古いヤツだとお思いでしょうが… DDR(東ドイツ)の思い出 その1

 皆様、土曜日の夜をいかがお過ごしでしょうか。今日の午後、「ぴんぽーん」とインターホンが鳴りました。出てみたら、小さくてカワイイ小学生の女の子が2人。「とりっくおあとりーと」だって。魔女の帽子もかぶっています。「ちょ、ちょ、ちょっと待っててね!!」と言いながら、たまたま家にあったお菓子を袋に入れ、持たせました…。来ると分かっていたら、もちっとカワイイお菓子を用意しておいたんだけど。「どこの小学校?」と聞いたら、離れた学区の小学校でした。こんな遠いところまで来るんだ(苦笑)。

 …と、話がいきなりそれてすみません。このところ、お友達とDDRの画像を見せ合うことがありました。懐かしい! ココログのブログを始めたばかりのころ、DDRの旅日記を載せておりましたが、それももう9年前の話。もしかして、最近このエキサイトブログに来てくださるようになった方は御覧になっていないかなーと思い、少し書きなおして載せることにしちゃいました。二度目の方はすみません。読み流してくださいませ。もっとお詳しい方も大勢いらっしゃると思いますし、実際に東ドイツに住んでおられた方もいると思います。私のささやかな経験を書いたところで、「それで?」となっちゃうかもしれませんが、私用のメモでもありますのでお許しを… 2006年の春に書いていた日記でございます。



**********DDR(東ドイツ)の思い出 (その1)****************



マイセンの友人宅へ(1986年7月)

 私がドイツにいた頃は、まだ東西を隔てる壁が存在した時代でした。冷戦の末期の頃のことは今もよく覚えています。
 ドイツへ行って最初の休暇。東ドイツのマイセンに住むペンフレンドの家へ遊びに行くことになりました。当時、西ベルリンから東ベルリンへ日帰りで行くのは比較的簡単だったのですが、公共のホテルではなく個人宅に滞在するには、あらかじめ申請しておく必要がありました。Das Reisebüro der DDR(ドイツ民主共和国旅行社)という国の機関に申請すると、数日たってビザ取得の許可証が送られてきます。それを国境で提示するとビザを発行してもらえるシステムだったと思います。ちなみに、審査料として30ドル請求されました。さらには、滞在1日につき最低25ドイツマルクのMindestumtausch (両替)が義務づけられていました。東ドイツの外貨獲得のための政策です。7日間の予定でしたので、25ドイツマルク × 7 = 175ドイツマルクを東ドイツのマルクに替えました。(余談ですが、当時の東ドイツマルク札は紙の質が悪く、ボロボロ。硬貨はアルミ製。1ペニヒ玉ならともかく、すべての金種がアルミ製というのは、何となく心細く見えました。こども銀行みたいで。)

 これが申請書です。1989年、最後にDDRに行ったときのもの。コピーして取っておいたのでした。現住所や勤め先、パスポート番号、訪問する友人の情報を記入して郵送します。最初にブログに載せた際に汚く消しちゃったので、見苦しくてスミマセン。
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 申請時に手数料30ドルを海外送金した際の控えです(我ながら、よく取っておいたなぁと感心。将来ブログを書くつもりだったのか?!)。Deutsche Außenhandelsbank (ドイツ通商銀行、東ドイツの銀行)にある、東ドイツ旅行社の口座に支払っていますね。これも1989年に行ったときのものです。
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 これ(↓)は送られてきた許可証についていた添え状。国境でビザを取得するための文書を1通、同封した云々ということが書かれております。私ったら、肝心の許可証のコピーを取っていなかったんですねーーーあ~惜しいことをした。アルバムにべったり貼りついてしまい、スキャンするためにはがそうとしたら破れた(苦笑)。仕方がないので、写真に収めた次第。
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 これは国境付近で両替したときに領収書。1987年に行ったときのものですね。この時は6日間の滞在だったみたい。25DMx6日間=150DM。
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 国境を通過する際、一人ずつ検査を受けます。シャレが全く通じそうにもない無愛想な係官がパスポートをチェックするのですが、あの何とも言えないゾッとするような雰囲気、当時を知る方ならきっと今でも覚えていらっしゃることと思います。ソ連ほどじゃないにしても、東ドイツも「こわい」というイメージがありました。

 国境でビザをもらいます。もったいぶった割に簡単なビザ。
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 国境を越えると景色が一変。西ドイツでは窓辺に花があふれ、家々はきちんと手入れされ、それはそれはのどかな景色が広がっているのです。ところが東側では花は一つもなく、屋根はボロボロ、壁は薄汚れていて、空の色もなんとなくどんより(石炭の質が悪く、環境対策も遅れていて公害がひどかったらしい)。
 途中の駅で友人が出迎えてくれました。彼女は満面に笑みを浮かべて歓迎してくれましたが、駅舎はボロボロ、乗り換えた列車もガタガタ(古いため、きしみがひどい)で埃っぽく、車窓も西独に比べて何となく寂しげ、煙突からは黒い煙がもくもく…。行ったその日に、西側へ逃げ帰りたくなりました。30年経った今もあの光景は脳裏に焼きついています。
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 何度も載せちゃってすみません。マイセンの町中で見かけたプロパガンダの看板。「社会主義が強固になれば、平和も確実になる」。プロパガンダを撮るのはNGだって当時まことしやかに囁かれていたので、撮るときはドキドキしました。結局、私の手元に残っているプロパガンダの写真はこれ1枚。
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 ベルリンなどの大都市は、体面もあったのでそれなりに整えられていましたが、地方都市はヒサンでした。これはマイセンの町中にあったお店。ショーウィンドウは何もない状態…。
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 友人宅に着いたら、地元警察に到着を知らせます。ビザ申請の際に記入した情報が、ちゃーーんと届いているんですね。何でも番号で管理する社会。DDR版マイナンバーだったのか?!? (つづく)


*************************

  …というワケで、実に個人的な内容をダラダラ書いちゃってすみません。もう、その話は何度も聞いたよーと思われる方もいらっしゃると思います。どうぞスル~しちゃってくださいね。
Commented by Yozakura at 2015-11-03 16:34 x
ほにゃく様
 面白い!本シリーズ「東ドイツの思い出」は、その後3回目まで読了。覚えていらっしゃる分だけでも、陳述しておいて下さい。確か数年前から更新されていない、某・音楽愛好家のブログに於いて、東ドイツの某・地方都市の街中を巡邏警戒中の公安組織の部隊員の写真が掲示されていたのを見た記憶があります。
 その、写真の背景が恐怖でしたね。
 確か、街中を警邏巡回する2名の公安関係者の背後に、その周辺の建物や街路などが写っていましたが、その全ての建物から、窓から、或いはドアから、巡回する公安関係者を密かにジッっと監視する無数の視線が、ブログの読者であった私にも感知出来たのです。
 警邏中の公安関係の役人を監視する無数の視線!「『春江一也著・ベルリンの秋』とは、この現象を指していたのか!」と戦慄したものです。
 ほにゃく氏による続編を期待しています。
Commented by Alichen6 at 2015-11-06 09:06
★Yozakuraさん おはようございます。3日にコメントをいただいておりましたのに、お返事がこんなに遅くなってしまって申し訳ありません。ここ数日、ちょっと立て込んでしまって… そして「東ドイツの思い出」シリーズを読んでいただき、ありがとうございます…!9年前に書いた日記の書き直しでして、なんとなく申し訳ない気もしていたのですが、こうして読んでくださって嬉しいです。ちょっと中断しておりますが、また続きを書きますね。ご紹介の音楽愛好家さんのブログ画像、気になります…!もう掲載されていないのでしょうか。「ベルリンの秋」も読みましたが、国家保安省のスパイ網って全国津々浦々まで張り巡らされていたようですから、本当にこうした監視というのは小説の世界だけではないのでしょう。私も多少、経験しました。そのお話も後日ご披露いたします…
Commented by Yozakura at 2016-04-19 09:18 x
ほにゃく犬さま
 連続の投稿にて、失礼します。少し前に投稿した「旧・東ドイツの街頭写真を掲載していた個人ブログ」ですが、矢張りこの日の日記には反映されていませんね。
 なんらかの理由により、何処かに雲散消滅したのでしょう。再度、投稿します。
Commented by Yozakura at 2016-04-19 11:35 x
ほにゃく犬さま
 その、興味深い写真が掲載されていたブログは、【ドイツ音楽紀行】です。検索されるには、以下の要素に
基づき、貴女の自己責任でお願いします。

[ドイツ音楽紀行、hamburg.exblog.jp, メクレンブルク・フォアポメルン洲]

 これは、ドイツ北部にあるメクレンブルク・フォア---洲にて2006年初夏に開催された音楽祭に赴いた同ブログの著者が、道中の無聊を慰めんと偶然にも立ち寄った田舎町ハーゲノウ(Hargenow)にて、遭遇したアマチュア写真家の写真展示会で参観・撮影した写真集だったのです。この日記の日付は、2006年7月9日です。
 なお、私が所有するドイツの地図には、その小さな田舎町ハーゲノウは名称さえ表記されておらず、果たして、そう云う名称の街が存在するのか否かさえ不明です。

 その写真展は、地元の愛好家が1985年と2000年の二度に亘り撮影した全く同じ建造物や街路が並行して掲示されており、両者を容易に比較検討できたそうです。
 で、貴女が初めての訪問時にライプチッヒで体験された如く、暗く重く澱んだ、そして陰鬱な空気が、1985年の写真3枚から漂って来ます。
 特に、上から4枚目。写真画面の右下に制服を着用した公安関係者と思しき2人組みが歩調を揃えて歩く姿と、その背後に在る街並や建造物を映し込んだ写真からは、名状し難い異様な雰囲気が窺えます。

(以下は文字数過剰のため、後半部分に割愛します)
Commented by Yozakura at 2016-04-19 11:38 x
承前:後半部分です
.
 現在は、このブログは更新が停止されており、投稿欄も閉鎖され過去の投稿も読めません。しかし、この写真と日記が掲載された当時には、私の感想投稿とそれに対するブログ作者の同感コメントも、投稿欄に綺麗に表示されていました。
 その4網目写真の下に添えられた説明

「---漂う空気の違いがはっきりと分かりますね、小さいですが、右端の二人の制服姿も気になります。」

から、ブログ作者も展示されていたドイツ北部の現地で、全く同じ雰囲気をこの写真から読みとったのでしょう。
 私は、この4枚目の写真を目にして直ちに、社会主義体制下に於いて、市民を厳重に監視しその政治思想を取締まる公安組織と、その末端工作員に依る市中巡邏警戒を想起し、そうした感想を綴って投稿したところ、
 ブログ作者からは直ちに「全く同感である」との返信が投稿されました。

 旧東ドイツへの懐旧の情も深いほにゃく犬様、「暗いドイツの陰惨な雰囲気」を今一度、味わってみて下さい。お元気で。
Commented by Alichen6 at 2016-04-20 09:22
★Yozakuraさま コメントをありがとうございます。そしてブログのご紹介も感謝いたします。私と同じ、エキサイトブログなのですね。このブログの存在は知りませんでした。先ほど、さっそく検索してみました。写真が美しいですね。更新が止まってしまって残念です。このコメントを書きましたら、あとでゆっくり拝見しますね。1980年代の旧東独は、本当に重苦しい雰囲気でした。駅に降り立ったとたんに伝わってくる、あのなんとも言えない思い空気は今もはっきり覚えています。それとは対照的に、人々はみんな親切で人懐こかったです。外の人との交流に飢えていたのかも…なんて思ったりもしました。ご親切にご紹介をありがとうございました。早速拝見しますね。
Commented by Yozakura at 2016-04-22 02:54 x
ほにゃく犬様
 返信を拝見しました。今度は、無事に投稿が画面に反映され何よりです。
 「----人々はみんな親切で人懐こかった」との由、例の【ベルリンの秋】の記述を思い出しました。現地の言葉が出来ると、そうなる模様ですね。お元気で。
Commented by Alichen6 at 2016-04-23 10:38
☆Yozakuraさま おはようございます。コメントをありがとうございました。投稿が無事、反映されてよかったです!いつぞやは、せっかく書いてくださったのに消えてしまったみたいで、ご迷惑をおかけしました。申し訳なかったです…。
東独の方々は、当時西側の人との接触を極端に制限されていましたから、そういった人とのつながりに飢えていたのだと思います。とても人懐こかったですし、仲よくなると、すぐに家に招待してくれて、心からもてなしてくれました。
Commented by ことりん at 2016-07-04 12:03 x
はじめまして。先日東ドイツ映画を神戸でみて、非常に興味深かったのでこのサイトに辿り着き、いろいろと勉強させてもらいました。驚くほど東ドイツ情報は日本語ではなく、大変参考になりました。古い情報もきちんと残し公開されていることに頭が下がります。どうか遠慮なさらず続けて下さい!こうしてよい情報を(自分で見聞した生情報)を公開して下さる事で世界を少しでも理解する一助と成りありがたいです。
Commented by Alichen6 at 2016-07-04 15:54
☆ことりん様 はじめまして。ようこそおいでくださいました。神戸で東ドイツ映画を観てくださったんですね!ありがとうございます(日本語版制作にかかわった者です)。若いころ、東ドイツによく遊びに行っておりました。いろいろ問題の多い国家体制ではありましたが、住んでいた人たちは善い人ばかりで、いい思い出もたくさんあります。記憶が薄れないうちに…と、古い話を書いていたのですが、ことりんさんがそう書いてくださって、とても嬉しかったです!これからも少しずつ、昔の情報を書いていきますね。本当にありがとうございました。また遊びにいらしてくださいね。
by Alichen6 | 2015-11-23 18:19 | DDR(東ドイツ) | Comments(10)

日本にいながらドイツする♪  ドイツ・ドイツ語・ドイツ映画を愛してやまない下っ端字幕ほにゃく犬「ありちゅん」が字幕ほにゃく見習い眉毛犬「Milka」と一緒に書く日記


by Alichen6
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