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ヨハンよ お前は獨逸語を話すか


皆様、おはようございます。また暑さが戻ってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
私は相変わらずお尻に火がついております 。アッチッチ。
だったら1分でも惜しんで仕事をすればいいのに、
そういうときに限ってネットサーフィンをしたくなる、したくな~る…


…それで、またやっちまいました。ネットオークションあさり。でもって、こんな本を落札しちゃいました。
明治時代のドイツ語入門書ですよ~。その名も、
「獨文階梯」!うひゃ~~


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プロフエソルでドクトルのカール・フロレンツ先生と、大村仁太郎先生校閲、獨逸語學雑誌社編纂。
初版は明治35年(1902年!)、これは第39版で大正12年(1923年)に出たもの。

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和文独訳の日本語が難しすぎるんですけど…(汗)


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發行所は日獨書院ですって。


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Karl Florenz 先生は、大辞泉によると(引用いたします):

フローレンツ(Karl Florenz)

[1865~1939]ドイツの日本学者。1889年(明治22)来日。東大で、ドイツ語・ドイツ文学・比較言語学を講じ、日本書紀や日本の詩歌・戯曲などを翻訳した。著「日本文学史」。
大村仁太郎先生は、ウィキペディアによると(引用いたします):
江戸小石川関口水道町の出身。初め、筑土八幡町萬昌に入って漢学を学んでいたが、明治14年(1881年)に陸軍省御用掛に登用され、翌年より東京外国語学校に移り、明治17年(1884年)に助教授となって、以後陸軍大学校第一高等中学校などで教壇に立ち、学習院教授に転じて獨逸文学科長となる。明治34年(1901年)から2年間ドイツに留学、帰国直後の明治36年(1903年)には学習院勤務のまま獨逸学協会学校校長を兼務する。獨逸学協会学校の教授であった山口小太郎谷口秀太郎とともに著した『獨逸文法教科書』などのドイツ語テキストは“三太郎獨逸文典”の異名で知られている。(引用終わりです)

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…ということでした。ふむふむ。



…では、仕事に戻ります~~♪








by Alichen6 | 2016-09-26 09:06 | ドイツ語

日本にいながらドイツする♪  ドイツ・ドイツ語・ドイツ映画を愛してやまない下っ端字幕ほにゃく犬「ありちゅん」が字幕ほにゃく見習い眉毛犬「Milka」と一緒に書く日記


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