優さんが活躍したと言います。一人は以前もブログでチラッと書いたことがある女性。デンマークからやって来た元祖セックスシンボル、アスタ・ニールセン。彼女については過去記事コチラを。

 そしてもう1人が清純な印象のヘンニ・ポルテン。多くの俳優が、それまで演劇界で活躍していたのに対し、彼女はいきなり銀幕でキャリアをスタートさせた数少ないスターだとか。俳優の父親について劇場に出入りしていたところ、映画女優にと白羽の矢が立ったとのことです。

 無声映画で人気を博したポルテンでしたが、最初の夫は第一次大戦で戦死、さらに戦後のインフレで資産も全部なくしてしまったとか。それにもめげず映画の出演を続け、二度目の夫とともに自身の映画会社も設立したそうです。

 ところがナチの台頭とともに、彼女の立場は苦しくなります。夫がユダヤ系だったのです。ゲッベルスに特別待遇を認めさせることで何とか生き延びたとのこと。戦後は数本の映画に出演したそうですが、最後は貧困のうちに生涯を閉じたそうです…


 ううぅ、何ともタイヘンな人生。写真で見る限り、とても品のいい女性です。ものの本によると、アスタ・ニールセンとはキャラが違うため、2人がカブることはなかったとのこと。確かに「妖婦」とは雰囲気がかなり違います。

 以前、親切な方からいただいた映画専門誌「Filmwoche」1939年2月15日号にヘンニ・ポルテンのインタビュー記事が載っておりました。ちょっとピントがボケてしまってすみません。ちなみに表紙の写真はクリスティーナ・ゼーダーバウムという人気女優さん。すっごくカワイイ!

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 …で、話が長くなってしまったのですが、彼女が最後に住んだと言われる家が、今はカフェになっているのです。それがウィーン風の Cafe Einstein Stammhaus。そこに連れていっていただき、アプフェルシュトゥルーデルをバクバクいっちゃいました。カフェのサイトは → コチラ

カフェの外観。フツーの家っぽい。入口に「つまづきの石」が埋められていました。戦争中はユダヤ人夫妻が所有する家だったそうです。ナチに没収され、自殺したそうです…。「つまづきの石」については、コチラを。
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中はウィーン風。
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ウィーン風なので、MilchkaffeeではなくMelange です。小さいほうは Kleiner Brauner Noisette という名前のコーヒー。ミルク入りエスプレッソって感じで、すっごく美味しかった。そして忘れちゃいけないアプフェルシュトゥルーデル。お約束のバニラソース添え。ウマかった。
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ヘンニ・ポルテンの写真が飾られていました。
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 なお、私の手元にある映画関連本には、ここがヘンニ・ポルテンが最後に住んだ家だとはっきり載っているのですが、Wiki では、はっきりした確証は得られていない、とありました。戦後の混乱期ですしね。住民票などもゴチャゴチャだったのかも。

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by Alichen6 | 2013-08-28 22:25 | ドイツ珍道中 | Comments(4)

 前にも何度か書いてしまったのですが、世界で最初に映画の商業上映をやっちゃったのはドイツ人だったのでした。その名もスクラダノフスキー兄弟。上映を行った会場はフリードリヒ通りにあった劇場「ヴィンターガルテン(Wintergarten)」、そして映写機は「ビオスコープ(Bioskop)」というものでした。昨年のベルリン旅行でビオスコープとは対面を果たし、いたく感動したのであります。で、今年はどうしよう。実はこのスクラダノフスキー兄弟、ヴィンターガルテンで商業上映する前に別のところで実験的にプチ上映を行っていたのでありました。今年はその場所へ行こうと思い立ったわけでございます。
(もしよろしければ、ビオスコープやスクラダノフスキー兄弟については過去の日記を… コチラとかコチラとかコチラとか)

 なんでも、「その場所」とはカフェ兼ダンスホールだったそうな。そこのフロアで上映されたんだそうです。1895年の話でした。そしてその後ダンスホールは映画館になり、さらに1927年には400席の立派な映画館「Tivoli」に生まれ変わったそうです。残念ながらこの映画館は1994年に閉館となり、取り壊されてしまいました。だけど映画が誕生して100年経った記念の1995年、跡地の前にモザイクが埋め込まれたんだそうな。うん、これは実際に見たいぞ。


 ところが何でも場当たり的なこのワタシ。ちゃんと位置を調べておかなかったのです。分かっていたのは、「ベルリンの北東部にあるパンコウ地区」「ベルリーナー通り27番(Berliner Str.27)」この2つだけ。駅の案内で聞いたところ、ベルリンにはベルリーナー通りって5つもあるんだとか。でも親切な案内係のオッサンは、パンコウ地区にあるベルリーナー通りへの行き方を調べてくれました。

 ところが。炎天下の中を歩けどそれらしきものはナシ。映画館跡どころか、さびれていく一方…。オロオロしていたら、赤ん坊を連れた親切な若いイクメンが「パンコウには別のベルリーナー通りがある」と教えてくれました。うぎゃっ パンコウだけでも2本あるのか~~別の名前をつけてよ~~(ToT)

 で、折れそうになる心を奮い立たせながらバスで別のベルリーナー通りへ。


 あ、あった~~~(感涙)   ヒデキカンゲキっ

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映画館「チボリ」は取り壊され、今はチボレッテという建物になっておりました。バレエスタジオか何かみたい。
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 かつての「チボリ」の姿はこのサイトにあります → コチラ (スクロールしていただくと、真ん中あたりに載ってます)

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…というワケでした。支離滅裂な長文を読んでくださり、感謝いたします。モザイクを見に炎天下をトボトボ歩いた甲斐があったというお話でした。ちゃん、ちゃん。

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by Alichen6 | 2013-08-26 23:11 | ドイツ珍道中 | Comments(2)

 実は今回、どうしても行きたかった所があります。それはですね~ 「スターの並木道」という道路。ほら、ハリウッドにもあるでしょ。スターの名前が書かれた星形のプレートが埋め込まれた道路、あれをパクった模したものです。ガハハ。場所はポツダム広場のすぐそば、ソニーセンターの前。昨年、すぐそばまで行ったのに気付かなかったのです。それで悔しい思いをしたので、今年はリベンジと思って初日に乗り込みました。

e0141754_9245281.jpgBoulevard der Stars とはナンジャラホイ? → ハリウッドにならい、2010年に作られたもの。レッドカーペットをイメージした赤いアスファルトの上に、星形の銅板が埋め込まれています。その顔ぶれは、次のサイトに書かれております → コチラ とか コチラ

wiki から画像をお借りしちゃいました…。マズいようでしたら、ご指摘くださいませ。
ソニーセンターにあるフィルムハウスの前にあります。道の中央分離帯みたいなところが、ソレ。



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ファティ・アキン監督に…
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今は亡き、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督。
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「善き人のためのソナタ」の故ウルリッヒ・ミューエに…
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ドイツ人女優といえばこの人、マレーネ・ディートリヒ。
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バイクが停めてあって上から撮れなかった…!「東ベルリンから来た女」のニーナ・ホス。
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ほかにも、HANAMI のドリス・デリエ監督、一昨年急逝した敏腕プロデューサー、ベルント・アイヒンガー、マルティナ・ゲデック、戦前活躍した俳優エーミール・ヤニングス、メトロポリスのフリッツ・ラング監督、妖婦と呼ばれた元祖セクシー女優、アスタ・ニールセン、「U・ボート」のヴォルフガング・ペーターゼン監督、ロミー・シュナイダー、ヴィム・ヴェンダーズ監督、マルチな才能を見せるティル・シュヴァイガーなど、そうそうたるメンバーの名前がプレートに刻まれておりました。一方で、八面六臂の大活躍を見せるモーリッツ・ブライプトロイの名前がないので「あれ?」と思ったりも。

なお、通りには面白い仕掛けもありました。カメラみたいなのがあちこちに立っていて、のぞくとプレートの人たちが浮き上がって見える。その横に立って写真を撮ると、スタアと並んだ写真が撮れるという仕組み。何枚かご紹介しちゃいますね。

1895年に世界で初めて映画を商業上映したスクラダノフスキー兄弟のお兄さんとビオスコープ。
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向かって左がヴィム・ヴェンダース監督、真ん中がニーナ・ホス、右側がブルーノ・ガンツ。
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追加しちゃいます。中央はティル・シュヴァイガー。
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そして左端にウルリッヒ・ミューエ氏。
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…というワケで、★という★を撮影し、のぞけるものは全部のぞき、いちいち感動してしまいましたとさ。

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by Alichen6 | 2013-08-25 00:22 | ドイツ珍道中 | Comments(10)

帰ってきました~~


 皆様、ちょっぴりご無沙汰しております。皆様、いかがお過ごしでしょうか?今日の朝、ドイツから戻ってまいりました。まだ時差ボケで眠いです。頭がちゃんと働きません。ワタクシ、濃ゆ~~~い8日間を過ごしてきました。皆様お仕事でお忙しい中、私ばかり遊び呆けてしまってホントにすみません。今回は前半をベルリン、後半をミュンヘン界隈(南ドイツ)で過ごしてきました。ベルリンでは昨年行きそこなったシュタージ博物館や、 “見残し”ていたフィルムハウス(Filmhaus)、そしてドイツの有名な映画関係者の名前が刻まれたプレートが埋め込まれた通りなどを見てきました。そして南ドイツでは革ズボンをはいて踊りまくってきた…ハズはなく、民族衣装を着てはしゃいできた…ワケでもなく、別のことをやっちまいました。そー、私がドイツにどっぷりハマるきっかけとなったマンガ「オルフェウスの窓」の舞台、レーゲンスブルクを散策しちゃったのです。そして翌日にはメルヘン王ルートヴィヒ2世が謎の死を遂げたシュタルンベルガー湖へ行ってきちゃいました。またおいおいご紹介させてくださいませ~。

 自分が食べたものをこうして写真でたくさん公開するって、なんとなく悪趣味な気もするのですが、「おお!このデカさはドイツだー」と思う写真ばかりなので、お許しくださいませ。
もぉ~~し、その特大サイズを体感(?)してみようかな~と思ってくださる方がいらっしゃいましたら、下をクリックしてね♪

画像はコチラ…
by Alichen6 | 2013-08-23 17:03 | ドイツ珍道中 | Comments(16)

 少し前ですが、Twitter で教えていただきました。HARIBO のクマ組が生まれて今年で90年。記念に、当時のパッケージの復刻版が販売されているって。それが、コレだ~~

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 レトロ~~ HARIBO 誕生秘話(?)は、以前旧ブログでちょこっと書いてしまいました。横着してそれを貼り付けてしまいます。

e0141754_1233949.jpg『最初のGummibärchen が日の目を浴びたのは、1922年のことだそうです。製造したのが、その前年に設立されたHARIBO 社。創始者の名前と地名・・・Hans Riegel Bonn から名づけられたそうです。ちなみにこのリーゲル家のハンス君は、学校を卒業してから「Bonbonkocher(飴職人ということでしょうか?Bonbon をKochen して作るってちょっとヘン。白飴を煮詰めるからかな。)」としての職業訓練を受けた、とHaribo のホームページに書いてあります。

最初は「Tanzbär」として売り出したそうです。当初からクマの形をしていたんですね。

昔、ドイツのTVコマーシャルで「♪Haribo macht Kinder froh und Erwachsene ebenso♪」という歌がよく流れていましたが、今でも変わらないのでしょうか…。Haribo 社のホームページによると、このキャッチコピーは1930年代の半ばに作られたとか。最初はfroh までの部分だけ。1960年代半ばに後半のund Erwachsene ebenso が加えられたそうな。』

 ほ~ 自分で書いておきながら、すっかり忘れておりました。そうなんだー初耳って感じ(爆)。久しぶりにHARIBO のサイトを見たところ、「Kastanienaktion」という言葉が目に入りました。懐かし~。大昔、ドイツ語を教えてくれたドイツ人のお姉さんが子供の頃、HARIBO の会社の近くに住んでいたんだそうです。で、毎年秋になるとクリはドングリを集め、HARIBO まで持って行ったんだそうです。するとそれをグミと交換してくれたんだとか。それ、まだやっていたんですね。

サイトは → コチラ

なんと、交換レートまで書いてあります。クリ10キロもしくはドングリ5キロにつき、ハリボ1キロ。おひとり様の持ち込み量は最大50キロまで、と注意書きが載ってます。ブルドーザーか何かを使って大量に持ち込む輩を牽制しているのかしら(笑) 今年は10月18日、19日ですって。うーん、その日はちょっと行けないなぁ。残念!ほにゃく犬やほにゃくハリでも参加可能なら行っちゃうのに。東京からの参加だけどダメかな。ちょっと無理か。これを教えてくれたドイツ人のお姉さんは子供の頃、ハリボの原材料がドングリやクリだと信じ込んでいたんだそうです。ホントは家畜のえさにするらしい…。

      Haribo macht Kinder froh, und Erwachsene ebenso.

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by Alichen6 | 2012-10-08 13:27 | ドイツ珍道中 | Comments(2)

Mitropa (ミトロ~パ)


 しつこくベルリン旅行の話で失礼いたします。実は、前から気になっていた食器があったのです。旧東ドイツの鉄道(Reichsbahn)の食堂車や駅の食堂(レストランと呼べる雰囲気ではなかったなぁ)で使われていた、「Mitropa」のロゴ入り食器。もう、欲しくて欲しくて。オークションサイト eBay に出品されていたもの(デッドストックなので新品!)をゲットしちゃいました。日本まで送ってもらうと送料もバカにならないし、長旅の間に割れたら悲しすぎます。なのでベルリンの滞在先に送ってもらっちゃいました。それを見せびらかしていいでしょうか? え?いい? 見せびらかしには慣れっこ? 見てやってもいい? すみませんねぇ… そう言ってくれるのでしたら、お見せしないワケにはいきませんよねぇ。うっしっし。(←なーんて、すみませんっ)

  じゃじゃ~~~ん!!
  コーヒーカップとソーサー、小皿のセットでごじゃります。おひとり様用ポット は1個だけですが。


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e0141754_12222639.jpg じ、実は~ ここに写っているのは2客だけど、全部で6客買っちゃいましたです。Mitropa で使われていた食器って複数の工場で作られていて何種類かあるのですが、これはザクセン地方のコルディッツにあった国営企業(VEB Vereinigte Porzellanwerke Colditz)で作られたもの。「Rationell(=合理的)」というシリーズだそうです。いかにも共産圏なネーミングセンス。スタックできて丈夫だからだそうです。でもレトロなMITROPAのロゴがオシャレでしょ。

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 Mitropa ってナンジャラホイ?→ 1916年、第一次大戦中に設立された会社「MITteleuROPäische Schlaf- und Speisewagen Aktiengesellschaft(中央ヨーロッパ寝台・食堂車株式会社」の名前を縮めたもの。

 会社のマークが面白いのです。Karl Schulpig (カール・シュールピヒ)という版画家がデザインしたものだそうですが、1945年まではMにも似たワシと車輪がトレードマークでした。戦後、東ドイツが Mitropa の社名を継承しますが、ワシと十字の車輪はナチを思い出させるからマズいとの配慮から、ワシを削除。そして車輪のスポーク(←「輻」(や)と言うのかしら。)も4本から6本に。ここに載せたいところですが著作権もあるでしょうからウィキをご覧になってくださいませ~一番上に2つ並んでいます→ コチラ

 この Mitropa、車内や駅での食事販売を独占していただけでなく、食堂車や寝台車も保有していたんだそうな。第二次大戦後、東西に分裂した際は「MITROPA」の社名は東ドイツ側の会社が引き継いだとのこと。東ドイツ時代も株式会社の形態を保った数少ない企業の1つなんですって。株式会社というけれど、株主は誰だったんだろう…?素朴な疑問。そして東西統一後。効率化の波をモロに受け、事業を他社に売却することで規模縮小。そして2006年には廃業に至るとありました。

 昔、DDRに旅行するたびに、この MITROPA で不思議な食べ物(「不味い」という言葉じゃ形容しきれない、なんとも不思議な味だったような)を食べただけに、このロゴを見ると懐かしくなります。念願の食器をゲットしたので、今は毎日、これで「ムフフ…」とニヤニヤしながらお茶を飲んでいるのであります。うっしっし。

おまけ:どこかのアンティークショップで買ったMITROPA の伝票。デッドストックだそうです。もったいなくて(というか、用途に困り)使えません。

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by Alichen6 | 2012-10-05 12:39 | ドイツ珍道中 | Comments(8)

 またまたベルリンの話ですみません。最後に行ったのが、クーダムと呼ばれる目抜き通りにある博物館でした。ぬゎんと、冷戦時代の核シェルターの上に作られたんだそうです。ちなみにこの核シェルターは現在でも使用可能だそうで、有事には3592人を収容できるんだとか。1237年から今日に至るまでのベルリンの歴史がコンパクトにまとめられていて、すっごく面白かったです。ちなみにベルリンは今年で775周年。この775年は波乱万丈の年月だったようです。

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         Museum のサイトは → コチラ (Galerie の画像を見るだけでも面白いです)

 入口でいきなりどどーんと出迎えてくれるのは、我らが(誰らが?)トラビ。赤い背景が怪しげで素敵です。実はこの博物館で写真を撮ったのは入口にあったこのトラビと、トイレの扉だけ。中に入ったら展示に熱中してしまい、写真を撮るのを忘れてしまいました。
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 Museum の外に展示されていた写真。どれもベルリンにゆかりのある人たちです。一目瞭然の人もいれば、「誰この人?」って人も。(それぞれ、名前は下の画像をご参照ください)
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 コンパクトながら、ぎっしり中身が詰まっていてホント面白かったです!場所も便利ですし、ベルリンにいらっしゃることがありましたら是非。(私信:Happiness裕之介さん、次に行かれるときはここも是非!)

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by Alichen6 | 2012-09-19 21:42 | ドイツ珍道中 | Comments(2)

 皆様、おはようございます。しっかしいつまでも暑いですねー。愚痴は言うまいと思うものの、こう暑いとねぇ。皆様、体調にはくれぐれもお気をつけくださいね。

 ベルリンの話ばかりで恐縮ですが、もう少しお付き合いくださいませ。自分用の記録も兼ねております。ポツダムの映画博物館で勢いづいたワタシは、さらにソニーセンターの中にある Filmhaus へGo! (正しくは Goではなく「連れていっていただいた」なのですが…。異常な方向音痴のワタシ。一人では絶対に効率よく回れませんでした。連れていってくださって感謝いたします)

↓ ソニーセンターの最寄駅、Potsdamer Platz。暑かったです。
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↓ この画像じゃ分かりにくいかもしれないのですが、こうしたビル群をフリッツ・ラングの「メトロポリス」(1927) に例える人もいるとの話。似てます?
「フリッツ・ラングが現実の世界を映画に取り入れたのではない。現実の世界がフリッツ・ラングの映画を取り入れたのだ」とナレーションが入るドキュメンタリーをYouTube で見たことがありました。この言葉が印象に残っています。
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↓ ソニーセンターにある「Filmhaus」 めちゃくちゃ面白かった!
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 この Filmhaus(Deutsche Kinemathek Museum für Film und Fernsehen) のサイトは → コチラ

常設展の半分は映画、半分はテレビになっています。今回は時間の関係もあり、テレビ関連の展示は見ませんでした。(私信:Happiness裕之介さん、次にベルリンに行かれた際は、ぜひ Fernsehen のほうもいらしてください!!で、レポしてくださいビッテ)

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 前置きが長くなってしまったのですが、この常設展は圧巻でした。ごくごく初期の映画からワイマール期の発展、ナチの台頭とともに映画関係者が巻き込まれた悪夢のような時代、戦後の混乱期から現代にいたるまで、ドイツ映画が歩んだ道のりが豊富な資料やデータとともに示されておりました。感心いたしますのは、ナチ時代の負の面もきっちり展示されていたこと。現在では条件付きでしか上映することのできない反ユダヤの映画も詳しい説明とともに一部を見ることができました。また、マレーネ・ディートリヒに関する資料も豊富でした。1つ1つをきっちり見ていたら丸一日は絶対に必要。ポツダムの映画博物館は、初期の映画や東ドイツ時代の映画が中心でしたが、こちらではつい最近日本で公開された作品に関する展示もあり、両方を見たらベルリンの映画はもうカンペキ。

↓ 知る人ぞ知る、ヴァルター・ルットマン監督のサイレント映画「Berlin Die Sinfonie der Großstadt(ベルリン大都会交響曲)」(1927)のポスター。
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↓ ケーキの画像なんて載せちゃってずびばぜんっ お勉強の後は、お約束の生クリームつきリンゴケーキ。画像じゃ分かりにくいのですが、とにかくデカい!やたらデカい!! リンゴが半生でしゃきしゃきしてウマかったです。
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by Alichen6 | 2012-09-12 10:57 | ドイツ珍道中 | Comments(2)