レーゲンスブルクへ
2013年 09月 05日
ワタシったら「レーゲンスブルク(Regensburg)」って、てっきり「雨の城」かと思っていたのですが違うんですね。ドナウ川の支流であるレーゲン川から来ている模様。そしてそのレーゲン川の Regen の語源は諸説あるそうですが、ケルト語由来という説も否定できないとか。いずれにしても雨の Regen ではないようです。ローマ時代から「カストラ・レギナ(=レーゲン川の城塞)」と呼ばれる要塞都市だったそうで、当時の門が残っています。その後も帝国都市として栄えたとのこと。
ここから、マニアックな話になります。すみません。マンガを読んでいらっしゃらない方には「???」ですよね。すみません、内輪話です。お許しください。ご興味のある方は、下をご覧くださいね。
さっそく本題に入ります。マンガのモデルとなった建物を探すべく、ワタシは張り切って町に乗り込んだわけです。参考にしたのは、古書店で以前購入した「オルフェウスの窓 大事典」と、次のネット。この方のサイトはホントに詳しく、とてもためになりました → コチラ 管理人のマーゴットさん、ありがとうございました。
マーゴットさんのサイトに詳し~く書かれているので、ワタシなんぞが偉そ~に書いたところで恥をかくだけなのですが、それでもちょびっとだけ。
駅からドナウ川の河岸まで歩いてすぐ。その間の旧市街に見どころが集まってくれていたお陰で、効率よく見ることができました。小さな、小さな町です。
いきなり現れたのがチョ~高級ホテル「マクシミリアン」。そー、ベルンハルト・ショルツ先生が泊まったホテルです。キッペンベルク夫人が邪魔したことでオペラハウスでのコンサートが中止になりかけましたが、クラウスたちの尽力で野外コンサートが開かれることになります。ショルツ先生に再び指揮をお願いすべく、イザークがホテル・マクシミリアンへ向かったのでした。
ホテル・マクシミリアンの後ろは、ずっと公園が続きます。その中にポツンとあったのが「ケプラー記念碑」。そー、野外コンサートの際、このケプラー記念碑にピアノを載せてイザークがベートーベンの「皇帝」を弾いたのでした。天文学者のケプラーがかつて住んでいたため、こういった記念碑が作られたみたい。中にケプラーの胸像がどーんと鎮座していまして、ここにグランドピアノを置くのは無理^^;
そしてレーゲンスブルクの大聖堂。マンガの中でも、あちこちに描かれていますよね。素晴らしい建物でした。夜はライトアップされており、町のあちこちから尖塔が見られました。
イザークの妹フリデリーケが野菜を売っていたマルクト。意地悪しながらもフリデリーケのことがすっかり好きになってしまったモーリッツが、連日野菜を買い占めていた場所です。そして右手に写るのがノイプファーキルヒェ。ショルツ先生がフランクフルトへ帰ってしまったあと、イザークが教会の中でガックシくるシーンがありますが、そこがこの教会でした。マンガでこの教会の塔が描かれております。
そしてドナウ川と並行して走るケプラー通り。イザークがピアノを教えた貴族の令嬢、カタリーナ・フォン・ブレンネルが住んでいた通りです。胸を病んで吐血したフリデリーケを心配したカタリーナが「私たちはケプラー通りのブレンネルです」と言って手をさしのべたシーンがありましたよね。この通りのどこら辺だったんだろう…
ケプラー通りにあるのは、天文学者ケプラーがかつて住んでいた家。
ローマ人の城塞だった「カストラ・レギナ」の北門「ポルタ・プレトリア」。五賢帝として知られるマルクス・アウレリウスが建てたと言われているんだとか。今では一部しか残っていません。これがどこで登場するかというとですねー、マーゴットさんが詳しく書いていらっしゃいます。
お面をかぶったヴィルクリヒ先生にユリウスは連れ去られてしまいます。そのユリウスを、クラウスが捜しにいくワケでございます。2人を見かけなかったかとクラウスが通行人に尋ねると、その男性が「ああ、そのふんそうのふたりなら、マルクス・アウレリウスの城砦あとからドナウの川上のほうへいったような気がするな」と答えるシーンがありました。ちなみに道を尋ねたのはマルクトです。背後に大聖堂が描かれておりました。描写が細かい!感心いたします。
そしてマンガで何度も登場するドナウ川!川というのは地元の人に愛されるものですが、ゆったり流れていて見ていると落ち着く気がします。水害は怖いですが…。夕暮れ時のドナウはひときわ美しい。橋の上で小さな竪琴を演奏している若い女性がいまして、それがまたロマンチックでした。「千と千尋の神隠し」のエンディングで流れる曲、覚えていらっしゃいますか?あの時使われた竪琴と同じ楽器でした。カモメの声も入っています。風が強くて雑音が入ってしまったのが残念!
そしてトゥルン・ウント・タクシス城へ…
神聖ローマ帝国時代から郵便事業を一手に引き受け、巨万の富を築いたトゥルン・ウント・タクシス家。ドイツだけでなく、世界でも有数のお金持ちです。そのお城がレーゲンスブルクにあったんですね。とにかくスゲーお屋敷でした。この建物に、「オルフェウスの「窓」のモデルがあるとの話。だけどレーゲンスブルク初日に歩きすぎて足が痛くなってしまったワタクシ。その日は城の見学を諦め、足を引きずって宿に帰りました。気を取り直して翌朝このお城へ行ったのですが、やたらデカい。そして撮影禁止。チッ 結局、敷地内にあるカフェでお茶して帰ってきてしまいました。嗚呼、根性のないワタシ。皆様、長く引き伸ばすだけ引き伸ばし、肝心の「窓」をお見せできずにスミマセン。なお、お土産はトゥルン・ウント・タクシス印のグミ「グロリア」。
このラベルで分かりますように、この家の紋章は「塔とアナグマ」なのです。なんでも、Turm und Dachs が Thurn und Taxis になったとか(お土産売り場のお姉さん情報)。そして「グロリア」というのは侯爵夫人の名前だそ~ですよ。
トゥルン・ウント・タクシス家の大富豪っぷりは公式サイトで見ることができます。スゲー家 → コチラ
なお、「オルフェウスの窓」によると、校長先生の娘エレオノーレはテオドール・フォン・ベーリンガー伯に見初められて結婚したワケですが、スパイの容疑で息子以外は全員虐殺されてしまいます。そのテオドールについての記載がスゴイのです。引用しますね。「当時 才気と美貌をもってきこえた若いフォン・ベーリンガー伯テオドールは、あの有名なルドヴィヒⅡ世の取り巻きのひとりで、かのパウル・フォン・トルン・ウント・タクシス公と王の寵愛をわけあっているとうわさされた」。しかし校長先生は「しがない酒場のピアノ弾き」だったという過去を持ちます。そのため、2人の結婚はいわゆる「貴賤結婚」であるがゆえに、バイエルン王が大反対したとのこと。そのため、「フォン・ベーリンガー伯から、エレオノーレをトルン・ウント・タクシス公の養女にださないかという相談をうけた」のでした。その結果、エレオノーレは父親と縁を切り、トゥルン・ウント・タクシス公女としてテオドール・フォン・ベーリンガーと結婚したのでありました。嗚呼、いろいろな意味で、ひぇー!です。
…というワケで、1泊2日の「オルフェウスの窓」ツアー、しっかり堪能したのでした。長々とお付き合いいただき、ホントにありがとうございます。池田理代子さん、ただレーゲンスブルクの町を舞台にマンガを描いただけでなく、当時のバイエルン事情や歴史にもお詳しかったんだなーと改めて感心いたしました。ネットのない時代。衣裳1つ描くのでも、時代考証が大変だったでしょうね。
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