人間は何を食べてきたか (その1)
2009年 05月 03日
<ある畜産農家のソーセージ作り>
このドキュメンタリーはドイツの農村にある畜産農家を取材したときの映像で構成されております(当時はまだ東西に分かれておりました)。この家では家族の食事をまかなうために年に4回、豚を解体するのだそうです。その様子が詳細にレポートされておりました。今から24年前の話ですし、その後東西ドイツの統一などでドイツの社会が大きく変わりましたから、今でも当時と同じ生活スタイルを続けているかどうかは分からないのですが、時代を超えて変わらないものもあるはず。豚を殺すシーンはさすがに静止画像になっておりましたが、その農家の10歳になる娘がその一部始終を見ておりました。日本人の私からすると目をそむけたくなる光景ですが、昔からこうして豚を解体し、その恵みに感謝しながら血の1滴までも無駄にすることなく大事に大事に食べる。そういった犠牲があるからこそ、人間が生きてこられたということを小さいときから見せるのは大切なことなのだと改めて認識しました。肉を食べるということは命の犠牲の上に成り立つものであり、また畜産農家として生きるということは、それを仕事にしなくてはならないということ。考え始めると非常に難しい問題です・・・。
<豚の解体>
1)豚を素早く絶命させ(長く苦しませるのは確かドイツでは禁止されていますよね)、喉のあたりを切開して血を容器にためる。その血はBlutwurst(血のソーセージ)作りに利用するため、固まらないよう泡立てながら攪拌。
2)血を抜いた豚を50度のお湯につけ、毛をこそぎとる。冷めると毛が抜けにくくなっちゃうのだそうです。
3)内臓を出す。腸や胃、膀胱などはソーセージの皮に利用するため、よく洗浄する(腸は裏返しにして洗っていました)。
4)背割り。大きな豚を逆さまに吊るしながら鋭いナイフで解体する光景は日本人には残酷に見えるのですが、マグロなどの魚の解体にも似てる、というナレーションが入り、なぜか納得してしまいました。慣れの部分も大きいでしょうね。
5)肉を部位に分けて切り取る。豚1頭120kg の3分の2は精肉やベーコン(Schinkenspeckでしょうね)用に使用し、残りをソーセージ作りに使用するのだそうです。ゼラチン質を含んだ皮はソーセージのつなぎに使用し、脂肪はラードやソーセージ作りに利用するとのこと。
6)ソーセージ作り。肉挽き器で肉を細かく挽き、そこにスパイスを加えていました。各家庭ごとに秘伝の味があるみたいですね。彼らが生の種を味見していたのにはビックリ。ま、タルタル(生のひき肉にスパイスを加えたもの)をパンにのっけて食べることもありますから、新鮮ならOKなのかも。種を腸や胃袋、膀胱などにつめて加工。ナレーションでも、「茹でてから詰めたり、詰めてから茹でたりと、加工法は無限の広がりを持つ」とありました。干したり燻製したり、とそのほかにも色々バリエーションがありますよね。
ナレーションでは触れられておりませんでしたが、WECK らしき瓶にレーバーヴルスト(レバーペースト)のような種を入れ、煮沸しておりました。その農家の地下には自家製ソーセージ以外にも瓶詰めの野菜などがたくさん。今でこそ、店で買うものも増えたようですが、かつての自給自足生活のなごりを見たようでした。
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秋に豚の解体を行ったのち、Schlachtplatte (シュラハトプラッテ)としてできたてのソーセージを食べる風習は読んだり聞いたりしたことはあったのですが、実際に解体の場面を見たのは実は初めてでした・・・。旧ブログでSchlachtplatte について書いておりました。よろしければ → コチラ。
そういえば。映画「おくりびと」の中で、フグの白子を食べながら葬儀会社の社長(山崎努さん)が「うまいんだな~困ったことに」と言っておりました。このセリフが妙に脳裏に焼き付いております。命あるものを食べることに罪悪感を感じつつ、それがまた「困ったことに」美味しいと感じてしまう人間のフクザツな心境。この「困ったことに」ってアカデミー賞で上映された際にどういう英文字幕がついていたんだろう?というのも実は興味があったりして。