脳の使い方が違うのかいな?
2008年 05月 02日
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脳の使い方が違うのかいな? その1
最近、ワープロではなくペンで手紙を書く機会がたまたま何回かありました。何でもワープロで書くのにすっかり慣れてしまったワタシ。誤字脱字、へんてこりんな日本語の多いこと、多いこと。昔は、何かを書く際にまず頭の中で文章を組み立ててから書きましたよね。小学生のころの作文だって、一応頭の中で文章を考えてから書いていました。何度も消すとびりびりって破れちゃうもんね。なのに、いつの間にか書きながら考え、頭の中で錬るのではなく、字面を見ながら推敲するクセがついてしまいました・・・。翻訳を始めたころ、私はまだ鉛筆で下書きをしておりました。で、何度も推敲してから最後にペンで原稿用紙に書き込んでいたのですが、さすがにこれじゃマズいだろ、と思ってワ~プロを買いました。最初はなかなか文章が出てこず(ペンを持たないと脳が働かなかった)困ったのをよく覚えています。
作家が、一度はワープロやパソコンで書くようにしたものの、やっぱり勝手が違うということで鉛筆書きに戻す、という話は時々聞きますよね。やっぱり脳の働き方が違うんだろうな~と思います。ワープロですと、どうしても視覚優位の推敲になってしまいそう。作家の方々を一緒にするのはあまりにもおこがましい話ですが、やっぱり何か勝手が違うんでしょうね。
脳の使い方が違うのかいな? その2
ほにゃくほにゃくした話で恐縮です。今、映画の作品紹介みたいな文章を字幕と並行して訳しているのですが、脳の働き方が字幕翻訳の場合とは全く違うような気がして戸惑っています。字幕翻訳ですと、画と音と台本(スクリプト)があるので、それらの情報を総合し、カンを働かせて訳をアウトプットすることを目指すのですが(←できているかどうかは別にして)、文章の翻訳って、得られるのは文字からの情報のみ。書き手の言わんとしていることを限られた情報から的確につかむのって実はかなり難しいような気がしています。ましてや文芸翻訳ですと、文章から場面や風景、登場人物の心情などを読み取った上で、的確な日本語にアウトプットしなくてはいけないわけですから、翻訳者のセンスが非常に大切になってくるんだろうな~と想像しています。