3月4日
2008年 03月 04日
1152: Nach dem Tod Konrads III. wird Friedrich I. Barbarossa als zweiter Staufer in Frankfurt am Main zum römisch-deutschen König gewählt. (Wikipedia)
いつも何かと話題のウィキペディアからの引用ですみません。裏取りは一応しております・・・。1152年の3月4日に、シュタウフェン家のフリードリヒ1世“赤ひげ王(バルバロッサ)”が、おじコンラート3世の死を受けて神聖ローマ帝国の“ローマ王(römisch-deutscher König)”に選出された日なのでありました。ただし、教皇から神聖ローマ帝国の冠を授けてもらう前なので、厳密には“神聖ローマ皇帝(römisch-deutscher Kaiser)”ではないんだとか。皇帝に即位するのは1155年なんだそうです。ややこしい・・・。
それにしても「バルバロッサ」って懐かしい響き。世界史で出てきましたね。授業では「ホーエンシュタウフェン朝」と習いましたが、これはシュタウフェン家の城がホーエンシュタウフェンという山地にあったことからそう呼ばれたんだそうです。その中にシュタウフ山(Burg Stauf)があるんだそうですよ~。話はそれるのですが、Merowinger → 「メロヴィング王朝(の人々)」、Karolinger → 「カロリング王朝(の人々)」と訳すなら、Staufer → 「シュタウフ王朝(の人々)」という風に、「シュタウフェン王朝」ではなく「シュタウフ王朝」という日本語になりそうなのに、そうでなかったのはなぜでしょう?深い事情でもあるのかなぁ?ご存じの方、ご教示くださいまし。
この赤ひげ王バルバロッサ、なかなか優秀な人物だったそうな。おじのコンラート3世には息子がいたのですが、甥っ子の才能を見抜いていたのでしょう。後継者には息子ではなく、甥を任命していたのだとか。
英雄に伝説はつきものなのですが、この赤ひげ王にも伝説があるんだそ~です。その1つが、テューリンゲンにあるキーフホイザー山で今もなお、眠り続けているというもの。世界がこのバルバロッサを必要としたときに目覚めると信じられているんだそうです。(余談ですが:ドイツ語で検索すると、この伝説についてたくさんヒットするのですが、笑ってしまったのがer sitzt und schläft auf einer Bank という文。「えっ ベンチで寝ている?!?」と読んで一人で大ウケ。Bankってこの場合は何かの台を指すんでしょうが、私は公園のベンチを想像してしまいました・・・よくいるでしょ、公園のベンチで寝そべっているおじさんが。)