旧東独の政治犯収容所 ホーエンシェーンハウゼンへ

 月曜日、早めに宿を出て旧東独の政治犯を収容したホーエンシェーンハウゼン拘置所に行ってきました。「善き人のためのソナタ」の冒頭で取り調べのシーンが出てきますよね。あの舞台となったところです。

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 行き方は… 私はアレクサンダープラッツ駅まで行き、そこから市電に乗り換えていきました。M5系統ならフライエンヴァルダー・シュトラーセで、M6系統ならゲンスラー・シュトラーセで降ります。
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 博物館や記念館の類は月曜定休が多いけれど、ここは定休日はナシ。9時~18時まで。ガイドは平日ですと11時、13時、15時。3月~11月はこれに12時、14時の回も加わります。土日は10時から16時まで、毎時あるみたい。ちなみに英語の回とドイツ語の回があります。

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<歴史>
 ここはもともと、機械工場があったところなんだそうです。第二次大戦勃発直前の1938年にナチがこの敷地に大調理場を建設したそうです。すぐ近くに捕虜収容所があったらしい。終戦後、米英仏ソの4か国が分割統治しましたよね。ソ連はこの建物を「第3特別収容所」として使用することになったそうです。当時、ソ連軍は占領地区に10個の特別収容所を設置していたそうですが、その3番目ですね。収容されたのは、主にナチ犯罪者。4000人が押し込められ、そのうち900名が亡くなったそうです。1946年/47年の冬、この建物の地下にさらに数多くの独房を備えた収容所が建設されたそうです。独房には窓がなく、薄暗いことから「Uボート」と呼ばれたんだそうな…。1950年には国家保安省(シュタージ)が設立され、この収容所も1951年にはソ連の管轄からシュタージの管轄下に移行した模様。

<実態>
 ここは刑が確定する前の政治犯が収容されたところだそうです。ホーエンシェーンハウゼンが中心的役割を果たしたそうですが、東独には各県に1つずつ同じような拘置所があり、囚人はどこへ送られるか全くわからない状態だったようです。自分がどこにいるのか、これからどうなるのか、そしてそもそも今は何年何月何日なのかもわからず、ただ毎日独房の壁だけを見て過ごす日々。多くの囚人は精神に異常をきたすか、あるいは自白(”改心”)に追い込まれるかしたそうです…。


 常設展の展示から。旧東独の商務大臣を務めたカール・ハーマン。彼は1952年、「サボタージュ」の容疑でホーエンシェーンハウゼンの地下に2年間勾留されたとのこと。これが勾留のビフォー&アフターみたい。人相が変わってしまっているのがよく分かります。ハーマンにはその後、禁固10年の刑が下りましたが途中で恩赦により出獄。その後、旧西独に亡命したんだそうです…。
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拘置所の向かいの建物には「der Operativ-Techinische Sektor」なる部署が入っていました。
これはズバリ、スパイ活動を技術的に支える本部。
盗聴器や隠しカメラなど、スパイ活動で使う道具や機器類をここで作っていたんだそうです。
また、「善き人のためのソナタ」でも有名な「手紙開封機」もここで作ったんだそうですよ!!
それだけでなく、パスポートや文書の偽造もここで行ったそうです。
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入り口は、こんな感じ。今は病院になっているみたい。

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その建物を、拘置所の中庭から見たところです。
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…ってことは~~ ライプチヒのシュタージ支部で展示されていた手紙の自動閉じ機も、実はここで作られたってこと?
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蒸気を当てて開封するという機械もここで?
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ベルリンのシュタージ博物館(元国家保安省があったところです)に展示されていた、切り株の隠しカメラもここで作られた?
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…驚きです。


これは所長室。ホーエンシェーンハウゼン拘置所は、全国に17か所あった拘置所を束ねる組織。
ここから各拘置所にいろいろ指令を飛ばしていたのでしょう。
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ザ・DDR(=東ドイツ)な壁紙と、当時マスト(must)だったエーリヒ・ホーネッカーの写真。窓枠が反射して、まるで十字架みたい。。
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ちょっと見づらいのですが、各県に1か所、拘置所がありました。
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実は、拘置所内は勝手に見学はできないのです。必ずガイドつきじゃないとダメみたい。
この日は予定がビッシリ入っており、2時間のガイドを聞く時間がない…
…ということで、拘置所内部の見学は諦めました。
でも、常設展を見るだけでも十分、当時の雰囲気は分かります。


ガイドなしだと、独房はごくごく一部しか見られません。
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昨年の夏、バウツェンにある拘置所を訪れましたが、どこもヒドイ環境。
とくに政治犯の扱いはひどかったようですね。
こうして引き締めを行い、不自然な体制を何とか維持しようとしたのでしょう。ふう。
















Commented by Yozakura at 2017-02-24 17:20 x
ほにゃく犬様:寒中お見舞い申し上げます

 無沙汰しております。今日はまた、ブログ主の個人的な趣味が濃厚に投影された「公安警察による特務工作活動」の特集記事で、何時になく読み応えがありますね。
 見学に撮影、誠にお疲れ様でした。m(_ _)m

 全体の内容を熟読しますに、嘗てこのブログのコメント欄でも私より言及した如く、元・外務省の職員であった春江一也氏の一連の欧州三部作の陰鬱なる叙述が記憶の淵から蘇って来ました。
 今回は特に、その中間部とも云うべき《ベルリンの秋》に於いて陳述された情景描写の原型が、写真と文章で再現された趣があり、冬寂れた季節が更に、薄ら寒く陰鬱なものに暗転して行きそうです。げに「本物の写真」には、戦慄すべき説得力がありますね。

 で、紹介文の一部にありました表現ですが、ほにゃく犬氏も、もう「真正なるDDR中毒」に罹患されている模様ですね。

> ザ・DDRな壁紙とマストなエーリヒ。

 特に後半の「マストなエーリヒ」の意味が瞬時には分からず、下の写真を眺めて漸く、その意味が判明。まあ、昔の東ドイツの社会主義体制の実態を多少なりとも御存じの方には、この「DDR」と云う略語は常識なのでしょうが、その次の片仮名が直ちには判らないのです。
 それは、「マストが英語の一般名詞である」のに対して、「エーリヒがドイツ語の固有名詞(人名の一部)である」からです。 この辺り、表面からは見えない「言語を後ろから支える文化的背景の相違を十分に認識した上で、一種、知的な飛躍(ワープ)」が要求されており、これが一寸気付き辛い作業なのです。
 多言語に精通されている翻訳者は気楽に表現されていますが、外部の一般読者には少し時間を要する作業でした。
Commented by Yozakura at 2017-02-24 17:22 x
ほにゃく犬様:承前
(前回の投稿の文字数が過剰のため、2回に分割して投稿します。今回は、後半部です。御了解下さい。)

 で、紹介された展示物の記述を丹念に熟読して行きますと、誠に驚くべき表現に遭遇しました。それは、英文で表記された "The Technology of the Secret Service" の最後尾に在る一文です。注意を惹かぬ様に、目立たない様に、さり気なく末尾に配置されていますが、その内容は慄然たる解説です。

> The OTS also devises methods to mark people
> and objects invisibly using radioactive material.

 日本語に翻訳しますと、「特務工作技術開発本部(OTS)は、亦その他にも放射性物質を利用して、工作活動の対象とする人々や事物を目には見えない形式にて識別する手法を開発している。」

 腰を据えてジックリと熟読しますと、恐怖がこみ上げて来ませんか、ほにゃく犬さん?
 果たして、如何なる放射性物質を利用したのでしょうか?また、その放射性物質を利用した、或いは、そうした特殊な識別機器を開発・制作した担当者は、その後、健康に支障を来さなかったのでしょうか?
 何よりも、そうした「放射性識別機器を応用され、或いは適用された人々」は、その後、健康を損ねることは無かったのでしょうか?
 確か、旧・東ドイツの東部や南部に続く国境の山岳地帯では、密かにウラン鉱石が採取されていた筈です。こんな方面で「利用されていた」のでしょうか?

 季節は厳冬の2月。未だ未だ、寒さが更に募る気配があります。お元気で。

追伸:
 今回、この投稿を入力する前に、参考までにネット百科事典を検索したところ、その三部作の著者・春江氏は既に3年前の2014年8月に物故されていたんですね。知りませんでした。初耳です。
 故人の冥福を祈ります。
Commented by Alichen6 at 2017-02-25 00:17
> Yozakuraさん
コメントありがとうございます。「真正なるDDR中毒」と言われてしまうのは、ちょっと嬉しくないです…。ドイツ民主共和国(DDR)に興味がありますし、旧DDRには友達が大勢いました。今もいいお友達です。一方でDDRの体制は、当時まだ若くて今以上に未熟・無知だった私にも矛盾だらけのものに思えました。私を惹きつけた国でもあり、気になった国でもあり、また今も興味の尽きない国でもあります。中毒と言われてしまうのは心外です…

>個人的な趣味が濃厚に投影された
噛みつくようで恐縮ですが、「ブログ主の個人的な趣味が濃厚に投影された」とおっしゃられると困ってしまいます。Yozakura さんのコメントから察するに、おそらく私とはかなり年齢の開きがあるような印象を受けます。私が書きたいことが、たぶんYozakura さんには伝わっていないのではという気がいたします。

>多言語に精通されている翻訳者は気楽に表現されていますが、外部の一般読者には少し時間を要する作業でした。

大変失礼いたしました。「ザ・DDR(=東ドイツ)な壁紙と、当時マスト(must)だったエーリヒ・ホーネッカーの写真」に修正いたしました。ただ、これは有料のブログではありませんし、私の仕事の場として使っているわけでもありません。「気楽に」書くための場です。来てくださる方々のためにできるだけ分かりやすい内容を心がけたいと思いますが、このブログが私の負担になり始めているのも事実です。ご理解いただければ幸いに存じます。
Commented by Alichen6 at 2017-02-25 00:18
> Yozakura さん

これは私も知らなかったのですが、特に目立たぬように書いてあるわけではなく、すでに知られた事実のようです。

http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/816.html

http://www.asyura2.com/sora/bd5/msg/779.html

このコメント欄にURLを貼っても、そのまま飛べないのが申し訳ないのですが、シュタージの放射性物質に関して書かれたサイトを見つけました。彼らがこういうことを平気でやっていたことに、恐ろしさを感じます。
Commented by eastwind-335 at 2017-02-25 11:54
こんにちは。
この政治犯刑務所(博物館)、一般の人がアクセスしやすい場所にあるようですね。私もこの夏スウォンジーで「え?ここに?」というところに刑務所(現役)があり、驚いたことを思い出します。
9年前のライプチヒのシュタージ博物館で見たものがここでつながるというのもびっくりでした。ここは、単に映画のシーンだ、というだけでないのですね。
日本でも、母語なだけにいろいろと気が付かないままで通り過ぎたり、ただ目に入ってくるだけのことがいろいろありそうな気がします。
Commented by ふぁらん at 2017-02-25 16:37 x
昨年見学しました。20代後半の若い女性がガイドさんでした。6月の始めでしたが暑い日で、参加者は色とりどりのTシャツまたはポロシャツ姿。ガイドさんは白い短いタンクトップに手作り風のじゃらじゃらしたネックレス。地下の薄暗に空間に似つかわしくない風体の人々。日常的にシュタージやIM(国境を越えて西ベルリンまでついてくる事務所の運転手、宿舎の部屋を物色する掃除人、電話の盗聴者)と触れ合っていた日々がはるかかなたです。とはいえ歴史の遺産というには生々しすぎるというか、不思議な体験でした。
シュタージ文書を管理しているBStUに閲覧申請を出しましたが、私の報告書は見つからなかったそうです。廃棄済みの可能性もありますが、監視をつけるほどの存在ではなかったということでしょう。ちょっと残念。
Commented by Alichen6 at 2017-02-25 16:57
★東風さん~ コメントありがとうございますー。そうですよね。強制収容所は町から外れて人目につかないところにある一方で、こうした拘置所や刑務所はわりと中心部から近いところにあると私も思いました。見せしめという意味もあると考えると、理由も分かる気が…(涙) 東風さんも、ライプチヒの博物館へいらしたんですね。ホント、冷戦が終わった今なら気軽に話せますが、ほんの四半世紀前には、こういったことを本気でやっていたかと思うと背筋が… ところで東風さんのミュンヘン日記、拝見しました!いい天気だったんですね。画像がとってもきれい。
Commented by Alichen6 at 2017-02-25 17:08
☆ふぁらんさん こんにちは~ コメントありがとうございます。ふぁらんさんも、昨年いらしたんですね。私は時間の関係で、中までは行けなくて残念でした。最近は暖冬傾向にある気がしますが、ひと昔前のドイツは本当に寒かったですから、囚人たちも辛かったでしょうね…。夏はまだしも、冬は命にかかわったでしょうし…。ところで私、前にもブログでちょっと書いたことがあるのですが、東ドイツの友人が自分のAkten開示を請求したところ、そこに私の報告書も少しだけあったそうです。そこをスキャンして私に送ってくれたのですが、いろいろ書かれていてビックリしました。私の名前のファイルは恐らくないでしょうが、友達のファイルの中には記述があった(外国人を家に泊めるということで、当局に申請を出す必要がありましたもんね)のです。たぶんふぁらんさんの資料も、ご友人のファイルの中に入っているはず。私なんて、本当に人畜無害の小娘(☚当時は^^;)だったにもかかわらず、結構書いてありました…。几帳面なドイツ人らしく、「とりあえず記録に残す」という姿勢だったのではと思います。東ドイツで働いていらしたふぁらんさんの記述は、絶対にあるはずだと思います!
Commented by tan at 2017-02-25 20:06 x
私が住んでいた町の真ん中にもシュタージの政治犯の監獄がありました。そこは19世紀から使われていて、ナチス時代にも政治犯を収容していたところで、統一後は普通(?!)の刑務所になっています。私のうちのすぐ近くで、通勤路だったので、毎日通る場所でした!! 大学の建物も、もとシュタージだったところがいくつかあり、ずいぶん身近だったんだと怖くなったことを思い出します。広大なソ連軍の駐屯地も通勤路沿いにありました。あそこは今どうなっているのだろう...
Commented by Alichen6 at 2017-02-26 10:01
☆tanさん こちらにもコメントをありがとうございますー❤ 東風さんともコメント欄でお話していたのですが、U-Haft の Gefängnis って、フツーに町中にあるようですよね。ひた隠しに隠していたKZとは違い、やっぱり見せしめ的な意味合いもあるのかなぁなんて考えてしまいました。tanさんがお住まいだった街にもあったんですね!しかーし。ナチ時代~東独時代~現代へと続いているなんて…。もっとも、独房はたくさんあるし、頑丈にできているしで、「少し直してそのまま使おう」という発想になるんでしょうね…。ソ連軍の駐屯地まであったのですか!うひゃ~。冷戦の現実を毎日見ながら通っていらしたんですね!統一前の東独時代にいらしたんですか?それはまたすごい・・・またお話をお聞かせくださいね!!
Commented by tan at 2017-02-26 19:25 x
私が東独地域にいたのは、統一後2、3年後からです〜! だから、「元駐屯地」と書かなきゃいけませんでしたね。最初の頃はまだすべてがそのまんま残っていて、暮らしている間に、どんどん町が変わっていきました。旧DDRと最新の西側社会がごっちゃになっている感じでした。
Commented by Alichen6 at 2017-02-27 16:34
☆tanさん コメントありがとうございますs。統一後2、3年ということは、1992年ごろでしょうか。まだまだ混乱していた時期ですよね。貴重な体験をなさって… すごい! 新しいものと旧いものが入り混じる時代ですよね。またお話をお聞かせください。。。!
Commented by ふぁらん at 2017-02-27 20:48 x
同僚に頼まれるとしょちゅう東マルクをDMと交換してあげてましたし、たまにはお泊りもしてました。スピード違反で捕まったこともあるし、西の書籍が部屋からなくなっていたことも。親しくしていた人たちはきっと監視されていたでしょうね。いまさらながら申し訳ないです。
Commented by ふぁらん at 2017-02-27 21:26 x
tanさん 怒涛の変化の時代を目撃されたんですね。西の企業、一獲千金をねらう人々が大挙おしかけてきて、あれよあれよという間に変化に飲み込まれていったのでは、などと単純な想像しかできませんが、実際はどうだったのでしょう。私が働いていた製鉄コンビナートは2008年に再訪したとき、2万人の従業員が3,200人にまで減っていました。状況をしかたないと受け入れて職場を去って行ったのか、闘ったのか、人それぞれだと思いますが…。当時の雰囲気など気になります。
Commented by Alichen6 at 2017-02-27 22:44
> ふぁらんさん
コメントありがとうございます。それはもう、絶対にご友人のファイルに記載されているはず!私の記載を読んでみましたら、ビザ申請の時には書かなかった事柄まで書かれていて驚きました。(住所や勤務先などは、ビザ申請の際に申請書に記入しますから、それがファイルに記載されているのは当然ですが) いろんな人に会って話をしたので、その中にIM がいたんだろうなぁと思っています。
Commented by tan at 2017-02-28 22:11 x
ふぁらんさん、ほんとうに激動の時代でした。西から行った私は、町の暗さや廃屋の多さに驚かされました。ゴーストタウンのようになっている地区がいくつもありました。近隣の化学コンビナートや、褐炭暖房の影響で、環境汚染もひどかった。失業者が多く、投資もなかなか進まず、統一の開放感よりも、閉塞感の方が大きかった気がします。語り始めるとキリがないですが、望んでもなかなかできない得難い体験でした。
Commented by ウリジュン at 2017-03-01 10:29 x
こんにちは。ようやくゆっくりと読ませて頂くことができました!ドイツ旅行は未定ですが、拘置所へのアクセスを書いてくださっているので、迷わずに行けそうです!(笑) 「善き人・・・」を観てから10年になりますが、未だに映画に関することには関心を持ち続けています。なぜこんなにこの映画やミューエさんにハマってしまったのか、自分でも不思議です。
話は全く変わりますが、池田理代子先生のあの名作のエピソード編はお読みになってますか?この間、第13巻(エピソード編としては3冊目)を読みましたが、小学生の頃と変わらないワクワク感と感動を受けました。因みに、第12巻の方が好きなんで、何度も読み返してはウルウルしておりました。
Commented by Alichen6 at 2017-03-01 22:16
> tanさん
ふぁらんさんへのコメント、ありがとうございます♪ しかも、私ったら「モーリッツ君の
云々」と書いちゃってすみません。場所が違っていましたね。統一後の東側をつぶさに見てこられたなんて、本当に貴重な体験をなさったんですね。統一の熱狂や高揚感も過ぎ去り、厳しい現実と閉塞感と… 大変な時期を乗り越えてきたドイツ人は偉いなぁ…。またどうぞお話をお聞かせください…!!
Commented by Alichen6 at 2017-03-01 22:19
> ウリジュンさん
こんばんは~ コメントをありがとうございます!えへへ、きっと拘置所へいらっしゃる時は迷わずに行けますね!「善き人…」からもう10年なんですね。あの作品を観たときは、衝撃を受けました。こんなだったんだ…と。今でも、たまにちらっと見ると当時受けた衝撃がよみがえってきます。奥の深い映画ですよね。ところで、エピソード編が出ていたなんて知りませんでした。マーガレットに40年ぶりの続編が描かれたのは知っていますが(買いました^^)それをまとめたのかしら? 急いで買わなきゃ=3=3=3=3 情報ありがとうございます!!
Commented by ふぁらん at 2017-03-04 14:20 x

tanさん、ご返事ありがとうございます。褐炭暖房はぜん息持ちの身には脅威でした。アイゼナハに行ったとき街が黄色いもやに包まれていて刺激のある匂いが充満してました。毒ガス!!進退きわまりました。私の住んでいた新興工業都市はわりと小ぎれいだったので(工場にはすごい汚染源がありましたが)、古い町に行くと落差を感じました。
私の好みとしては、古い建物にやたらとペンキを塗りたくってぴかぴかにしまうより、自然と古びていく風情に萌えですが、鬱々とした重苦しい雰囲気が漂っている街は悲しいですね。
10年ほど前ですがマイセンの目抜き通りが売家と廃屋だらけだったのには驚きました。統一後の現実の一端を見た思いでした。
Commented by Alichen6 at 2017-03-06 07:04
☆ふぁらんさん tanさんへのお返事に私も便乗させてくださいね。仲良しのお友達はマイセン出身でしたので、よく遊びに行きました。マイセンの大聖堂もドレスデンの美しいバロック建築も、みーんな真っ黒で驚きました。あとで西ドイツの人に理由を尋ねたところ、砂岩に含まれる鉄が酸化して真っ黒になった、という説を教えてくれた方もいたのですが、一方で質の悪い褐炭をぼんぼん燃やしていたから、それで煤けたという説を教えてくれた人もいました。本当に真っ黒だし、なんとなく空もよどんでいるように見えて胸が痛んだものです…。ぜんそくをお持ちの方にはつらいですよね。統一しても、すぐにあれが改善されたわけではなかったでしょうから、きっと90年代にはまだ影響があったのでしょう。マイセンは数年前、久しぶりに訪れましたが、まだ大洪水の爪痕が残っていたこと、そして旧市街が妙にさびれていたことにショックを受けました。
Commented by ふぁらん at 2017-03-09 21:55 x
真っ黒といえばケルナードームも負けてません。工業地帯の大気汚染のせいだとか戦災も影響しているとか、ほんとうのところどうなんでしょう。ノイシュヴァンシュタインもほぼ同じ頃の完成なのに、見た目がかなりちがいます。
今ケルン大聖堂を画像検索したら、昔ほど黒くないですね。洗浄漂白作業をおこなったのかな。
Commented by Alichen6 at 2017-03-11 08:34
☆ふぁらんさん こちらにもコメントをありがとうございます。遅くなってしまって、本当にすみません。ケルンは大親友が住んでいることもあり、ちょくちょく行きます。ドームは真っ黒ですよね…。こちらも、鉄分を多く含む砂岩なのでしょうか。確かに、ノイシュヴァンシュタインは真っ白ですよね。あれが黒かったら、ノイラーベンシュタイン城となるところでした。いや、ノイアムゼルシュタイン城かも? ケルン大聖堂は昨年も見ましたが、やっぱり黒かったような。。。それでも以前よりはまだマシかな?
by Alichen6 | 2017-02-21 12:36 | ドイツ珍道中 | Comments(23)

日本にいながらドイツする♪  ドイツ・ドイツ語・ドイツ映画を愛してやまない下っ端字幕ほにゃく犬「ありちゅん」が字幕ほにゃく見習い眉毛犬「Milka」と一緒に書く日記


by Alichen6
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